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1:黒の男と銀を纏った女



「ねぇねぇ! 君一人暮らし? 俺ぇ、営業で布団とか売っちゃってるんだけど〜、布団とかぁ、結構こだわる方?」

「……」

 一人の若い営業マンが人ごみの中で一人の大人しそうな女性を捕まえて、ナンパ宜しくなノリで声を掛けていた。

 その女性は栗色に染めた長髪を後ろ一つに束ね、ノーメイクと思われる素顔は凛として美しい顔立ちをしていた。

 決して小柄でもなければ長身でもない華奢な体つき。その綺麗な顔は自己主張したがらない控えめな感じだったが、一切の表情はない。

 しかしその服装はどこか男装的で、所々にロックなデザインのシルバーアクセサリーを身に付けている。一瞬男と間違われそうではあったがその美人で女性的な顔が幸いして服装は関係なく、きちんと女の性別を世間は判断する事が出来た。

「ねぇ聞いてるかな? うちが扱っている布団なんだけどさぁ、そこら辺のとはまるで心地良さが違ってさぁ」

「……」

 女性はしつこく付き纏って来るこの男を無視して、横断歩道の前で信号待ちの為に立ち止まる。

「何だったら君美人だし、どれだけその布団がいいのかをこの僕と一緒に試してみない?」

 すると心なしか彼女からフンという嘲笑が聞こえた気がした。同時に信号が変わる。

「――殺してやろうか」

 艶がありながらも低くくぐもった、少年の様な女の声。

 その若いセールスマンは自分の耳を疑って硬直したようだった。笑顔までが固まっている。それを他所に女は何事もなかったかのように無表情のまま横断歩道を渡り始める。彼女は国立図書館に向かっていた。

挿絵(By みてみん)


 まだこちらに彼女が引っ越してきて間もない地方都市。

 主要駅を中心に街は一ヵ所に集中していて、十数キロも離れれば郊外に出る。そんな街から少し離れた閑散とした場所に国立図書館はあった。

 この図書館に彼女が来るのはこれで三回目だ。週末は人が増えるのを嫌い週一だけ、水曜日を狙って彼女はここに通い始めていた。

 この図書館の、西洋風と近代風を織り交ぜたデザインの造りが気に入っている。またこの図書館が管理しているとても広い庭園がある。何でもかつては歴史的人物関係者が所有していたらしいが、今は公衆に無料解放されている。

 図書館の開館時間の間のみ利用可能で図書館の裏に面している為、直接館内を通過しなければその庭園に入れないようになっていた。



 彼女の名は、在里 纏依(ありざとまとい)。二十二歳の画家兼イラストレーターだ。

 纏依は受付に借りていた本を返却し、また必要な本を数冊選び抜くと脇目も振らず足早に受付カウンターへと向かう。

 黒いロングパンツ。白いシャツに、シルバーサテンのロングシャツを重ね着し前ボタンを留めていないので、シルバーのシャツがサテンの持つ光沢を放ちながらヒラヒラと(ひるがえ)る。

 十字架のネックレスと幾つものドクロが繋がったブレスレット、眼球デザインの指輪にチェーンを腰に下げたスタイルでシルバーアクセサリーを身に付けている。前髪は顎まで長く、右分けにしていた。どうやらこれが彼女のスタイルらしい。

 一方、同じように反対側の正面入り口から館内に入って来た真っ黒な容貌の大男が、大股かつ足早にツカツカとこちらも脇目も振らずに勢い良く前進してきた。

 その余りの迫力に男の前方を塞いでいた数人の来館客が一斉に道を開ける。受付カウンターを彼が通過すると、職員が揃って頭を下げる。しかし大男は無言のまま素通りしていく。

 やがてそのまま纏依(まとい)と大男との間の距離は凄い勢いで狭まっていった。そうして真っ直ぐに突き進む二人は、お互いにその存在に気付いていない。ただ一点だけしかお互いに見ていないせいだからなのか、周囲を気遣う素振りは二人して持ち合わせてはいないらしい。

 なので当然ながら、二人はバッタリと鉢合わせになった。

 ギロリ。と相手の目を睨んだのはお互い様だった。男は彼女を冷ややかに見下し、纏依(まとい)は不快気に彼を睨み上げる。……数秒の沈黙。

 纏依は右へと移動すると、偶然にもその大男も同じ方へ移動した。お互い眉宇を顰める。そして再び今度は左に移動すると、息があったように男もまた同じく移動した。ムゥッとしたのはお互い様だったらしく、二人して顔を顰める。

 やがて互いにふと短く嘆息吐くと、申し合わせたように再び二人同時に動いた。今度は上手く左右に分かれる事に成功して、漸く二人は無愛想なまま逆方向に再び前進を開始した。

 男の背後で何事もなかったように纏依が貸し出し受付をカウンターでしている中、一人の公務員らしい外見の中年男が彼へとサササと歩み寄る。

「お帰りなさいませ館長。いかがでしたか? 今日の大学から依頼を受けた講演は」

 副館長を務めている彼は、手を擦りながら大男を出迎える。

「……いかが、と言われるのは?」

 野太く低い声で静かに訊ねながらも相変わらずの早足で黒尽くめの大男は、奥の右手にあるドアを開けそこにある階段をズンズン上っていく。

「え? ええ、ですからその、良かったとか、あまり良くなかったとかですね……」

 副館長は必死に彼を追いかける。

「……別に」

 男は無愛想に短く答える。

「別に、で御座いますか?」 

 副館長のあからさまな作り笑いが引き攣る。

然様(さよう)

 相変わらず歩を緩める事無く、自分に付いて来る副館長にすら目も向けようとはしない。三階への階段を上り切り、広い廊下を突き進む。

「つまり可もなく不可もなく普通、と言う事でしょうか?」

如何(いか)にも」

「はあ、それはそれは……ご苦労様です」

 館長を務めるこの黒尽くめの大男への対応に、戸惑う副館長。やがて一つのドアの前に到着するや否や彼は漸くその(せわ)しげに動かしていた足をピタリと止め、中肉中背の副館長を視線だけで見下した。

「留守中、何用でもありましたかな?」

「へ? いえいえ滅相も御座いません。いつも通りの静かで長閑(のどか)なひと時で……」

 副館長はそれはそれは穏やかな笑顔を浮かべて手を擦りながら、留守の安全はしかと守り通したと言わんばかりに満足そうに口にする。ところが。

「ならば、ここまで付いて来ずとも良ろしかろう」

 そう冷たく吐き捨てると館長と呼ばれたその男は副館長を廊下に残したまま部屋に入るや、バタンとドアを叩き閉めた。

「……」

 虚しくその場に取り残された副館長は髪が薄くある意味で危険な状態の頭を撫でながら、小声で愚痴を零しつつ元来た道をトボトボと戻って行った。

「ったく。相変わらず理解出来んよ。あの外人は」


 そう。その館長と呼ばれている黒尽くめをした大男は日本人ではなかった。

 黒々とした肩までの長さの髪を真ん中から分けて、上下とも真っ黒な服装で肩幅も広い。そしてこれまた黒いサテン生地使用の薄手のロングコートを羽織っていた。

 その双眸も真っ黒ではあったが、土気色っぽい肌に日本人離れをした面相。身長は軽く見ても百八十センチ以上はあろうか。がっちりとした(たくま)しい体格の良さのせいで太ってはいないものの、一見巨人に見間違えられるくらいだった。

 外国人の割には彼の日本語は流暢(りゅうちょう)で、しかも古風めいて独特な言葉遣いをしていた。少なくとも今時の日本人で彼の様な口調を使用する者は滅多にいないだろう。

 彼の名は、レグルス・スレイグ。四十二歳になる英国人紳士だが、とにかく無愛想で無表情。寡黙でミステリアスな黒一色の大男として、周囲から恐れられ一目置かれていた。


 この館長室からは裏の庭園が一望出来た。

 レグルスはこの窓からそこを眺めるのが好きだった。なのでこうして戻った今も、いつもと同じ要領で庭を愛でる為に窓辺に立つ。

 季節は秋でもう肌寒くはなっていたが昼間はまだ過ごしやすかった。もう紅葉が差しており、庭の木々の葉も色付いている。

 ふと人影に気付いてそこに目をやると、先程一階で立ち往生した女が本を片手に色付いた葉を見上げていた。他には誰も庭にいなかった。

 先程の対応の仕方といい、一見したそのセンスといい、思わず男性的な雰囲気を漂わせてはいるがその顔は明らかに女の物だ。

 今の彼女の顔は無表情ながらももう先程の険しく威嚇的な面影は消え、穏やかな表情をしていた。そうした彼女を改めて見直すとやはり女なのだと確信する。

 しかしフンと鼻を鳴らすとレグルスは部屋の中央にあるソファーに身を投げて、軽く目を閉じて目頭に指先を当てた。




 ――コンコン。ノックの音で目が覚める。いつの間にか眠ってしまったらしい。

「はい」

 レグルスは欠伸を噛み殺しながらドアへと声を掛ける。すると副館長が顔を覗かせた。

「失礼します。もう職員の方はみんな帰りまして、残るのは私と館長だけなのですが……」

「ああ。ご苦労でしたな。(それがし)が最後に出るので、そなたは先にお帰りになられると良い」

「分かりました。では最後の戸締りはお任せ致しますよ。ではお疲れ様でした」

 レグルスは首肯(しゅこう)すると副館長を見送った。そして大きく伸びをしながら立ち上がると、デスクへと歩み寄り窓から外を覗く。そして顔を顰めた。こちら側を背にしたベンチに例の彼女が横になっていたのだ。

 もう辺りは暗くなっており、ベンチ脇の街頭だけが横たわる彼女を照らし出していた。時計を見ると七時を回っている。

 恐らく職員は見回り点検を行ったものの、まさかベンチに横たわる者がいるとは予想もせずに見落としてしまったのだろう。しかしこの三階の窓からは嫌でも目に付く。

 レグルスは嘆息を吐いて思った。……今日の出会い頭からして面倒な女だ。しかしながら、放っておく訳にもいくまい……。

 渋々彼は庭園へと向かった。そしてベンチの正面に立って見下ろすと、彼女……纏依は安らかな表情で寝入っていた。

 ……おめでたい女だ。冷ややかに見下しながらレグルスは思うと、無遠慮に靴の爪先でベンチの底を強めに小突いたのだった。



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