25:闇に染まりし輝きの先にあるもの
ユリアンはレグルスの予想通り、閉館まで彼が出てくるのを待っているつもりのようだった。
たださすがに車に一日中張り付く事はなく、現在は例の庭園に身を置いていた。
まさかそこが、館長室から見える場所とも知らずユリアンは物憂いな表情で、池に泳ぐ鯉や水鳥にパンくずを与えている。
一体いつまで付き纏うつもりだ。あの男……。
レグルスは、こちらに背を向けているユリアンを不快そうに睨みながら、嘆息吐いて思う。
纏依も、もうレグルスを通して彼の姿を知っているのもあり、デスクの端にチョコンと軽くお尻を乗っける形で、同じくユリアンの様子を無言で見詰めている。
すると突然、ユリアンが上半身を屈折させて口に手を当てながら、体を弾ませ出した。どうやら咳き込んでいるらしい。
そしてもう片方の手でハンカチを取り出すと、肩で息を切らしながらその手の平を、見詰めている。
こちらに背を向けているので、手の平の状態はこちらからも窺い知る事が出来た。そこには、赤い液体が付いていた。
それをユリアンは、グイとハンカチで拭う。
レグルスは眉宇を寄せた。
吐血? 白血病か? いや、そんな奴が、ここまで来れるはずがない。
レグルスは、軽くユリアンに向かって意識を集中させて、心の中を探ってみる。主に吐血の原因をピンポイントに置いた。
すると見えたのは、予知実行の失敗でリスクの反動を繰り返し受けた為に、ついに体を壊したのが原因らしかった。
この体になって、もう二年は経過しているようだ。吐血が直接的な死の原因ではなさそうだ。
単なる自業自得か。これで奴は能力の一つ、予知実行はもう使用不可能な訳だ。
レグルスは思った。
つまりユリアンが今、使用可能な能力は二つしかない。ただの予知夢と、予知夢侵入だ。
だが侮れない。
無力化するリスクを負う分この“侵入”が一番厄介である事を、レグルスは人生を犠牲にされてまで、篤と味わっている。
どうして彼が死ぬのかという原因までは、敢えて探るのを避けた。
余計な情に流されたくなかったからだ。
ひたすら奴を憎む。その為ならユリアンが死ぬ事さえ厭わない。今までそうして、過ごしてきたのだ。今頃になって、長年培ってきた考えを覆す訳にはいかない。
どうせ自分は、魔王と称されるまでになった男だ。そうさせてくれたのはユリアン、貴様のお蔭でもあるのだからな。
ならば一層、魔王なら魔王らしく、その生みの親でもある嘗ての友を潔く見殺しにするのが、魔王の務めと言うものだ。
そう静かに思うレグルスに、突然横槍が入った。
「それでいいんだな。本当に」
レグルスは、はと我に返り纏依を見ると、いつの間にか彼女はレグルスの肩に手を置いていた。彼に波長を合わせた纏依は、レグルスの能力を借用して彼の心を読んでいた。
「……そなたならどうする。同じ立場だったら」
そんな彼女の行いを咎める事無くレグルスは、そのまま纏依に静かに訊ねる。
すると纏依はスッと彼の肩から手を下ろして、視線を落とす。
「俺は……初めから親友は愚か、友人と呼べる者もいなかったから、分からない。でも……正直俺は、レグルスを羨ましく思う」
「羨ましく、だと……?」
思いも寄らない彼女の言葉に、レグルスは理解に苦しんだ。
「ああ。確かに今更死ぬ前になって懺悔だなんて、都合いい奴かも知れない。自分よがりでしかないのかも知れない。それでも最後の最後で、人生の終わりに思い浮かべた悔いや未練の対象の人間が、レグルス。あんた自身である事を。少なくともレグルス、あの男から確かに貴方は思ってもらえている。嘗ての友としての、後悔をな。俺には恐らく持ち得ない存在だよ」
そう言いながら庭園のユリアンを見てから、レグルスを見詰め直した。
「……ならばそなたは万が一、己を虐待し嫌悪した叔母が、許しを請いにそなたの元を訪ねて来たら、どうだね。許せるのか」
レグルスは自分の座る回転椅子をギシッと軋ませて、纏依の方へと向き合うと無表情の顔を向けて、静かに問うてみる。
すると纏依は、躊躇いもせずにスッとレグルスへを体を向けると、何を言ってると言わんばかりに小首を傾げて、ふと笑って言った。
「元々親友で兄弟の様に仲が良い関係は、俺の場合そこには存在しない。だから、生涯を賭けて恨みきれる。俺が言ってるのはそこだよ。レグルス。生涯を以って恨みきれるのかと言う事だ。もし自分が死ぬ時になって、後悔はしないかと言う事だ。俺の場合は当然ながら後悔など存在しない。寧ろ相手が死んだと分かって死ねるなら、気が晴れる。だがレグルスの場合はそうじゃないはずだ。一度は二人の間に確かな絆と輝きがあった。レグルスが死ぬ時にはあの男は先に死んじまって、もうこの世のどこにも、いやしないんだぞ。俺はあいつを同情する気は毛頭ない。理由はただ一つ。レグルス。私の愛する男をもし死ぬその瞬間に、後悔や未練を抱えたまま死なせてしまいたくないと言う事だ。ただ、それだけ」
纏依はここまで言うと、ポンとデスクから降り立って、今度はソファーへとゆっくりと歩を進めながら、続きを口にする。
「感情的になるその気持ちは、俺が一番よく分かっている。そうだろう? 昨夜、意識侵入にてレグルスのその体を共有し、精神を一つにさせていたんだから。その時俺も、レグルス自身になっていた。だがこうして我に返ったとき、だからこそ今度は第三者の目で見ることも出来る。それは読心力を扱うレグルス、貴方もよく分かるはずだ。冷静に考えた時に、その先に一体、何が残るだろうなってさ」
そうして振り返り纏依はニッと笑って見せると、ドサッとソファーに身を投げる。
レグルスはそんな纏依の言葉に思わずギクリとすると共に、無意識に全身から汗が一気に吹き出る。
なぜかは分からないが、この時彼女の様子が妙に端厳と見えた。
思わず椅子から立ち上がるとレグルスは、ソファーの纏依へと歩み寄り隣に腰を下ろすと同時に、彼女を抱き寄せ強く抱き締めた。
視えない何らかの力に押し潰されそうな圧力を感じて、彼女に縋りつきたくなったからだ。
そんな彼を、纏依もしっかりと抱き締め返した。それを感じて、レグルスは恐る恐る口を開く。
「あやつの抱えたままの後悔と未練を、このまま無視すれば次は某がそれらを引き継ぐ。そんな気はしていた……」
「クス。ほらね。それがきっと、元々は親友から始まった仲の、違いなんじゃないのか?初めから敵な奴にそんな感覚は覚えない。ね。だからレグルス。貴方を羨ましいと思うんだ。私では手に入らなかったモノを、持っている。一度は失った、輝きを……」
お互い抱き締めあったまま、言葉を交わす。
「すまなかった」
「どうして謝るの」
「某の心の弱さ故に、そなたにそのような寂しい思いをさせてしまった……」
「何言ってるの。今はもうレグルス、貴方がいてくれる。平気よ」
「感謝する纏依。そなたのお蔭で気付かされた」
「レグルス……」
二人はまるで申し合わせたように体を離すと、引き寄せられるようにキスをした。ゆっくりと、軽く口唇を重ね合わせてから改めて、たっぷりと口唇を密着させる。
そしてやがて口唇を離すと、纏依はフワリと微笑んで言った。
「ほら、行っておいで。後悔しない為に」
レグルスは無言のまま首肯して立ち上がると、もう一度纏依に口づけをしてからしっかりと彼女と視線を絡ませて、素早く踵を返すと足早に館長室を後にした。
「俺の友情育成は、まだまだ今からだ。世話のかかる後輩でもあるがな」
纏依はレグルスが出て行ったドアを見詰めながら、そう静かに呟くと嘆息吐いた。タイミング良く大学で星野あやめが、くしゃみをしているのも知らずに。
更に一方その頃、ユリアンは吐血のせいでゼイゼイ息を切らして地に両手を着いた姿勢で、目前にある池でエサを求めて口パクさせる鯉と、熱く熱く見詰め合っていた。
「こんな体になると分かってさえいれば、いくら若気の至りとは言え予知実行荒しなんか、調子に乗ってしやしなかったと言うものだ。自分自身の予知は不可能だからな。死ぬ前の一度っきりしか」
本当にレグルスの読心通り、自業自得によるお粗末な結果だった。若い頃は誰しも野望を高く持つと言う物だ。
ユリアンはぼやきながら嘆息吐いていると、次は鴨達が寄って来てガアガアうるさく、彼にエサの催促をするのだった……。