7 キスの理由が判明しました(注・納得できるかはまた別です)
「僕がグルダシアに保護されていると知って、さすがに驚いた。グルダシアが介入したということは、王宮で何かあったんだろうか」
そう尋ねる彼の口調は、落ち着いている。きっと心の中では、最悪の想像も含めて様々な可能性を考えているのだろうけれど、表に出さないのはさすがだ。
──オーデン王国時代の王宮は現在、公爵領の東にある。けれど、空っぽの廃墟となって久しい。
私はただ、こう答えた。
「……今、グルダシアの宰相と連絡を取っているから、近いうちに色々わかってくると思います」
彼を気の毒に思うけれど、私自身が何も知らないまま事実だけを突きつけたところで、彼の助けにはならない。ひとまずは、『止まり木の城』の調査を待とうと思う。
当時のことがわかるものが何かないか、私は警備隊に調べさせていた。百年前から魔法のイバラで囲まれていたのだとしたら、王宮よりも色々と残っている可能性は高い。
宰相と連絡を取っている、というのは本当だ。『亡国オーデンの王族の血筋と思われる人物が我が家に滞在しているが、どうしたらいいか』と指示を仰ぐ手紙を出した。こんなこと、私などの一存で決めるわけにはいかない。
さすがに、魔法で百年の眠りが云々ということまでは、手紙で説明しても嘘くさくなってしまうので省略したけれども。
(例えばアルフェイグがオーデン王国復興をもくろんだら、どうなるのかしら)
私は、そんな可能性を考える。
(私がオーデンを支配しているなんて知ったら、ますます取り返したくなるかもしれないわね。そして、グルダシア中に言われるんだわ、女が公爵なんてやってるからこんなことに……って)
いちいち悪い想像をしてしまう私に、アルフェイグは微笑んで話しかけてくる。
「あまりかしこまらないで。ずっと気楽に話せる相手が欲しかったんだ。王族の血筋は先細りで、王宮には若い人がいないから」
年下にそんなことを言われて、反射的に答える。
「あなたほど若くありませんわ」
アルフェイグはさらりと言った。
「僕と比べる必要ある? ルナータは若い女性だ」
「…………」
返す言葉に詰まっているうちに、彼は続ける。
「君は、一人だけで暮らしているの?」
「え、ええ。母を十四の時に亡くして、父も数年前に」
「それは気の毒に……。でも、一人で立派に領地を守っているんだね」
「後を継いだ者の責任ですから」
私は微笑んで見せたけれど、内心ひやひやものだ。
(その領地というのが、あなたの王国だった場所なのよっ。あぁ、どう明かせばいいんだろう。今は屋敷の中にいるからわからないだろうけれど、町に出たいと言われればすぐにバレるわ)
思案しているうちに、アルフェイグはさっそく言った。
「食事の後、屋敷の中を見て回ってもいいかな」
「ええ、もちろん。ご自由にどうぞ」
そう言うしかなくて、私はうなずく。部屋に閉じこめておくわけにはいかない。
けれど、できるだけおとなしくしていてもらうには……
「書斎からお部屋に、好きな本をお持ちになって結構よ。あ、何か手慰みに必要なものがあればご用意するわ。楽器とか、絵を描く道具とか。いつも、空いたお時間は何をなさっていたの?」
屋内向けの趣味の話など振ると、アルフェイグは無邪気に笑った。
「僕は、あまり部屋にこもっていられる方じゃなくて。森で動物たちを観察するのが好きなんだ。よく、王領の森に出かけていたよ」
「ま、まぁ、そうなの。私も動物は大好き」
上の空で答えながらも、冷や汗が滲む。
通いなれた森なら、ウロウロされればやはり、ここがオーデンだということがバレるだろう。
せめて、屋敷の敷地内にいてもらえないだろうか。宰相からの返事が来るまでは。
私はとっさに言った。
「あ、それなら夕方にでも庭にお出になるといいわ。ファムの木の実を、ソラワシが食べに来るの」
「へぇ、グルダシアにもソラワシがいるんだ。ぜひ見たいな、オーデンにも多く生息しているから」
アルフェイグは、ワクワクした様子を隠さない。
「ルナータ、よかったら夕方、案内してもらえないかな。話もしたいし」
「え? ああ、そうね。喜んで」
後ろめたいところのある私は、つい、承諾してしまった。
昼間、私は書類に目を通したり、陳情のあった件を町に調べに行ったりして過ごした。
屋敷に戻ってから従僕のモスターに聞いてみると、アルフェイグは書斎にこもっていたとのこと。本を読みふけっていたのだろう。
(よかった。今からは屋敷内の庭に出るんだし、ひとまず今日のところは外に行かれずに済むわ)
問題を先延ばしにしているに過ぎないけれど、どう事実を伝えればいいのか、いい言い回しが見つからないのだから仕方ない。
「ルナータ」
玄関ホールで待っていると、アルフェイグが廊下の奥から出てきた。私は微笑みを作る。
「行きましょうか」
庭に出た私たちは、美しく手入れされた煉瓦敷きの小径を歩き、奥庭へと向かった。
「グルダシアも、緑が豊かだね。まるでオーデンにいるみたいだ」
アルフェイグは、敷地を囲む森を見回しながら言った。
私は目を逸らしながら答える。
「散策にもお連れしたいけれど、護衛がいないと何かあった時に取り返しがつかないし……そう、警備体制についても国にお伺いを立てているので、しばらくお待ちになって」
そうよ、こう言っておけばおとなしくしててくれるはず! と、自分の対応を心の中で自画自賛する。
「ありがとう」
アルフェイグはにこやかな声で言い、一呼吸おいて、続けた。
「でも、護衛なら、ルナータがいれば僕は安心だけど」
(あーら、帯剣もできない女に、何のイヤミかしら?)
私は思いながら、視線を合わせないまま笑ってみせる。
「冗談はおやめになって。私なんて、何の役にも立たないわ」
彼はすぐに答えた。
「そんなことないよ。あんな見事な魔法を操るんだから」
(……え)
私は微笑んだまま立ち止まり、固まった。
アルフェイグの顔を見られない。視界の端に、彼の靴先が映っている。
「……お、覚えていたの……?」
おそるおそる尋ねると、彼は言う。
「夢うつつだったから、自信はなかったけれどね」
(怒ってる。絶対怒ってるわ。それはそうよ、高貴な男性を女があんな目に遭わせたんだもの)
真っ青になった私の脳内では、足元でひれ伏す私を玉座から冷ややかに見下ろしたアルフェイグが、「あんな見事な魔法で僕をぶっ飛ばしてくれたんだから、それなりの礼をさせてもらわないとね」と皮肉を言いながら、傍らの処刑人に指を鳴らして合図するところまでバッチリよぎっている。
ところが。
「僕は、感動したよ……!」
驚いて「へ」と変な声を上げながら、うっかり顔を上げたとたん――
――頬を紅潮させ、目をキラキラさせたアルフェイグに、ぎゅっと手を握られた。
「ソラワシとモリネコを両脇に従え、精霊語を唱える君は、まるで神話の女神のようだった。凛として、たくましい……あんなに圧倒的な力に打ちのめされたことなんてなかったけれど、感動して痛みを感じないくらいだった。心酔するという気持ちを初めて知ったよ」
「はい……?」
私はポカーンとしてしまった。
男性の口から、私を褒める言葉が出ている。信じがたいことだけれど、イヤミではなく本気で褒めているのが伝わってくる。
(って、だから近い近い近いっ。どういうつもり?)
とっさに手を振り払いながら、私はぴょんと一歩後ずさってしまった。
するとアルフェイグはハッとしたように、今度は神妙な表情になる。
「そうだった。君に、詫びなくてはならない。……いきなりキスしたりして、悪かった」
これも、形だけの謝罪じゃない。心から詫びているようだ。
混乱に拍車がかかった私は、それを隠そうとしてとっさにツンと顔を背けた。
「あ、あら! それも覚えていたの」
「二人きりになったら、謝ろうと思っていた。本当にごめん」
「オーデンの王族は、ああいう目覚めの挨拶が普通なのかと思ったわ」
(あああ、私の方がイヤミっぽい! すごく嫌な女!)
内心で頭を抱えていると、彼は言葉を選ぶようにしながら言った。
「その……実は、勘違いしたんだ。婚約者かと思った」
「こ、婚約者?」
(婚約してたんだ。まあそうよね、十九歳の王太子だもの。しかるべき相手がいたはずだわ)
何とか気持ちを落ち着けて、私は聞いてみる。
「ええと、眠る前に、婚約者と一緒だったの? あ、違うわね、確か魔導師と二人だったとか」
「うん。……君も知っているだろうけど、オーデン王国はキストル王国の属国だ」
アルフェイグは、キストルがオーデンの独立を阻もうとしていた史実を簡単に私に説明した。
「──そういうわけで、僕はいったん『止まり木の城』に逃れ、そこで成人の儀式を行ってしまおうと考えたんだ」
「成人する時に、大事な儀式があるのね」
「うん。成人として認められれば、後見なしで王位を継ぐことができる。王太子である僕の立場が強固になれば、国の独立を進めることにつながる。そしてその儀式には、伴侶や婚約者の立ち会いが必要なんだ」
「伴侶や、婚約者」
「これからも長い時間、そばで見守ってもらうための掟だからね」
「なるほど……。婚約者は、もちろん決まっていた……決まっているのでしょう?」
「うん。オーデンの有力貴族ダージャ家の令嬢だ。国がごたついていて、ちゃんと会ったことはないけれどね」
当時ではよくある話だ。肖像画のやりとりで、婚約が決まったのだろう。
「……僕は止まり木の城に隠れているしかなかったけれど、魔導師のカロフが彼女を迎えに行くことになった。でも、キストルの監視の目が厳しくて、ダージャ家との連絡さえままならなくて」
アルフェイグはため息をつく。
「それで、カロフが言ったんだ」
──『ご令嬢をここに連れてくるまで、もう少し時間がかかりそうです。しかし、そろそろ食料が心許ない。殿下は眠ってお待ちいただけませんか』──
「確かに、僕は生きていることこそ重要だけれど、今はそれ以外、何の役にも立たない。いわゆる穀潰しってやつだ」
アルフェイグは自嘲の笑みを浮かべた。
「成人の儀式さえ終われば、もう少し役に立てるんだけど」
(そんなに重要な儀式なのね。どんなものなのかしら)
私はそう思いながら、彼が続ける話を聞く。
「僕は、カロフに眠りの魔法をかけてもらって、カロフが戻るのを待つことにした。……目が覚めたら、僕の上に女性が覆い被さっていたから、てっきり……」
「その、ダージャ家のご令嬢だと思った、と」
「あー、うん。今にして思えば、髪の色とか肖像画と違うんだけど……僕にとって婚約者は、キストルからの重圧に耐える人生を、これから共に支えてくれる人だ。ようやく会えた、と思ったし、それに」
ふと、アルフェイグは目を逸らして頬を染める。
「ええと、綺麗な女性だったから、この人が僕の妻になるのかと嬉しくなって、つい……」
いきなりのデレ攻撃にギョッとして、私は照れ隠しのように遮った。
「じ、事情はわかりました! もう怒っていないから!」
「本当に……?」
アルフェイグが、私の表情を確かめるように見つめる。
そのまっすぐな視線から逃れつつ、私は平静を装った。
「怒っていません。きっちり仕返しもさせていただいたので、許してます」
「そう……? うん……じゃあ、よかった。許してくれて、ありがとう」
にこ、とアルフェイグは微笑む。王太子にしては偉ぶったところのない、素直な笑みだ。
「行きましょう」
並んで歩き出しながらも、正直まだちょっとモヤモヤは残っている。
(まあ、事情がわかったところで、やっぱりいきなりキスはどうかと思うけれどね! 『ちゃんと会ったことがない』女性が相手なのに。婚約したから俺のもの、ってことかしら。それに、王太子にキスされて怒る女性なんていないだろうって? そういうこと?)
けれど、アルフェイグがまっすぐ前を見つめながら、
「カロフは、ダージャ家にたどり着けただろうか……」
とつぶやいたので、私もただ黙っていた。
(魔導師カロフもだけど、その婚約者の令嬢も、その後どうしたのかしら……)