【書籍化告知記念】ちびグリフォンが舞い降りました・前編
おかげさまで、本作はJパブリッシングさんのレーベル・フェアリーキスピュアより書籍化されます! 発売は2020年8月27日ですので、その時の状況に合わせて無理なく入手していただければと思います。
さて、お約束していたちびグリフォン登場話をお届けいたします(前後編同時投稿)。こちらは書籍版には別バージョンで掲載予定で、登場人物が変わります。
「妊娠中って、身体が色々と辛いとは聞いていたけれど、精神的にも辛いものなのね」
やさぐれ気味に、私はつぶやいた。
私が辛いことといえば、決まっている。動物たちとのことだ。身ごもっている間、揺れの激しい馬には乗れないので、森に気軽に出かけて動物たちと触れ合ったり観察したり、全然できていないのである。
「あぁー。渓流に行きたい。みんなに会いたい! でも、歩くと遠いし……!」
禁断症状が出て、とうとう愚痴をこぼす私に、アルフェイグは目を見開いた。
「何だ、早く言ってくれればいいのに。僕が乗せてあげるよ」
「本当!?」
思わず身を乗り出すと、彼は私の手を取って、甘やかすような口調で言う。
「もちろん。今から行く?」
「行きたいわ!」
「よし、おいで」
手を引かれて庭に出ると、アルフェイグはすぐにグリフォンに変身してくれた。私は遠慮なく、その背中に乗せてもらう。
グリフォンの翼が大きく広がり、身体がいったん、ぐっ、と沈み込んだかと思うと、私たちは一気に大空に駆け上った。
緩やかに滑空し、森を目指す。眼下にきらきらと光る川、そして『止まり木の城』。塔は崩れてしまったけれど、それ以外の部分は今でも美しい。
渓流の近くの開けた場所に着地する時も、アルフェイグは細心の注意を払ってくれた。
『よし。気をつけて降りて』
「ええ」
背中の方からゆっくりと滑り、草の生えた柔らかな地面にそっと降りる。
するとすぐに、マルティナとその子どもたちが姿を現した。
「マルティナー! 久しぶりね!」
私は彼らを撫でまわしながら、人間の姿に戻った夫を振り向く。
「ありがとう、アルフェイグ。私、色々してもらってばっかりね」
「そんなことないよ。僕は、幸せそうなルナータを眺めることで、幸せになれるんだし」
彼は、お腹の目立ってきた私を甘い視線で見つめる。
「笑顔が増えたよね、ルナータ。君はどんどん綺麗になる」
そしてふと、ちょっとすねたような表情になった。
「この間、ティチー伯爵領から来た商人が君に見とれてた」
「え……嘘」
「本当。つい、君と商人の間に入って視線を遮ったよ」
言いながら、彼は私の頭を引き寄せて額にキスをする。
私もちょっと、言ってやりたくなった。
「……アルフェイグだって、モテるの知ってるわ」
近隣の領主たちとパーティをすることがあり、出席したご令嬢たちが彼に熱い視線を送っているのには気づいている。「ルナータ様よりも、お若い旦那様なんですね!」と、わざわざ私に言ってくる子もいる。
でも、もう私は卑屈になりたくない。アルフェイグの気持ちに応えたい。
私は身体を離すと、彼の金の瞳を見つめた。
「あの、アルフェイグ。私も何か、あなたにしてあげたいんだけど」
そう言うと、彼は軽く目を見開いてから、笑み崩れた。
「嬉しいな。何をしてくれる?」
「そ、それが、思いつかなくて……気が利かなくてごめんなさい。何か、してほしいことはない?」
申し訳なく思いながら、聞いてみる。
すると、アルフェイグは片手で顔を覆ってしまった。
「くっ……そういうところが本当に、たまらない」
「なに?」
「ああもう……じゃあ、君に無理のない範囲のことで……」
「ええ、言って!」
促すと、顔を上げたアルフェイグは微笑む。
「君を乗せて飛ぶ時に、いい風を吹かせてくれる、っていうのはどう?」
「風の精霊魔法ね、わかったわ!」
私は大きくうなずいた。
そうして、私は風の精霊語をせっせと勉強し、彼が私を乗せて飛ぶときの助けになるようにした。おかげでずいぶん、風の精霊語が上達したものだ。
とても幸せな、妊娠期間だった。
初夏のある日。
私は、女の子を産んだ。
「良かった……二人とも無事で……」
アルフェイグは心から安堵して涙ぐみながら、医師に差し出された赤ちゃんをおそるおそる抱いている。
「女の子……」
ぐったりとベッドに横たわりながら、私はつぶやき、そしてアルフェイグに微笑みかけた。
「アルフェイグ、名前を呼んであげて」
「あぁ、そうだね」
彼は嬉しそうに私を見てうなずいてから、くしゃくしゃの顔で泣いている赤ちゃんを見た。
「スフェリナ、我が家へようこそ!」
精霊の加護を得られるように、オーデン語で『精霊』という意味の言葉を元にして考えてあった。女の子ならスフェリナ──スフェリナ・バルデン・ノストナ。
日々、すくすく育っていくスフェリナは、よく笑う子だ。髪と瞳の色はアルフェイグの色を受け継いでいて、顔は私に似ているように思う。
(どんな子に育つんだろう? アルフェイグみたいに、素直で前向きで、誰かを助けられるような子に育ってほしいな)
私はそう思ったけれど、アルフェイグは
「ルナータみたいに、芯が強くて優しい子に育ってくれよ!」
なんてスフェリナに話しかけていて、私はちょっと照れくさかった。
アルフェイグは、スフェリナを抱っこする私を見るといつも頬を緩め、スフェリナごと私を抱きしめる。
「愛するルナータが、愛するスフェリナを抱っこしていると、二倍愛しく感じるかと思ってたけど……すごいな、二倍どころじゃない。たまらなく愛しい。立っている床や背景の窓まで愛おしく見えてくる」
とどまるところを知らない、アルフェイグの愛情である。
ただ、成長するにつれて、心配なことも出てきた。
スフェリナは少し、言葉が遅かったのだ。三歳になっても、まだいくつかの単語しか言えず、文章などとても話せなかった。
「スフェリナ様、待ってー!」
乳母のエフテルが、公爵邸の庭を走っている。彼女が追いかけているのは、きゃっきゃと笑う娘のスフェリナだ。
言葉が遅くとも、スフェリナはものすごく活発な子で、とにかく外遊びしてさえいればご機嫌だ。エフテルは「私もすっかり日に焼けてしまいました」と笑っている。
たーっと走っていたスフェリナは、ふと立ち止まって空中を指さした。
「た! た!」
「何ですか? 何がいました?」
追いついたエフテルが、スフェリナの指さす方を見る。私もそちらを見てみたけれど、特に何もいない。
(これも、よくやるのよね。空中を指さすの。子どもにしか見えない何かがあるのかしら)
思っているうちにスフェリナは再び走り出し、今度は庭にいたアンドリューを追いかけ始めた。
「とり! とり!」
「クーッ」
アンドリューはソラワシなのに、スフェリナが迫ってくるのに驚いたのか、飛ぶのを忘れて必死に走っている。……大丈夫だろうか。
(それにしても、若いエフテルが乳母で良かったわ。スフェリナの体力は底なしだもの)
ベンチに座ってその様子を眺めていると、屋敷の方からセティスの声がする。
「ルナータ様、そろそろお時間です!」
「今行くわ! ……エフテル、それじゃあよろしくね!」
私は声をかけながら立ち上がった。今日は商業組合の昼食会に出席することになっている。アルフェイグも町役場に行っていて忙しい。
庭の向こうでエフテルがようやくスフェリナを捕まえ、抱き上げてスフェリナに何か話しかけた。すると娘は私の方を見て、ふくふくした手を振る。
私は手を振り返し、屋敷を出発した。
昼食会を終え、ベロニカに乗って屋敷に戻ってくると、玄関の方からエフテルが走ってくる。
「ルナータ様!」
「どうしたの?」
驚いて手綱を引き、ベロニカを止めると、エフテルは真っ青だ。
「す、スフェリナ様が、飛んでいってしまいました!」
「へ? 飛ん……?」
一瞬、意味がわからなくて聞き返すと、エフテルは胸の前で両手を握りしめて続ける。
「お外で遊んで汚れてしまったので、入浴させようと服を脱がせたんです。そうしたら、どういうわけか背中に翼が生えていて! 驚いているうちに姿形が全部変わって、窓から外へ……!」
「えええ!?」
ようやく意味が分かって、私はぎょっとした。
スフェリナは、グリフォンに変身してしまったのだ。
「そんな、こんな小さなうちから変身なんてっ」
「森の方へ飛んでいってしまいました、申し訳ございません……! 今、使用人たちが次々と森へ向かっ」
半泣きのエフテルが言いかけたところへ、急に影が差した。
はっ、と見上げると、空に大きなグリフォンの姿。
「アルフェイグ!」
『ルナータ、アンドリューから話は聞いた!』
翼をはためかせて空中で停止しているアルフェイグが、話しかけてくる。
『スフェリナは僕とモリネコたちで探すから、使用人たちを引き留めて。もうすぐ暗くなる、人間には森の中は危ない』
「わ、わかったわ。お願い」
『変身したてで飛び方もうまくないはずだ、遠くまでは行けない。大丈夫だよ。待ってて』
彼は言って、再び上空へと舞い上がると、森の方へ飛んでいった。
「ルナータ様」
半泣きのエフテルに、私はうなずきかけた。
「アルフェイグの言うとおりにしましょう。アルフェイグは動物たちと意志を通じることができるし、モリネコは夜目が利く。必ず、スフェリナを見つけてくれるはずよ」
言いはしたものの、息苦しいほど緊張して私は胸を押さえた。
(スフェリナ、無事でいて……!)




