12:魔王たる者悩みあらば心で語れ
「じゃ……じゃ……あ……俺が今言った事も、もうレグルスには……」
纏依は呆然としながらも、何とか必死に言葉を紡ぐ。
「自ら覗き見たりはしていない」
そんな彼女に静かに答えると、ゆっくりと傍らに跪いて極力、目線の高さを同じにしようと務めるレグルス。
「だって人の心を覗けるんだろう?」
そんな彼の目を纏依は、何と別に怯えた様子も見せずに真っ直ぐと純粋に見詰めてきた。ただ本当に真実を知りたいという、無邪気な信念から。
今までの人間はこの時点で既に警戒態勢に入っていた。なのでレグルスは、思いの他至って反応のない彼女に、若干戸惑いを覚えながらもひとまず分かり易いように、説明を始めた。
「自らその気になって能力を飛ばさない限り、いつでも日常的に見ていると言う訳ではない。本を読む要領と同じだ。読みたい時はそれを読書するが、そうではない時は本を開く事はない。写真のアルバムでも良い。本を閉じている限りは、永遠に中身を見知る事は出来ないであろう」
「うん」
纏依にとっては実に分かり易い説明だった。心から納得して理解している。
「だがある種類の感情や特別な人間によっては、こちらから見もしないのに勝手に相手の方が、自分のその時の感情や記憶をこちらへ飛ばしてくる時がある。本人は無論、無意識だ。その時は、幾ら某でもその者の側にいる限り避けられない。事故に巻き込まれるようなものだ。どうしても相手の意識が、こちらに強制的に入り込んでくるのを拒否したい場合は、その相手から離れるしか手段がない。事故で言うとこれ以上被害を受けないよう、現場から逃走するようなものだな。更に極端に言うなら、人の色恋の惚気話の聞き役に無理矢理されて、それから逃げ出したくなる気持ちに似ていると言うべきか」
「ははぁ〜ん」
纏依は更に良く理解出来たらしく、深々と納得しているようだったが、ここでハタと思い当たる点に気付いた。
「あれ? じゃあ初めて俺が足を痛めたせいで車で送ってくれた、あの時のレグルスの反応って……」
「如何にも。そなたからの記憶から逃れる為に取った行動だ」
「な、何が見えたんだ?」
纏依は恐る恐ると訊ねる。
「断片的でしか見なかったから、全てを把握した訳ではないが、今しがたそなたが話して聞かせてくれた過去の欠片だな。そなたが何かに怯え苦しみ、悲しむ姿だ。そなたは特殊体質に属するタイプに入るのだ。苦悩損壊者といって、崩壊した人生を生かされている人間達の事をそう呼んでいる。このタイプの場合は、ほんの僅かでも己の心に囚われると、その時の感情や記憶を強制的に放出してくるのだ。今まで余りにも生きてきた人生が辛すぎて、その苦痛を自分の中だけでは処理しきれない。誰かに己の苦しみを分かって欲しいという、いわば俗に言う、この世に未練を残した霊魂に似ている。肉体の有無の違いだ。そして某もまた、そなたと同じ苦悩損壊者の特殊体だが、某の場合は心に扉を作り閉ざす事で、心の放出を食い止めているが……」
本来寡黙であるレグルスだったが、纏依の為に普段大学の教壇に立つ要領で、それから更に詳しい事を説明して聞かせた。尤も、教壇での時よりも随分口調は穏やかだが。
「……じゃあ呼応し共鳴し合う存在同士の俺達は、レグルスと波長が重なり共鳴した時だけ、俺がレグルスに触れていれば、レグルスの体を介して同じ能力を俺まで発揮出来ちまうんだ……」
「然様。だから先週そなたが無意識とは言え、今しがた某がそなたにして見せた意識侵入をされた時は、予想外だっただけに正直参りましたな。油断して閉心力を弱めていただけに、まさかそんな事態が発生するとは某も存じなかったのもあり、動揺させられた。何せ某にとっても初めての経験だったゆえ」
ここまで全てを聞き終えた纏依は、唖然とした。この間、纏依の狭く窮屈な脳内の情報処理分野が、齷齪きって働いている。
最早少し前まで自分の過去を告白して、メソメソ泣いていた出来事などとっくに心の棚の上に投げ込まれてしまっていた。
暫くそんな彼女をジッと見詰めていたレグルスだったが、これは完全に事情を飲み込むまでに、もう暫く時間が必要だと判断した。
「少し……寝室を借りていいか……? ゆっくりと状況を整理したい……考えさせてくれ」
ボンヤリと呟く纏依に、レグルスは首肯するとそんな彼女の手を優しく取り、立ち上がらせる。
纏依は彼にしがみ付きながら立ち上がると、ゆっくりとした足取りで二階へと上がっていった。
その姿を黙ったまま見送ったレグルスは、一息吐くとソファーに身を委ねる。そして暫く黙考すると、再び今度は大きく嘆息吐いた。
そして瞑目すると、意識を集中させ始めた。
そこは夕暮れの川辺だった。ボンヤリと、一人の老人が茜色の空を追懐の面持ちで眺めていたが、ふと傍らに立つ存在に気付いてゆっくりとこちらを向いた。
『んん? 何じゃいお前さんか。久し振りじゃのう。元気そうで何よりじゃが、一体どうなさった。このワシに声を掛けてくるとは』
『突然お邪魔して申し訳ない。しかしこの形でしかも身の上を相談出来る唯一の相手が、貴方しかいないものですから……』
その相手の、よそよそしいながらもどこか近付こうと努力している、まるで関心がありながらもまだ怯えが残る孤狼のような様子に、老人は満面の笑顔で出迎えた。
『気にせんでいい。丁度退屈しておったところじゃ』
『……実は今、どうにも不慣れで某では対処しにくい状況が発生してしまい、戸惑っているのです。一体どうすれば良いのか、初めての事で……分からない』
『ほう? 今更もう何に対しても悩みなど不要そうなお前さんが、珍しい。さては人嫌いのお前さんを好いてきた者が現れたか……いやいや、ならばお前さんの事だから冷たくあしらうはずじゃな。と言う事はその逆か。まさか』
沈黙して俯くレグルス。そう。今彼は、嘗て自殺を図った時に助けてくれた恩人である、老人の元へと意識侵入にて会話中だった。
『正解か。ほっほっほ……。長生きはするもんじゃのう。異国の方よ』
『彼女に某の能力の事を話したら、考えさせてくれと言われた。また……恐れられるやも知れない……』
『お前さんが自ら好意を抱いた女子じゃろう?』
『ああ』
『それは今まで出会ってきた者達とは、明らかに違う輝きがあったからこそ、人嫌いのはずのお前さんの心が、引き寄せられたんじゃないのかね』
『……初めは面倒だと思って敢えて避けた。だがしかし、無意識に彼女を受け入れたがっている自分がいた。どこか彼女が……自分に似ているように思えたのです。心の……精神的な、何かが』
『ならばその女子はそなたの気持ちを察するじゃろうて。お前さんと似た心を持つならば、人の痛みを知っている。お前さんがそうであるように。恐れずに、信じてみたらどうじゃ』
『……そうだろうか』
レグルスは呟くと、老人の心の中の夕焼けを眺めた。今の彼には、この老人の心が描く世界に癒されるものがあった。
『主、暫く見ん内に変わったのう』
『変わった?』
『うむ。人間臭くなった。愛に翻弄されて苦しみ悩む、真の人間の匂いじゃ』
老人の愉快そうな言葉に、怪訝な顔をするレグルス。
『それまでは、死人の様な顔をしておったわ。フォッフォッフォ……。その女子を大事になされよ。彼女が必要だと、思うのであらばな』
『 ―――――――――― 必要だ』
レグルスの心なしか力強い一言に、老人は笑顔で頷く。
『……貴方に相談したら、随分気が楽になりました。やはり訪ねてみて良かった。感謝します』
『礼には及ばん。“生”を得よ。その若さで、死人の顔はまだ早い』
『……貴方こそ、長生きなされよ。ご老人。では、失礼します』
『訪ねて来てくれて有り難うな。嬉しかったぞ。異国の方よ』
老人はニッコリと笑って言った。生まれて初めて言われた言葉だった。心の中に侵入されているにも関わらず、その事を喜び歓迎までされるとは。
思わずレグルスは、老人に親に抱くような愛惜の念を覚えた。自分の両親もこの能力に対して、これだけ寛大であってくれたらどんなに人生も違った事だろう……。
レグルスは、老人に笑顔で見送られながら彼の意識から姿を消した。
意識を帰したレグルスは、一息吐くとキッチンへと立った。
そうしてグラスにミネラルウォーターを注ぐと、今までの緊張によって渇いた咽喉を潤す為、グッと呷った。
と、その時。
「じゃあひょっとしてもうレグルスは俺の胸にある焼印の事も知ってるのか!?」
突然背後から現れて息づきもせず、一気にそう捲くし立ててきた纏依の言葉に、さすがに冷静沈着の彼は水を噴き出すと、そのままむせ返ってしまった。
「しっ、知らぬ……っっ! ゲホゴホ!! そこまで覗き見する程、ゴホ! 某変態ではないわ……っ! ゴホ! 某の能力への真っ先の不安の言葉がそれか……ゴホゲホ!!」
肩まで長い黒髪を乱しながら咳き込むレグルス。
「あ、そうか。その気がなきゃ見れないんだったよな。てか、俺その映像勝手にレグルスに飛ばしてない!? ほら、無意識に思った苦痛って飛散しちゃうんだろ? だ、だからつい……」
纏依は慌てふためきながら、恥ずかしそうに早口で捲くし立てる。一方レグルスは、漸く落ち着きを取り戻して一息吐くと、改めてはっきりと切り捨てた。
「そなたにとって、その事は恐らく思い出したくもない苦痛であるはずだ。そういう記憶は、例え脳裏に過ぎりかけても意図的に払い除け、封じ込めてしまうものだ。故に某の中にその映像が及ぶ事はなかった」
「あ、何だ。そうなのか。ああ良かった。それを聞いて安心したぜ」
やれやれとばかりに纏依は安堵の表情をする。そんな彼女の反応に、レグルスは顔を渋面させた。
「そなたの焼印の場所も形も大きさも、一切知りもしなかったが……お蔭で場所は分かりましたな」
レグルスは呆れながら言い放つ。
「うぐ……!! しまった!! 先走っちまった!! ああもう俺のバカ!!!」
纏依は真っ赤になって胸元を隠す。
「……そなた……もしや天然ではあるまいな……」
自分の顔に掛かる黒髪をゆっくりと払い除けながら、レグルスは静かに呟いた。
「バカにしてんのか? それは」
たった今自分でバカと言っておきながら、レグルスに類似語を言われるとムッとする纏依だった……。