3:トラブレイカブルズ
レグルスは職員用出入口の戸締りをすると、背後で松葉杖一本に頼って突っ立っている纏依を振り返る。
「? まだ何か御用ですかな?」
彼はそんな彼女へ、無愛想に低い声で投げやる。
「べっ、別に! 何だよ! 一応世話になったから礼だけでも伝えて帰ろうと思ったけど、もういいや。やっぱ。じゃあな」
纏依はムッとした表情をすると、ヨロヨロと彼に背を向ける。
「生憎こちらは世話を掛けた覚えはないが、そなたに迷惑は掛けられた身ではありますな。礼よりも寧ろ、謝罪して頂きたい」
レグルスの抑揚のない単調なその言い方に、ピシリと纏依は凍りつく。
「は、はい? 今何か、クソムカつく事でも言いました? おっさん」
「……小娘。いい加減某をそういう下品な呼び方にするのはやめてもらいたい。“館長”だ。それも含めて謝罪したまえ」
レグルスは無表情のまま、自分より小柄な纏依を冷ややかに見下す。
「ケッ! 誰が! あんたが俺への小娘呼ばわりをやめるまではおっさんだ!」
「それはそなたが名乗らぬ限り、こちらも同じ事ですな。ではこれにて失礼する」
レグルスは冷たく吐き捨てると、プイとそっぽを向くやサテンの黒コートを翻して、足早に駐車場へと歩き去った。
「……つくづく傲慢なジジイだ」
纏依は手元に抱えた数冊の本を持ち直すと、ヨタヨタと遅い足取りで帰路へと向かい始めた。
ヨタヨタ、ヨタヨタ、ヨタヨタ……。
「くっ、ハァ……ハァ……こいつぁ家に着く頃にゃあ夜が明けるな」
立ち止まっては、ブチブチと愚痴る。ヨタヨタ、ヨタヨタ……。横断歩道に差し掛かり、何とか信号が変わる前に渡り切ろうと必死になる。
するとカーブしてきた車に側面から上向きライトを向けられたので、イラッとしながら眩しそうにその車の方に顔を向ける。それに合わせるようにその車も下向きライトに切り替える。
黒のクラウン新型。そこの運転席には見覚えのある中年の顔が、白々しくこちらを蔑視している。
「くぅーーーーーっっ!!! ハ・ラ・立・つーーーーっっ!! 来週また行った時、館長宛へのクレームを受付で垂れ流してやる!!」
低劣な悪口雑言をブチブチと口にしながら、懸命にジタバタと横断歩道を渡り切る。その背後をレグルスの運転するクラウンが通過していく。
纏依は天辺来ながら、ゼェゼェ荒い息をひとまず立ち止まって、ゆっくりと整えた。チクショウ……。本来なら秋の夜風で心地良い筈なのに、足がイカレたせいで無駄に汗が出やがる。暑い……。
そうして少し涼んで掻いた汗を引かせると、再び前進を開始する。ヨタヨタ、ヨタヨタ、ヨタヨタヨタヨタ、ヨタ……あれ? こんな所に壁なんてあったっけ……と思いながら、目前を塞いでいる真っ黒い物体を見上げていくと……。
「遅い。一体たかがここまで来るのにいつまで掛かっている。無駄に某を待たせないでもらいたいものだな」
予想外のレグルスの姿に、思わずポカンとする纏依。
「……何やってんだ? こんな所で」
キョトンとしながら纏依は、長身で顔以外は全身黒一色の彼を見上げる。
「何も言わずに黙って乗りたまえ」
レグルスは低い声で静かに彼女を車に促がした。纏依は一瞬躊躇ったものの、このまま意地を張っても損するのは自分だ。ムカつきながらも渋々彼の言葉に従って、後部座席のドアに手を掛ける。
「図々しくドッカリ後ろに鎮座しようとは、随分大きく出ましたな。某の車はタクシーでもなければ、社長用送迎車でもないのだが」
……いちいちマジムカつくジジイ……。プチプチと血管にキながら、顔を引き攣らせて応酬する。
「いや〜ぁ。だって助手席ってぇのは、普通特別な相手専用だったりするだろ。ま、あんたの場合は奥さんの専用席だろうから、俺は遠慮……」
言葉が終わらない内に、突然助手席のドアをレグルスは開け放つや否や、脇にいる纏依から松葉杖を取り上げて、ポイと車内に彼女を放り込んだ。
「うわ! 何すんだ! まるで拉致るような真似……」
相変わらず文句を並べ立てる彼女の言葉を最後まで聞かずに、バタンとドアを叩き閉めると足早に運転席へと回り込み、ドアを開け松葉杖を後部座席に放り込んで自分も乗り込んだ。
「シートベルトをしたまえ」
レグルスが手早くシートベルトをするのを見習って、思わず纏依も慌ててシートベルトを装着する。そしてクラウンは静かに発進した。
暫く無言の車内。
先に口を開いたのはレグルスだった。
「このままそなたと朝までドライブなんぞ、御免被るぞ。さっさと行き先を言いたまえ」
「あ……えっと……○×町の△□マンション……あの並木通りにある……」
唐突な事にボヘッとしたまま、ボソボソと纏依は口にする。
「中心区ですな。電車で図書館まで通っておられるのか」
「ん、まぁな。何か……また面倒掛けるようで申し訳ないな。家族が帰りを待っているだろうに」
珍しく纏依は彼を、その家族を申し訳なさそうに気遣う。
「……要らぬ世話だ。そんなモノに執着を持つほど人恋しくは思わぬ」
レグルスは冷ややかに言いながら、ハンドルを切る。
「じゃああんたも一人なのか……」
「同意的な表現だな。と言う事は、そなたも一人身と言う事ですかな?」
「……」
沈黙する纏依。瞬間、レグルスの頭の中に雑音や断片的な映像が流れ込んできた。
「!?」
しまった! この娘、苦悩損壊者か!? レグルスは顔を歪めると、車を停止させて片手で顔を覆い隠す。
「? どうしたんだおっさん。何か苦しそうだぞ」
纏依が彼の顔を覗き込む。レグルスの様子に我に返ったらしい彼女の心情の波は納まったらしいが、まだ余韻が彼の中に介入してくる。
レグルスは急いで車外に出ると、なるべく纏依から離れる。そして漸く彼女の残像思念から逃れると、大きく嘆息吐いて夜空を仰ぎ見た。
まさかこの娘の人生にこれ程までの強力な苦痛が存在していたとは……。しまった。余計な者を拾ってしまった……。レグルスは纏依との出会いを後悔する。
そう。彼は人の心の声や過去などを、見聞きする能力を持っていた。しかしそれは、自分から意識を飛ばさない限り、普段は能力が開眼する事はない。
だが、強力な感情を近くの人間が意識すると、その強力な思念がレグルスの思いとは関係なく、彼の中に流れ込んでしまうのである。
ただの喜怒哀楽程度なら別に彼も受け流せるが、それが心情深いものになると相手と同じ心境に陥ってしまうという、悪影響を及ぼしてしまうのだ。
あの娘……しかも某と似た過去を持っているのか……。厄介だな。これでは嫌でも波長が同調して超能力が反応してしまう……。早いところ切り捨てるに限る。
レグルスは思うと、ひとまず冷静さを取り戻して再び車内に戻った。
「何だ。病気持ちか。まぁ年を取れば人間、病気の一つや二つ出てくるよな」
「……まだそこまで耄碌してはおらぬ」
纏依の無神経な言葉に、ついムッとするレグルス。そして再び車を発進させた。
クラウンは纏依のマンション前に到着した。
レグルスは松葉杖を手にして外から回り込み、助手席のドアを開けて降車を促がす。纏依は松葉杖を受け取ると、「じゃあ」 と一言だけ口にしてヨタヨタとマンションへと向かい始める。
彼はやっと彼女から解放されて安堵感を覚えると、運転席へと戻りかけた。
「あの!」
呼び止められて、怪訝な顔をして彼女を振り返ると、纏依はムッツリしながらも意を決したように口を開いた。
「ありがとな! 送ってくれて!」
彼女のその言葉と一緒に、初めて纏依の喜びの感情がレグルスに流れ込んできた。恐らく彼女の人生の中で、初めて受けた自然な嬉しさだったのだろう。そのせいか、今の心情が強力に作用したのだ。思わず彼は、そんな彼女に目を見開く。
「……うむ」
レグルスは無表情のまま車に乗り込むと、その場から走り去った。気恥ずかしさを覚えながら。
バックミラーには、いつまでも見送る纏依の姿が映っていた……。
苦悩損壊者。
これは妃宮が勝手に作った造語です。ミックス語?ww。 実際にはこの言葉は存在しないので、架空のものであり、登場する団体名、地方都市は一切関係ありませんww。 意味不明…。