19:魅惑な講師に恋をした女学生
国立大学、午後のとある授業の風景。
「……うん……そうだな。例えば君は……生き物を見る時にまず初め、どこを見る」
「えっと、目……でしょうか」
その女学生は若干顔を赤らめながら、小声で返事をする。
「そうだな。その時その目を見て、何を思う。何を感じる。何を……判断する」
「その……」
女学生は背後から耳元で静かにそう言われて、戸惑いを覚える。
「私なら、心を感じる。そして……ほら、見てご覧」
「え?」
女学生は相手に言われてキョトンとしていると、クイッと頬に優しく手を当てられて、相手の方を向かせられる。なので彼女は背後を振り返る形になった。
そしてその相手は、右手で彼女の左頬に手を当てたまま、その女生徒のつぶらな瞳を、ジッと見詰めた。
「私は君から、“生”を感じる」
「……せ、い……?」
彼女の胸は大きく高鳴る。相手の顔は目の前なのだ。その凛々しい顔に、ときめかないはずがなかった。
「そう。生命の“生”だ。どんなにその者が心の状況次第で死んだようにしていても、目は生きているものだ。目は口ほどにものを言うとの言葉があるようにな。苦痛を思う者は、それを目で語る。希望を抱いている者の目は、輝いている。今の君の目は、私から見ると……そうだな。清純さを感じる。汚れなき美しい目だ。君から見て私の目は、どう見える」
その者は静かにそのハスキーボイスで優しく囁くと、ふと微笑を見せた。
「あ……その、ち、知的に見えます!」
「知的に? この私がか? ク! クスクス……有り難う。そう言ってくれたのは、君が初めてだ」
相手は笑って答えると、スッと彼女から離れて円陣を組んでいる十数人の生徒達の周りを、改めて外側からゆっくりと歩き出す。
「そのつもりで目に気持ちを込めると、それだけで全ての雰囲気が随分大きく変わる。勿論、デッサンも大事ではあるけどな。それを重要ポイントの一つとして、心に留めておくと、動人物画に命を吹き込む近道となる。覚えておいて損はないはずだ」
その時丁度、授業終了のチャイムが鳴り響いた。
「さて。時間だ。本日は改めて私の授業に参加してくれたみんなに感謝する。それでは以上だ」
すると参加生徒達から一斉に拍手が鳴り響いた。
「有り難う。私からも、今後の君達の活躍に期待している。じゃあ解散!」
その講師は言うや、パンと手を叩いて終了を告げてから、教壇の上にある白いシーツをバサリと豪快に取り上げた。
そしてそれまで円陣を組んでいた生徒達の中央で、裸体姿でモデルをしていた女性がいる段に上がって、手早くそのシーツを掛けてやる。
「有り難う。ご苦労だったね。大丈夫だったか?」
「はい……一応こうしたモデルは専門ですから」
「しかし女性の身で公衆に裸体を曝すのは、例え慣れや自信が付いたとしても、毎回その場の雰囲気が同じとは限らない分、ストレスも多いはずだ。早々に着替えて、暫くリラックスして心落ち着かせる事も大切だ。是非そうするといい」
その講師は優しく女性モデルを気遣いながら、手を取って一緒に下へと下ろしてやる。
「はい。ご親切なお気遣い、大変恐縮です。有り難う御座います先生」
「何も恐縮がる必要はない。相手が女性である以上、当然の事をするまでだ。自分を大切にな。では失礼」
講師はモデルの両肩を軽く叩いて微笑むと、素早く踵を返して足早に廊下へと出る。その背後を賺さず、三十代くらいの男性が追い駆けて来た。
「先生! この度はこちらの勝手な依頼をお引き受け頂き、誠に有り難う御座いました。さすがはプロだけあって教え方が一味違います。またいつかゲスト講師、是非宜しくお願い致します」
「いえいえ。こちらこそ描く事しか能がなく、他に何の知識も取柄もない無学なこの私などを、ゲスト講師として迎えて頂けただけでも光栄の極みです。寧ろ果たしてきちんと講師役を務められたのかが、一番の不安要素ですよ」
二人は廊下を歩きながら言葉を交わす。
「この前の先生の個展を訪ねさせてもらった時、先生こそに是非一度ゲスト講師をお願いしたいと思ったんです。先生とお知り合いになれて、こちらこそ光栄ですよ」
「はは……。大して自分と年層の変わらない生徒に、生意気にも弁を振るうなど、初めはとても恐れ多く思ったものです。本件の事は改めて、あなたに私の存在を紹介しゲスト講師に勧めた…… ―――――― 人文科学のスレイグ教授に、お礼を申されたら良いでしょう」
そうその者は静かなハスキーボイスで言うと、フッと微笑を見せて立ち去って行った。ミリタリーファッションに、メタリックシルバーのロングジャケットを颯爽となびかせて。
その姿を、先程その講師から身近で教えられた女学生が、密かに見送っていた……。
「あやめー! ね! ね! どうだったの!? あのゲスト講師の授業! 今美術教授と話しているところをすれ違ったんだけど、言動から仕草から声から見た目からセンスまでもう超イケメンってカンジじゃーん!! あー! あたし専攻してないけど、一日体験を理由付けて参加すれば良かった〜ん!!」
一人のその女学生の友人であろう、別の女学生が駆け寄ってくるや、そう捲くし立てた。
「純粋だって……言われた」
「え?」
「君の目は……汚れなき美しい目で……純粋だって、目を見詰めて言われた。こう……顔に手を当てられて……」
あやめと呼ばれた女学生は、ポーとしながら呟いた。
「えーーー!? あんたもうタッチ&口説き落とされたのぉ〜!? いいなー! うっらやましー!! もしかして、結構軽い男なのかな!?」
「そうじゃない。あくまでも生徒として講師の上でそう言われたの……。授業の一環として……。でもどうしよう……。忘れられない! あんなに熱く優しく見詰められたの、あたし初めてで……! ……恋、しちゃったカモ」
あやめは顔を真っ赤にさせて両頬に手を当てながら、友人に告げた。
「キャーーー!! 何だかんだであやめってば、しっかり面食いじゃ〜ん! ちょっと! ゲスト講師なら次いつ会えるのかも分かんないわよ! 声掛けるんならもう今日しかないって!!」
「え、ヤダ! どうしよう! あたし……」
「バカね! メルアドとかメモッた紙を渡して逃げるよ! あとは運次第! 返事が来ればその気あり。なければアウト。分かった!?」
「う、うん!!」
あやめは大きく頷いた。
「あー! ったく! レグルスが余計な事吹き込んだせいで、慣れない事してマジ肩凝ったよ! 一気にドッと疲れが出たぜ」
纏依は自分で肩を解しながら、先を歩くレグルスに文句を言う。
「そなたも良い経験になったであろう」
レグルスは低い声で静かに意地悪そうに言いながら、駐車している愛車の黒いクラウンの運転席に乗り込む。
「まぁな……。人に自分の趣味を教えられる腕が、思いの他ある事に気付く事は出来た……」
「先生! 待って下さい先生!」
背後から聞こえる女学生の声に纏依は振り向く事無く、さっさと車に乗り込んでいるレグルスに視線を向ける。
「おい。レグルス。呼んでるぞ。さっさと車から……」
しかしレグルスは無表情のまま一切降車する気もなく、纏依の背後の様子を伺っている。
「在里 纏依先生!!」
「え? ……俺?」
纏依はキョトンとして自分自身を指差し立ち止まるのを、レグルスがフロントガラス越しに首肯する。
ゆっくり振り向いて見ると、そこには息を弾ませているあやめがいた。
「……おや。確か君は、私が授業で詳しく説明をした生徒だったな。どうした一体。大丈夫か?」
纏依は息を切らして前屈みをしているあやめを労わるように、そっと両肩に手を置いてから背を反らす姿勢で、顔を傾げる様に彼女の顔を覗き込む。
すると姿勢を戻して改めて、纏依と向き合う格好になっている事に気付いたあやめは、カァッと顔を見る見る赤らめる。
「おい。熱でも……」
纏依は眉宇を寄せると、あやめの額に手を伸ばしかけた。が、それよりも早くあやめはバッと折りたたんだメモ用紙を、纏依に差し出した。
「ん? 何だこれは」
「良かったらこれ、その、メル友からでもいいので、あの……受け取ってください!!」
「メル、友……?」
そして纏依がその紙を手にした瞬間、再びあやめは猛ダッシュでその場を走り去って行った。
中には、彼女のメルアドと携帯番号と名前が書かれてあった。
『星野 あやめ。二十歳』
ご丁寧にも年齢まで書いてある。どうせここまで書くならせめてもう一歩、生年月日までしたためて欲しいものだ。
「……おおぉ……!! こ、こ、これ、は……これはぁっ!!」
纏依は目を輝かせて驚愕を露にする。
ちなみに、纏依と言う名の男はこの世に存在する。今時、女性的な男の名前、男性的な女の名前は増えてきている。
男女の区別が名前だけでは判断しにくいものまで、存在するのだ。
「聞けレグルス! 何と彼女が俺と友達になりたいと言ってきた! 俺初めてだよ! そう言われたの! 大学っていいもんだな!」
纏依がはしゃぎながら、クラウンの助手席に乗り込んで来るのを他所に、レグルスだけが事の状況の本意とする現実を、現場の様子を見ていただけですぐに把握出来た。
それだけにレグルスは、余りの愉快さに必死で笑いを押し殺して堪えながら、ハンドルを掴む両腕の間に顔を伏せて、小刻みに肩を震わせていた……。
また変なの出て来た……。さてどう処理する?ww。