8 彼は動物にモテモテです(注・正直ムカつきます)
そこへふと、アルフェイグが質問する。
「そうだ。ルナータ、一応確認しておきたいんだけど。君が魔法を使えること、周囲に秘密にしてるってことはないよね?」
私は首を傾げる。
「え? そんなことないわ。どうして?」
「昨日、侍女と一緒に僕のところに来た時、僕が止まり木の城にいるところを『発見された』……という言い方をしてたよね。本当は君が発見したのに、それを僕に伏せたのはどうしてだろう、使用人たちの前ではその時の状況を詳しく言えないのかな、と思って」
アルフェイグは、何か思い出すような視線で言う。
「まあ、書斎には魔法書がたくさん置いてあったし、こんな立派な貴族邸に無防備な女性だけで皆が安心していられるのは、ルナータの魔法があるからかな……とは思ったんだけど」
(……そうだった。アルフェイグは、一国の王太子なんだわ)
私は彼を見直す。
(若いし、無邪気に見えるけれど……実際には魔法の眠りから覚めてすぐ、自分の置かれた状況を分析し始めていたのね)
キストルに支配され、王族の血脈も細る中で王太子になったアルフェイグである。苦労も多かったに違いない。
そんな彼の思慮深さに、改めて警戒して身構えてしまったけれど、アルフェイグは全く気負った様子がない。
それどころか、再び照れたような笑みを見せた。
「あ、そうか。キスのこと、侍女に隠したかったとか?」
(だから照れるなってば!)
内心つっこみながら、私は冷たく言う。
「は? 違います」
「じゃあ、バレても大丈夫?」
なぜかちょっと嬉しそうに言う、アルフェイグ。
さすがにギョッとして、私は取り繕っていた声をうわずらせた。
「わ、わざわざバラす必要ないですからね⁉」
「はは、わかってる。で、僕に伏せてたのはどうして?」
さらりと促され、私は気持ちを落ち着けながらも仕方なく事情を説明する。
「その、『止まり木の城』の様子がおかしかったからよっ」
「様子がおかしい?」
「魔法のイバラに囲まれていたの。金属みたいに固いイバラが、城の上の方だけ残してびっしり絡みついていて……。魔法のほころびを見つけて中に入りはしたけれど、いかにも怪しかったんだもの。だから、先にあなたに色々としゃべっていただいて、何かおかしな事件や陰謀が絡んでいないか確かめようと思ったのよ」
すると、アルフェイグは少し黙ってしまった。
私はその様子が気になりながらも、尋ねる。
「イバラは、魔導師がやったのでしょうね、きっと」
「……おそらくね」
彼はうなずく。
「カロフは僕を眠らせた後、城を出て、イバラの魔法をかけたんだろう」
「まだ若い王太子を一人で残していくんだもの、守るためにかけたのね。魔法のほころびがなかったら、空からでもないと入れなかったし」
「うん。そうだね。……ほころびとか、そういうのもわかるんだ。すごいね」
「そうかしら」
私はツンと目を逸らす。褒められるのに慣れていないので、ついこんなふうに続けた。
「私がうまく扱えるのは土魔法くらいですけれどね。他は苦手ですし」
「相性のようなものがあるの? 火や水とは合わないけれど、土とは合う、というような」
「相性……のようなものかもしれないけれど、単に土の精霊語が得意なのよ、私」
〈トルダ・ラズ・デ・シェシェディ〉
唱えながら左手を近くの植え込みに向けると、そこからツタがするすると伸びてきた。そして、ちょうど私の手の上までたどり着くと、ツタの先に小さな花が咲く。
「……すごいな」
アルフェイグが息を呑む。私はそっと花を撫でた。
「グルダシアの女性はみんな、いくつかの魔法をたしなむ習慣があるけれど、ほとんどの人は単語の羅列を暗記しているだけ。外国語をカタコトで話すようなものね。それだと、精霊には細かい意味が伝わらない。……私は、母が精霊語を得意としていたので、それを受け継ぐ形で色々と学んだの」
花の香りを楽しみ、そっと離すと、ツタはふわりと風に漂うように植え込みの方へ戻り、そばの木に巻きついた。
「火や光の動きを表す精霊語は、私には発音が難しくて。練習はしているのだけれど」
「なるほどね。僕も王族として、大陸語やオーデン語以外の外国語も学んでいたけれど、グルダシア語のあの、喉の奥で鳴らすみたいな音がどうしてもできない。オエッとなる」
おどけて、彼は肩をすくめた。
つられて、私はつい、クスッと笑ってしまった。
(はっ。いけない、何だかこの人と話していると気が抜けて)
アルフェイグはそんな私を見て、微笑みを返した。そして言う。
「でもなぜ、君はオーデンの森にいたの?」
「! それは」
(自分の領地の森にいただけなんだけど、アルフェイグから見たらわざわざグルダシアからオーデンにやってきたように見えるのか……!)
言葉に詰まった時、私たちはちょうど、奥庭のファムの木のところまでやってきた。木の枝にはソラワシが数羽、とまっている。空色のくちばしが美しい。
不意に、一羽がバサバサッと飛び立って、私の方へやってきた。左の肩に重みがかかる。
アンドリューだった。
ふんわりと頬に触れる羽毛の気持ちよさで私は気を取り直し、ちょっと得意げに、右手でアンドリューのすべすべの背中を撫でる。
「この子はアンドリューというの。ソラワシって警戒心が強いけれど、アンドリューは私に慣れて──」
「わぷっ」
アルフェイグの変な声とともに、バサバサ、バサバサ、と音がした。
「えっ⁉」
驚いたことに、三、四羽のソラワシが飛び立ち、アルフェイグにたかっているのだ。腕や肩のあちこちにとまり、額を彼の顔や頭にこすりつけている。
「ははっ、こらこら、くすぐったいよ」
彼は当たり前の様子で笑いつつ、ソラワシに好きにさせながら言った。
「ごめんルナータ、聞こえなかった。警戒? 何だって?」
私は口を開けたまま固まっていた。
(なんで⁉ ソラワシがこんなに懐くなんてうらやましいっ! 私なんて、アンドリューしか仲良くしてくれないのに……!)
ショックを受けている私に気づかず、アルフェイグはソラワシたちを落ち着かせながら私を見た。
「よしよし、わかったわかった。ソラワシは美しいなぁ、ルナータもそう思うよね?」
「え、ええ、そうねっ」
私は嫉妬のあまり、ツンケンして答える。
「ずいぶん、その、ソラワシにおモテになるのね! ソラワシと結婚したら⁉」
「あはは、それ面白いな」
(どこがだ⁉)
心の中で突っ込んでいると、アルフェイグがソラワシまみれのまま、スッと私の背後に回る。
「ルナータ、ちょっと」
「何……」
戸惑っているうちに、彼の両腕が後ろからするりと回り、私を緩く抱いた。
「あ、あなたね、いつも距離が」
抗議しかけて、私は言葉を飲み込んだ。
彼の両肩にとまったソラワシが、少し驚いたように羽を広げて飛び立つそぶりをしたけれど、結局そのまま肩にとどまる。
彼の両腕のソラワシたちも、おとなしい。
つまり、ソラワシまみれのアルフェイグに抱かれた私も、一緒にソラワシにまみれているのだ!
(えっ……こんな至近距離から三羽も私を見上げてる……頬にも腹毛が当たって……ちょっと待って無理……いい匂い)
呆然とその恵みを享受する私に、アルフェイグが耳元でささやく。
「僕もここでお世話になるし、皆で仲良くしよう」
(私とも仲良くしてくれるんだ……? どうしよう、ちょっと涙出そう。ここは天国?)
そうじゃない。アルフェイグの腕の中である。
ようやく意識が現世に戻ってきた私は、あわてて彼の腕から飛び出した。アンドリューがふわっと飛び立っていく。
「わっ、私、そろそろ戻ります! アルフェイグはどうぞ、存分にお戯れになって!」
「あ、うん、そうさせてもらうよ。案内してくれて、ありがとう!」
アルフェイグは、ソラワシたちの隙間からにこやかに応えた。
(ア、アルフェイグにソラワシの匂いを吸わせてもらうなんてっ!)
なぜか屈辱感を覚えながら、私は「それじゃ夕食の時に!」と早口で言い、足早にその場を去ったのだった。
「……………………っくうううーっ」
執務室に戻り、机に突っ伏していると、窓からバサバサとアンドリューが入ってきた。私の肩にとまり、クー、と喉を鳴らす。
顔を傾け、横目で彼を見た。
「……慰めてくれるの? ありがとう。あーあ、ここは私の家なのに、あんな……まるでアルフェイグが主人みたい」
アンドリュー相手にグチってしまう。
「ああ、わかってる、彼はここの王太子だったんだものね。主人みたいな雰囲気を持ってるのは当たり前だわ。それなのにどうしてムカつくのかしら。男だから? ダメね私、こんなことで……やっぱり公爵なんて向いてないのよ」
ため息をついて、また突っ伏す。
女だから、と見下されるのが嫌いな一方で──
──実は、私は、自分に自信がないのだ。
そこへ、この領地の本来の支配者が現れた。いっそ本当に、譲ってしまいたくなる。
(その方が、領民たちも幸せなのではないかしら。あの、婚約者を居丈高に捨てたお高い女公爵の領民って言われずに済むし。その方が幸せに決まってる)
アンドリューはしばらく肩に乗っていたけれど、やがてバサバサッと翼を羽ばたかせた。
重みがなくなり、顔を上げてみると、彼は窓からスイーッと飛び去っていく。
起き上がってそれをボーッと見送った私は、両手でパチンと頬を叩いた。
「バカみたいなことで落ち込んでないで、夕食の時はちゃんとしなくちゃ!」
なぜオーデンの森にいたのかと聞かれたことだし、魔法の眠りは心身に影響を及ぼしてはいないようだし、早いうちに事実を話さなくてはならない。
どう伝えれば、彼のショックは最小限で済むのだろう。
どう伝えれば、私は傷つけられずに済むのだろう。