6 彼の国は、既に滅びています(注・本人は知りません)
部屋の隅で控えていたセティスとともに、客室を出る。
廊下でモスターが待機しており、私たちに一礼してから入れ替わりに颯爽と客室に入っていった。用があるか聞きにいったのだろう。
私たちは執務室に戻った。
「ルナータ様。アルフェイグ様は、オーデン王国の王家の末裔なのでしょうか」
口を開くセティス。
私は執務机ではなくソファの方に座り、背を預けながらため息をついた。
「彼の話が本当なら、そういうことになるわね」
「でも、変でしたね。オーデン王国がまだあるかのような言い方をなさって」
「ええ。……彼に眠りの魔法がかかっていたのは確かで、繰り返すようだけどアルフェイグが嘘をついていないとしたら」
私は肩をすくめる。
「彼が眠る直前まで、オーデン王国は存在していたということになるわね」
「でも、王国は百年も前に滅亡しています。その後はずっと、どこかの国の領地……え? じゃあ」
セティスは目を丸くした。私はため息とともにうなずく。
「アルフェイグは、百年、眠っていたことになるのかしら」
「そんな」
絶句したセティスだったけれど、すぐに話を続けた。
「魔導師に眠らされた、とおっしゃっていましたね。なぜ、百年も眠らせたのでしょう?」
「私にもわからない。そんなに長く眠らせるつもりではなかったのかもしれないし。……でも」
私は軽く首を振る。
「目覚めたばかりなのに、言えないわ。あなたの国はもう滅んでいます、今はこの私の領地よ、なんて」
いきなりキスしてきてムカついてはいるけれど、それとこれとは別だ。若者に告げるには、事実はあまりに重い。
「ああ、それで先ほどは、ここが公爵領だとはおっしゃらなかったんですね……」
セティスは納得したようにうなずく。
私は背筋を伸ばし、座り直した。
「いつまでも黙っているわけにいかないのは、わかってる。でも、長いこと魔法で眠っていて、本当に身体や心は何ともないのかしら。衝撃的な事実を伝えるのは、少し様子を見てからにしようと思うの。セティスも、彼と何か話す時はそのつもりで」
「かしこまりました」
「しばらくは、さっき言った通り、ただ彼を預かっているだけの領主で押し通すわ」
基本、女はナメられる。ならば、それを逆手に取るまでだ。何も知らない女として振る舞おう。
「でも、ルナータ様?」
キラリとセティスの目が光る。
「アルフェイグ様は絶対、ルナータ様のこと、いいなって思ってらっしゃいますね」
「っはぁー? そぉかしら」
「さっきも、いい雰囲気だったではないですか」
「あれはあっちの距離感がおかしいだけだから!」
「オーデンの王族の末裔なら、ルナータ様のご身分にも釣り合いますよね。既成事実があっても、誰も責めませんわ」
「そういうジジツもないんだってば!」
(まさか、森で何かあったとまだ誤解してる⁉)
私はあわてて座り直しながら言う。
「それにどう見たって、私より五歳は年下でしょっ?」
「成人していれば無問題です」
セティスはあくまでも真顔で続ける。
「あんな状態でも、ルナータ様に失礼なことはおっしゃいませんでしたし」
「はっ。私の世話になってるんだから、邪険にはできないでしょうよ」
私は笑い飛ばし、この話は終わり、とばかりに立ち上がった。
「さ、書庫に行かないと。オーデン王国時代の古い記録をあたってみるわ」
「ルナータ様」
真顔のセティスは、さらに言った。
「これはチャンスかもしれません。だって百年経っているなら、あんなに見目麗しい王子様の周囲に群がっていたはずの女性たちは、みんな死んでますし」
恐ろしいことを言う侍女である。
「そこへ現れたルナータ様は、アルフェイグ様にとって特別な女性のはず。アルフェイグ様が他の女性と出会う前に、一度向き合ってみてもいいのではないでしょうか。お逃げにならずに。……では失礼します」
そして、スカートの裾を軽く摘んで挨拶すると、サーッと執務室を出て行った。
私は思わず叫ぶ。
「に、逃げるも何も、私の人生に必要ないものと距離を置いてるだけだってばー!」
──もはや誰も聞いていないのに、つい言ってしまってから、我に返った。
(これじゃ言い訳みたいじゃない、全く!)
そもそも、まだアルフェイグの身元の細かいところさえはっきりしないのだ。すぐに色恋の話に持って行くセティスがおかしい。アルフェイグとの、たったあれだけの交流で、よくここまで話を膨らませられるものである。
「セティスったら、小説家とか向いているのではないかしらっ⁉」
私は頭を切り替えるべく、乱暴に扉を開けて書庫に向かった。領地の記録や古い資料などは、一階の北側の一室に保管してある。
(……本当は、アルフェイグに真実を言えないのは、国が滅びたからだけじゃない)
軽く唇をかむ。
(だって、がっかりするに決まってるわ。大事な自分の国が、私みたいな形ばかりの女公爵に任されてる、なんて知ったら)
グルダシアの男性貴族たちに言われた数々の言葉が、胸によみがえる。
『女のあなたが公爵位なんて』
『陛下も何を考えておいでなのか』
『議席もなく剣を帯びることすら許されていない女の身で』
書庫に入り、人目がなくなると、私はため息をついた。
(男性貴族たちは彼らのやり方で政を行って、この国を支えてきてる。そんな男性たちを、女性は子供を産んだり社交したりして支えてきた。この形をそのままに、いきなり私が公爵になったところで、何ができるというのかしら? 何で女が、って思われるのも当たり前よね。でも……それでも今は、私ができることをするしかない)
本棚から本を引き出し、私は目を走らせ始めた。
翌朝、アルフェイグはモスターに付き添われ、小食堂に自分の足で歩いて現れた。
「おはようございます」
出迎えながら聞くと、彼は嬉しそうに微笑んで近づいてきた。
「おはよう、ルナータ」
そしてまたもや両手で私の手を取り、手の甲にキスをし、そのまま手を離さない。
(やっぱり距離感おかしいわこの人っ)
私はサッと引いた手を上げ、結い上げた髪のおくれ毛を気にするフリをしながら聞いた。
「歩いてみて、階段などは大丈夫でした?」
「何ともないよ。魔法でちょっと眠っていただけだから、心配しないで」
『ちょっと』どころではないのだけれど、そうも言えない。
「そう。でも、長く眠っていたならやはり心配ですし、胃も弱っているかもしれないわ」
「昨日の夕食のオートミールは、ごく普通に食べられたよ」
「それは何よりですわ」
私はモスターにうなずきかけ、朝食は私と同じものを運ばせることにした。
いつも、私はノストナ家の主として、暖炉を背にして長方形のテーブルの短辺に座るのだけれど、今朝は長辺にアルフェイグと向かい合わせに席を作ってもらっていた。
座りながら、密かに緊張する。質問されたら、うまいこと答えなくてはならない。
そこで、昨日文献で調べて知ったことを元に、先にこちらから質問してみることにした。
「あなたは、オーデンの王太子殿下でいらっしゃいますの?」
アルフェイグは一瞬、戸惑った様子を見せた。
「うん、そう。ごめん、名乗ればわかってもらえると思っていた」
「こちらこそ、申し訳ありません。領地に引きこもって暮らしているので、政に疎くて」
私は素早くフォローを入れる。
彼が名乗った通りの人物だとして──
アルフェイグ・バルデン・オーデンは、亡国オーデンの最後の王太子だった。
文献によると、かつて北の国キストルが、小国オーデンを属国として支配していた。けれど百年前当時、オーデンには独立の気運が高まりつつあった。
アルフェイグの言う『命を狙われていた』というのは、キストルが独立運動を阻止しようとして、後継者である当時十九歳のアルフェイグを密かに亡き者にしようとしたことを言っているらしい。
彼の話によれば、彼と配下の魔導師カロフは暗殺から逃れて『止まり木の城』に隠れた。
そこでどんな行き違いがあったのかはわからないけれど、公的には、王太子は行方知れずになったと記録されている。昨日、彼が話した内容とも一致する記録だ。
父王が亡くなってからは、後を継ぐ者もいなくなり、独立の動きもたち消えた。
実際には、彼は秘密の城に匿われて生き残っていたのだから、即位の手続きこそしていないものの、父王から彼に王位は移ったと見なしていいだろう。
アルフェイグは、オーデン王国最後の王なのだ。しかしそのことを、彼は知らない。