5 男性をお持ち帰りしました(注・そういう仲ではありません!)
オーデン公爵邸──我がノストナ家の屋敷──の前で、私はベロニカから下りた。
父は亡くなり、私は例の一件を起こした後、社交界から遠ざかっている。広い屋敷があっても維持管理が大変なので、私は豪商の別荘を買い取り、そこに住んでいた。
母屋はこぢんまりとしているけれど、傾斜の急な屋根や赤いレンガの外壁、広いバルコニーがおしゃれで気に入っている。
母屋の裏手は、使用人たちの暮らす棟と渡り廊下で繋がっていた。そちらの方から、侍女のセティスが姿を現し、足早に近寄ってくる。
「ルナータ様、お帰りが遅いので心配いたしま……あら、こちらの男性は?」
編み込んできっちりまとめた髪に、黒いワンピース姿のセティスは、軽く目を見張った。
いつも冷静な彼女も、さすがに驚いたらしい。知らない男性がベロニカの背にうつ伏せ、だらんと四肢を垂らして気絶しているのだから。
二度寝させてはみたものの、あんな場所――しかもいかにも訳ありといった様子で眠っていた彼をさすがに放っておけず、マルティナに手伝ってもらって塔から下ろし積んで来たのである。
「ちょっとね……なんて説明すればいいか」
口ごもった私を見て何を誤解したのか、セティスは口元に手をやった。
「ルナータ様が、男性をお持ち帰りになるなんて。珍しいこともあるものですね」
「人聞きの悪いこと言わないでっ。とにかく下ろすの手伝ってよ!」
「酔わせたのですか? まさか事の真っ最中に殺してしまったとか? ルナータ様、意外と激し」
「殺してない! 気絶させちゃっただけ!」
「十分激しいですわ」
「いいからモスターを呼んできて!」
ノストナ公爵家は今や、女当主である私しか残っていない家である。しかも実は、メイドや料理人、庭師など、使用人のほとんどが女性だ。人数も少なく、皆が何かしら仕事を兼務している。
唯一の男性使用人が、従僕と御者を兼ねているモスターだった。男性客が来た時に女性使用人だけでは困るので、彼がいてくれるのは非常に助かる。
「この方を客室に運べばいいんですね? お任せ下さい!」
金髪美丈夫、あまり深く物事を考えないモスターは、謎の男を楽しそうに肩に担ぎ上げると屋敷の中に入っていった。
モスターを見送り、私とセティスは私の執務室に入る。セティスは私の侍女であるのと同時に、女性でありながら執事を兼務していた。
彼女いわく、
「執事と従者を兼ねている男性使用人を、何人も知っております。私もそのくらいできますわ」
だそうで、常に飄々と仕事をこなしてくれている。
そんなセティスは、不審げに軽く眉を上げた。
「城……ですか」
「知らなかったのよ、そんなものがあの森の中にあるなんて。まあ、魔法で隠されていたなら仕方ないけど」
執務机に座った私は、今日の出来事をざっくりと話して聞かせる。
「ええと、で、いきなりあの彼が目覚めたから、びっくりして魔法で吹っ飛ばしちゃった」
いきなりキスされたくだりは省略した。
セティスは小さくため息をつく。
「まぁひどい。起こしたのはルナータ様の方ですのに」
「あはは……。ま、それはともかく、不思議だったわ。城を出る頃には、いつの間にかイバラがすっかりなくなっていたの。まるで、魔法が解けたみたいに」
するとセティスは、片手を頬に当てて考え込む。
「変な城ですね。少なくとも、お父上のガイン様がオーデン公爵になるより以前から、魔法で隠されていた城でしょう? つまり、最低五年以上は隠されていたことに」
「そうね。私、公爵領に来てからしょっちゅう森をうろついているもの。隠されてさえいなければ、さすがに気づいてたはずだわ」
「城の出入りはできず、起きていたら飢え死にしてしまいますから、五年以上眠っていたことになりますよね。一体何の意味が? ご自分で魔法をかけたならともかく、誰かが魔法をかけたなら、ずーっと眠らせて生かしておく意味なんてない気がしますけど」
「セティスも相当ひどいわよ……。うーん、まあ普通に考えて、目覚める前提だったということかしら。いつを想定してのことかはわからないけど」
私は考えたけれど、すぐに両手を軽く打ち合わせた。
「わからないことを考えても仕方ないか。とにかく、この土地の歴史をさかのぼって調べてみる。あの城にも人をやって調査させないと。それに」
私はちらりと、窓の外を見た。
「あの男が目覚めたら、色々と聞き出さないとね」
謎の男のそばには、モスターが「男性のお客様、久しぶりですね!」と張り切ってついてくれた。
そんな彼から、「あの方が目を覚まされました!」と知らせがあったのは、夕方になってからのことである。
私はセティスにも付き合ってもらい、客室の扉をノックした。
「どうぞ」
返事があったので、中に入る。
緑とくすんだ金色を基調にした部屋の奥、ベッドの上に、彼はいた。枕を背にして上半身を起こし、こちらを見ている。
(私より若い……二十歳になってるかなってないか、といったところね)
けれど、見た目の若さとは裏腹に、彼には堂々とした落ち着きがあった。肝が据わっているというのか、知らない場所に連れてこられたというのに美しい顔に不安を浮かべることも、警戒をあからさまにすることもない。ベッドの上に座っているだけなのに、不思議な優雅ささえ備えている。
ベッドの脇に近寄る私を、彼は金色の瞳でずっと追っていた。
(何よ、初めて見たような顔をしちゃって。いきなりキスしたくせに。寝ぼけてたの? サイテーね)
まあ、先ほどと違って今は髪もきっちり結っているし、女公爵らしいドレスに着替えてはいるので印象が違うのだろう。ということにしておく。
私は淡々と話しかけた。
「お加減はいかがかしら」
私を見つめていた彼は、ハッとしたように瞬きすると、柔らかく微笑んだ。
「うん、大丈夫」
その話し方に、私は「あら?」と思う。
(見た目で年上とわかる私に、この話し方……人の上に立つことに慣れている地位の方かしら。それとも、私が女だから? あんまり見下してくるようなら、さっさと箱詰めにして……じゃなかった、箱馬車に乗せて王都に送ってしまおう)
私はベッドの横の椅子に腰かけ、事務的に名乗った。
「私はルナータ・ノストナ。この地の領主です」
「……ルナータ・ノストナ……」
彼は私の名前を繰り返し、ひたすら私をじっと見つめている。
セティスは、枕元の水差しを交換しながら、ちらちらと彼の様子を観察していた。
(キスされたなんてセティスに知れたら、絶対面倒なことになるわ。やっぱり黙っていよう)
私は、咳払いをした。
「えへん。それで、あなたのことはなんとお呼びすれば?」
彼は、私を見つめたまま瞬くと、かすれ気味の声で告げた。
「あぁ……僕は、アルフェイグ。アルフェイグ・バルデン・オーデン」
(オーデン?)
引っかかったものの、私は男にうなずきかけた。
「では、アルフェイグとお呼びするわね。……あなたは、森の中の城にいるところを発見されました。白と灰色の、小さなお城の塔であなたは眠っていて、他には誰もいませんでした。どうして一人で眠っていらしたの?」
──私が見つけたということや、城に魔法がかかっていたことなど、細かいことを言わなかったのは、まず彼にしゃべらせようと思ったからだ。
万が一、彼が何らかの事件や陰謀に関わっている場合、こちらの情報と彼の話を突き合わせることで何かが見えてくるかもしれない。この地を預かる身としては、慎重に対処したかった。
「うん……ええと……ごめん、まだ少しボーッとしていて」
アルフェイグは左手を額にやり、眉根を寄せる。
「夜中に王宮を出て……そう、『止まり木の城』に向かったんだ」
「止まり木の、城?」
「塔のある森の中の城は、そう呼ばれている。オーデンの王族しか知らない、秘密の場所……」
(あの城は、王族しか知らない)
私は息を呑んだ。
(それが本当なら、この人は、旧オーデン王国の王族の血筋?)
「僕はそこで……」
彼は続けようとして、不意にハッと目を見開いた。
「そうだ、カロフは。魔導師は?」
「魔導師?」
「僕の手足として動いてくれていた。命を狙われていた僕は、城から動くことができなかったからだ。それでカロフが儀式の準備を……そう、カロフに眠らされて」
(命を狙われて? 儀式? 眠らされた?)
情報過多な上に不穏な言葉が続き、混乱していると、意識がはっきりしてきたらしい彼は身を乗り出した。
「ルナータ、君はここの領主だと言ったね。ここはどこ?」
「えっ」
綺麗な顔が不意に近づいて、私は思わず身体を軽く引きながら、とっさに国名だけを答えた。
「あ、あなたが今いるのは、グルダシアよ」
「グルダシア……オーデンの西の? じゃあ、グルダシア王が僕を保護してくれたのか。それで、なぜ僕はオーデン王国を出て、君の屋敷に?」
矢継ぎ早に、質問が飛んでくる。
「ええと、そう、あなたが見つかった場所からここが一番近かったので、運び込まれたということかしら」
ひとまず嘘だけは回避しつつ、私は続けた。
「私もあなたをお預かりしただけで、詳しいことはわかりません。色々わかったら教えます。とにかく、あなたは魔法で眠っていたんですのね? 身体の具合を知りたいの」
多少、ごまかすように話をずらす。
彼は我に返ったように瞬きをした。
「身体? 何ともない……と思うけど」
彼は身体をひねると、両足をこちら側の床に下ろした。そのまま立ち上がる。
一瞬ふらついたように見え、私は急いで立ち上がりながら手を出した。
上腕部のあたりを支えてみたけれど、アルフェイグはすでに身体を立て直していて、ごく普通に立っている。頭一つ分高いところから、金色の目が私を見下ろした。
「うん、大丈夫。ん? 肩とか腕がちょっと痛いかな……あれ、ぶつけたようなアザがある」
それはおそらく、私が魔法でぶっとばした時にできたものである。
「む、無理はなさらないで。眠らされた、とおっしゃっていたけれど、どのくらい眠っていたのかしら。多少は足が弱っているかもしれないわ」
私は言い聞かせながら、アルフェイグをもう一度ベッドに座らせた。
彼は私を見上げると、すっ、と私の左手をとった。軽く手の甲にキスする。
「ありがとう」
人懐っこい微笑みを見せ、私の手を放――すのかと思ったら、手はそのまま彼の両手で包み込まれてしまった。
じっと見上げてくる視線は、何かを探ろうとする意図などは窺えない。まっすぐで純粋だ。思わず引き込まれ、見つめ返す。
(……はっ!?)
我に返って、私はあわてて手をパッと引いた。
(初対面なのに何この人、距離感おかしい! 私もうかつすぎでしょ、動物みたいで可愛いとか思ってしまったわ!)
もし動物であれば、初対面ですり寄ってきてくれたら大歓迎の私だけれど、こいつは人間の男である。
気を取り直そうと、私は身体の前できっちり両手を揃え、感情を抑えた声を出した。
「ゆっくりお休みになって。しばらくこの家でお世話させていただくわ。夕食はここに運ばせます」
「うん。……そうか、グルダシア……」
彼は素直にうなずいたものの、視線を落として何か考え込んでしまった。
突然知らない場所にいて、混乱しているのだろう。若者が困っている様子は、さすがに気の毒だ。
「また明日、伺うわ」
話しかけたけれど、彼は考えに沈んでいて返事をしなかった。