32:喧嘩する程仲が良くまた深み行く
「……あの小娘に、お前と同じ予知能力が備わっている、だと? 何故そう思う」
レグルスは国立図書館長室に、自分へ訪ねて来たユリアンを招いてデスクのイスに身を委ねながら、そう言ってきた彼へ静かに問うた。
「彼女が私の死を夢に見た。これは予知夢だ」
「……」
レグルスは黙ったまま、回転式のイスをゆっくりとした動きで反転させながら、背後の窓へと体を向ける。
その彼の様子を確認してから、ユリアンは構わず言葉を続ける。
「挙句、親子喧嘩で彼女と揉めていたはずの母親が、今朝電話をかけてきて揉める原因となった、娘の行為を許した。これは“予知夢侵入”だ。あやめ本人、気付かない内に無意識で母親の夢へ侵入して、自分の行いを許すよう仕向けたと思われる」
「……」
長らく続く沈黙。
レグルスの座るイスが僅かな動きを、敏感に反応して軋む音を微かに響かせている。
それが耐え切れなかったのか、先に沈黙を破ったのは勿論ユリアンだった。
「おい。聞いているのか。レグルス」
接客用ソファーから、怪訝そうに声を掛ける。
そんな彼に、レグルスは背を向けて相変わらず窓の外を見詰めながら、静かな口調で威圧した。
「貴様こそ、某に能力事を相談したくば部分的ではなく、もっと全面的に状況を説明しろ。でなくば、貴様の心に探りを入れるぞ」
「う……っっ!」
レグルスから指摘され言葉を詰まらせたユリアンは、額から汗を噴かせて気まずそうにこの鋭い後輩の背後を、ソロリと盗み見る。
その視線に気付いてか単なる偶然か、レグルスはゆっくりとイスを正面に戻しながら、言葉を続ける。
「お前が抜かしている状況。心当たりがあるが、そうなるには根本的にある条件が揃わねば、そのような事態を引き起こしたりはせぬのだ。某が言わんとする意味は、理解出来ような? よって、ここは諦めて白状致せ。この浮気者。どうせ妻との愛も冷めているならば、この際別に大した問題でもないのではないか? 例え相手が、己の子と同い年であろうともな」
レグルスは低い声で静かに悠然と言ってから、底悪な目付きで無表情のままこの先輩を白々と見遣った。
「いや! 待て! 違うんだ! 断じて決して彼女に手出しはしていない! 本当だ!」
ユリアンは必死な形相で、レグルスが鎮座するデスクに大慌てで駆け寄ると、まるで縋り付かんばかりに言い散らす。
「……では焦るな。落ち着け」
デスクを挟んで自分に迫るユリアンの勢いに、レグルスは思わず身を仰け反って渋面する。
そしてこのあからさまに分かり易い反応を見せるユリアンに、レグルスは内心先輩苛めが楽しくなってきたらしく、さり気無く弄ぶ。
「まぁ、同じベッドに寝たのは、確かであろうな。触れ合わぬ限りはそうはならぬ事だし、夢魔であるお前の場合は、共に眠らぬ限りはとても予知夢には相手も辿り付けぬ」
そう言ってくる、この余裕気な後輩の態度にユリアンは悔しそうながらも、その顔を染め上げる赤面は隠せない。
そうして気まずそうに睥睨してくるユリアンを、レグルスはとぼけたように見遣る。
「構わぬぞ。言いたくなくばな。誰しも人には言えない情事、いや、事情があろだろう。どちらが良い。このまま某の協力を打ち切って、己で調べるも良し。口頭で説明するより、手早く某に心を探られるのも良し。その代わり後者だと、お前の邪気まで拾い兼ねぬのかもなぁ?」
わざとらしく言葉を取り間違えながら、悠然と訊ねるレグルス。
情事と事情では随分な意味の違いだ。
それを更に慌てながら口出しするユリアン。最早無実にも関わらず動揺は隠せない。冤罪で捕まりそうなタイプである。
「いやいやいや、邪気とかそんな事言うものではないぞ。レグルス! 仮にもあの子はうちの子供と同い年。独身のお前には分からないだろうが、そんな子供同然の娘に恋慕的心境を抱くなど、人の親としては余りにも恐れ多く、恥深い」
「……誰もそこまでの意味で、口にした訳ではなかったが。そうか。恋慕的心境か。いやはや。独身の某よりか邪道だな、確かに。このロリコン」
白々しく言い放つ生意気な後輩に、ユリアンは賺さず呆れ顔で言い返す。
「お前が言うかレグルス!? お前に言われたくはない!!」
「……某をロリコン呼ばわりするか。我が女は立派な成人した女性だ。この人の親風情が」
「正確には“育ての親”だ。実子ではないからな。仮に何かしらあったとしても、この際セーフだ。あの子も成人している」
「だから風情と言っておろうが。もう少し日本語を嗜んだ方が、宜しいのではありませんかな? ユリアン先輩」
「何が先輩だ。白々しい。全く以って愛嬌のない中年後輩だ」
「ふん」
いい年した二人の男が、なんとも程度の低い事で揉めていた。
結局この二人、何だかんだでやはり仲が良いのかも知れない……。
「え? ウェルズさんが死ぬ夢を見た上に、夢で見た通りの頼みを、母親が聞いてくれただって?」
一方、こちらは纏依のマンション。
後輩の話を聞いて、ギョッとした顔で纏依はあやめに、オウム返しをする。
「そ。ウェルズさんの部屋で、昨夜ヤケ飲みしちゃってぇ、そのまま酔い潰れたらしくて目が覚めたら、ウェルズさん抱き締めて寝ちゃっててぇ! キャハハハ!!」
あやめはまるで他人事のように、コロコロ笑って言ってのける。
「その状況で、よく無事だったな……」
纏依は内心、“あのレグルスの先輩なのに”などと密かに思いながら呟く。
「ヤダなぁ! 何もある訳ないじゃないですかぁ! だって私とウェルズさんとは、親子の関係を約束している仲ですよぉ!? 父親が娘に手を出したら犯罪でしょう?」
そんな調子のいいあやめを、纏依は眉宇を顰めるとリビングで座椅子に座り、出してあるコタツに足を突っ込んだ姿勢で、冷静にあやめへ言いやる。
「お前それマジで言ってたら、相当のバカか自己中かのどっちかだぞ。仮にも流れで付き合った彼氏に、処女をやった立場だろうが。あんまりとぼけた態度取ってると、後で痛い目に遭うのは自分だぜ。あやめ。分かってんだろう」
ズバリ容赦なく先輩に指摘され、さすがのあやめも思考回路を切り替えて、落ち着くとホットココアの入ったカップを両手で包みながら、同じくコタツに入った状態で静かに答える。
「クス。本当に大丈夫ですって。そこまで私、腹黒いつもりはありませんから。素直にウェルズさんを第二の父親として、慕っているつもりです。男女として意識していたら、ウェルズさんに申し訳ないでしょう? 同じ年の子供を持つ父親なんですから。いやでも、さすがに酔ってたとは言え目が覚めた時、ウェルズさんを抱き締めて寝ていたのは、マズかったと反省はしていますけどね」
あやめは気まずそうにチョロリと舌を出すと、ヒョイと肩をすくめて見せた。
「そこまで理解してんのならいいけどな。余り思わせ振りな態度取るのも、ウェルズさんに失礼だぞ。もう少し行動控えろよ。彼の方が俺達よりずっと大人である分、バカには出来んからな」
しかも彼は、能力者なんだから。そう密かに内心付け加える。
「はぁ~い……」
あやめは纏依に静かな口調ながらも叱責されて、改めて反省して気まずそうに俯く。
「でも、まぁ……その状況で、そういう内容の夢を見たって、事は……」
纏依は座椅子に身を委ねて、顎に手をやって小さく呟いた。
共鳴だ。俺とレグルスの仲がそうであるように、あやめとウェルズさんはつまり、呼応し合う仲……。
だからやたらと、あやめも無意識の内に彼に引き寄せられるように、懐いてしまうのだろう。
しかし何故だ。彼には奥さんもいて家族もいる、一家庭の父親だ。
それが今更あやめとフィーリングが合うって事は、あの男、奥さんと結婚はしているが共鳴し合うまでの相手ではなかった、という事か?
うーん。能力者って世界はよく分からん。後でレグルスにこの事を相談してみよう。
纏依は思った。
レグルスは、ユリアンから事の成り行きを詳しく聞いて、呆れながらも納得した。
だが敢えて、共鳴、呼応、同調の内容までは伏せておき、ひとまず適当に上手く話を作って誤魔化しておいた。
なぜならあくまでユリアン自身、あやめへの恋愛感情より親子としての絆を、尊重したがっているようだったからだ。
自分は例え冷めても家庭があり、同じ年齢の子を持つ父親の立場として、身分を弁え控えているようだった。
しかも彼は一年以内に死ぬと、運命から宣告されている身で、簡単に恋愛などへ現を抜かせないとも思っているらしいからだ。
下手に誰かを愛しても、その者を悲しませて死に行くのは、やはり忍びないだろう。
なのでレグルスは、彼の気持ちを鈍らせ動揺させないように、気を使ったのだ。
「成る程ね。だからあやめとウェルズさん、フィーリングしちゃったんだ……」
纏依はレグルスから、ユリアンの家庭の事情を聞いて漸く謎が解けたらしかった。
つまりユリアンにとってはあやめこそが、運命の相手だったと言う事になる。
「俺はてっきり、フィーリング適応者はそこら辺にいくらでも転がっているものかとばかり、疑っちまったぜ」
自分勝手な思い込みと勘違いのクセに、纏依は俄かに目をギラつかせてベッドに腰を下ろしている、隣の彼を睥睨した。
「……何だその目は。つまりこの某が、他にも合う同調者がいたら簡単に、その者に心移りすると疑ったとでも、そう言いたいのかね」
「いや、別に」
ツンと済まし顔で、同じくベッドで彼の隣に座る纏依は、そっぽ向く。
「の、割には言動にトゲがありますな。構わぬぞ。疑いたくば疑うが良い。所詮そなたの某への信頼度は、その程度という事を証明するだけの事。だとすれば某としては、とんだ期待外れの娘であったと言う事だ。存じているかね? 相手を疑う。これ即ち己にも同じ行動を取る確率が高い故、相手を同じく疑う事を」
「何? それって、俺がレグルス以外の男と浮気する気があるって、そう言いたいのか?」
纏依は賺さず反応すると、驚いたようにレグルスの方を向く。
そんな彼女を無視して、レグルスは前を向いたままサラリと受け流す。
「さて。どうであろうな。ただそういう要素が含まれていると、心理学でも紹介されているのを述べたまでの事」
すると途端に纏依は呆れ顔に、溜息雑じりで吐き捨てた。
「何だよ。お得意の人文科学からの抜粋かよ。教養からではなく、自分の考えを纏めて意見したらどうなんだ」
「そなたから先に某を疑ってきたのが、心外だったまで」
レグルスは冷ややかに言い放つと、チラリと横目だけで纏依を睥睨する。
「う……っ! だ、だってレグルスを誰にも渡したくないから、つい不安になっちまったんだもん! 他にも同調者がいるなら、ヤダなって!」
「人間不信、ここに極まりですな」
レグルスはふとこちらを向くと、その目に掛かった漆黒の髪の間から、無表情のまま黒い瞳を覗かせる。
彼の言葉にカチンと来ながらも、このレグルスの姿に思わず胸が高鳴る纏依。
カッ、カッコイイ……! 何て渋さを見せるの、このオジサン!!
とここまで思って、ハタと我に返ると慌てて頭を振って今は余計なトキメキを、必死に追い払う。
「な、何だよ、何だよレグルスのバカ! 俺の気持ちも知らないで! きっ、嫌いだ!! レグルスなんて大嫌い!!」
こうなったら女の、いや? 違う。纏依個人の意地である。しかし。
「嘘を吐け。そなたの気持ちなど、手に取るように分かる。何せさっきからそなたは感情を某の中に、叩き込んでいるのでな」
「あ」
情けない声を出して、顔を上げる纏依。
そういえば感情的になると、放出された心がレグルスに届いちまうんだっけ……。
途端、纏依はカァッと顔が赤くなる。
レグルスは意地悪そうな顔を纏依に向けて、悠然とベッドの上で組んだ足に肘を突いて、頬杖している。
そしてその低い声で無表情のまま、静かに囁いた。
「そなたの熱いメッセージ、しかと受け止めた」
「レ、レグルスのイジワルッ!! やっぱり嫌いだ! 能力者って、こういう時にズルイ!! 少しは無能力者な人間の意見を尊重しろ!!」
纏依は喚くと、恥ずかしさの余りその場から逃げ出したい衝動に駆られ、慌てて立ち上がる。
「今更遅い」
レグルスは体を動かす事無く、纏依側にある左腕を伸ばすだけの動きでパシッと彼女の腕を捕まえると、一気に引き寄せてそのままベッドに押し倒す。
「キャア! ヤ、ヤダヤダ! 何か無性にムカついてきた! このままされるがままになって、なるものか!!」
レグルスに腕を塞がれた状態で必死にもがく纏依を他所に、ゆっくり纏依の乱れた前髪を片手で掻き上げながら悠然と静かに言い捨てた。
「時期にその不満も、快楽に変わるだろう」
纏依は、上に覆い被さっているレグルスを押し退けようと力を込めるが、ビクともしない。
「痩せ我慢致すな。逆効果ですぞ」
「――――んん……っ!」
「おや? 今何か、鳴きましたかな……?」
「ん……っっ」
レグルスに意地悪く囁かれて、慌ててまた纏依は口を噤む。
そんな纏依の反応に面白がるレグルス。
ついに吐息と共に、心からの声が零れ出る纏依。
「随分可愛らしい声が、漏れましたぞ……」
「バカ……もう我慢出来ない……レグが欲しい……」
纏依はレグルスに両腕を回すと恍惚と囁き返す。
その艶めかしい彼女の表情に、すっかりレグルスの理性も溶けてゆく。
「某の勝ちだ……」
「愛してるレグ……」
纏依はレグルスからのキスを夢中で貪ると、待ちに待った彼を受け入れるのだった……。
本中にある心理学の抜粋。
『相手を疑う事は自分にも心当たりがある』
これは誠ですよ。フフフフ……ww。身に覚えがなければ、まずそんな邪気すら浮かばないものだからです。ふふww。