23 彼女から、大事な話があると言われました(注・儀式当日に)
アルフェイグの、成人の儀式の日がやってきた。
「それじゃあ、僕は身を清めてから、『止まり木の城』に向かう。明日の朝、城で会おう」
まだ朝靄の残る時刻に、馬を引いたアルフェイグは屋敷の前で言う。目覚めた時と同じ、シンプルなシャツとズボン姿だ。
儀式は、二日間に渡って行われる。
私とパルセは、彼を見送りに出ていた。少し下がったところで、セティスとレムジェも立っている。
「二日ともいいお天気になりそうで、良かったわ。……アルフェイグ、あの」
「うん、もう一回、手順を確認しようか」
彼は最終確認をする。
「僕は身を清めた後、城へ行く。塔の地下に降りて礼拝所の封印を解き、先祖に祈り、そこで眠る。そうすることで、王家代々の記憶を受け継ぐ」
その記憶に、グリフォンの姿かたちの記憶も含まれている、ということらしい。
「僕はもう塔で百年眠ってるから、とっくに記憶は受け継がれて、僕の中にあるんじゃないか……という気もする。何となくね。でも、形式も大事だ」
「そうね。礼拝所には、アルフェイグも初めて入るんでしょう?」
「うん。王家の宝物がそのままになっているはずだ。せっかく泊まるんだから、じっくり見てくるよ」
「立会人の私は、今日はすることはないのよね。明日の夜明けには城に行って、礼拝所の前でランプに火を点す」
「僕は礼拝所から出て、ランプを持った君に導かれながら、一緒に塔を登る。そして、屋上で変身。……最初の変身はすごく体力を消耗するというから、何だか緊張するな」
アルフェイグが緊張しているなんて、珍しい。
(本来なら、父王とか母王妃とか、儀式に詳しい王家の人たちに見守られて初めての変身をするんだろうに。私なんかの手助けじゃ不安よね……)
そこまで考えたところでハッとして、背筋を伸ばす。
(ううん、今は今。代理とはいえ、立会人が『私なんか』なんて思っていてはだめ。今度は私が、彼に勇気をあげなくちゃ)
私は言った。
「私がそばにいるし、マルティナたちもいる。何かあったら助けるわ」
アルフェイグによると、森の動物たちは今日、儀式が行われることを理解しているらしい。ずっとオーデンで暮らしてきた動物たちは、やはり記憶を受け継いできていて、あの城が何なのかを知っているのだという。
それならきっと、今日もマルティナやアンドリューは私たちを気にしてくれているだろう。
「ルナータにそう言ってもらえると、安心して臨めるよ」
アルフェイグは目を細めて微笑み、私を少しの間、見つめた。
以前はこんな風に見つめられると、つい視線を逸らしてしまったけれど、あの夜からは見つめ返せるようになった。……三回に一回くらいは。照れるんだから仕方ない。
「ええっと、コベックには、城の外で見届けてもらえばいいわよね?」
「うん。彼には城に立ち入ってもらいたくないしね。遠目でも変身の様子が見えればいいんじゃないかな。目の前で見たいなら、後で見せてもいいわけだし」
「そうね。……それじゃあ、つつがなく終わりますように」
私が言うと、すぐ側にいたパルセも頭を下げた。
「アルフェイグ様、万事つつがなく。お気をつけて」
彼はうなずき、馬に乗ると、渓流の小さな滝に向かって出発して行った。
私は軽くため息をついて、パルセを振り向く。
「城の方も昨日までに準備万端だし、あなたのおかげよ、ありがとう」
礼拝所の前に祭壇をしつらえたり、捧げものを決まった順に並べたりといった作業で、パルセは大活躍だった。
彼女は目を伏せる。
「いえ、そんな……」
「今日はゆっくりなさって。中でお茶にしましょう」
屋敷の中へ戻ろうと、私は身を翻した。
(昼食をとったら、私も少し休もうかしら。明日の朝、起きられるかどうか心配で、夜は眠れそうにないし……)
「ルナータ様」
ふと、呼び止められた。
その声の調子に、これまでと違うものを感じて振り返る。
パルセは、いつもの笑顔ではなかった。どこか苦しそうに眉をひそめ、胸元で両手を握りしめている。
「大事なお話が、あるんです」
私たちは、書斎に移動した。ソファに座って向き合う。
「儀式のこと? 何か、問題でもあった?」
どうしたのだろうと、パルセの様子を伺いながら聞く。
彼女は緊張した様子で、自分の両手を見つめながら口を開いた。
「……ルナータ様が、『止まり木の城』を見つけた時のことなんですけれど」
「ええ」
「アルフェイグ様から、その時の様子を教えていただきました。城は、イバラに囲まれていたとか。ルナータ様は、魔導師が城をイバラで包んだ理由を、どうお考えですか?」
「どうって」
私はためらいながら答える。
「婚約者を迎えに行かなくてはならなかったから、城にいるアルフェイグを守るために……でしょう?」
「もう一つ、考えられる理由があるのです」
一瞬ためらってから顔を上げ、パルセは言った。
「王族の血を引く者だけは、あの城に入れるようにしておきたかった。そのためのはずです」
「……どういうこと?」
理解できない私に、パルセは続ける。
「イバラは、城全体を包んでいたわけではなかったそうですね。上の方は、空いていたと」
確かに、最上階は窓が見えていた。
(もちろん、屋上も空いていた。そう、屋上には、あの『止まり木』が……)
「あっ」
私は目を見開いた。
「グリフォンなら、空から入れる……?」
「はい」
パルセはうなずく。
「自らグリフォンに変身できるのは、王族だけです。ですが、魔導具の力を借りれば、王族の血を引く者は変身することができるんです」
彼女はふと手を上げると、首にかかっていた細い鎖を引っ張った。チャリッ、という音がして胸元から引き出されたのは、何かの爪の形をした銀色のペンダントだった。
「ダージャ家に伝わる魔導具です。一度だけ、使うことができます」
「一度だけ……」
「魔導師カロフは、自分にもしものことがあった時、誰かが王太子殿下をお助けするように道を残したはずです。つまり、婚約者が城へ行って殿下を目覚めさせられるようにした。けれど残念なことに、秘密の城の場所は、ダージャ家に伝わりませんでした」
彼女は悲しそうに、目を伏せた。
「知っていれば、そしてイバラに囲まれた城を目にすれば、魔導師の意図はすぐにわかったはずなのに……。使われなかったこの魔導具は、子孫に受け継がれました。彼女の願いとともに」
「……願い?」
パルセが何を言おうとしているのか、私は不安になり始めた。無意識に、手を握る。
彼女は続けた。
「もしも、王太子殿下が魔法で眠っているのなら、百年も経てば効力は弱まる。ダージャ家の子孫は秘密の城を探し出し、今度こそ王太子殿下を見つけて目覚めさせ、そして」
パルセはまっすぐに、私を見た。
「この魔導具をダージャ家の証として、王太子殿下の伴侶となり、殿下を支えるようにと」
(伴侶)
どくん、と、心臓が大きく一つ脈打つ。
パルセは私を見つめたまま、先を続ける。
「ちょうど年頃になるはずの私は、幼い頃から、殿下にふさわしい女性になるようにと育てられてきました」
「で、でも」
動揺しながら、私は尋ねた。
「百年前の、会ったこともない人と? パルセはそれで納得していたの?」
「貴族は、会ったことのないお方と結婚するのは普通だと、聞かされておりました。今はもう貴族ではありませんが、私もそういうものだと」
彼女は、微笑む。
「それに、会ったことはなくとも、ずっと憧れていました。曾祖母がそんな願いを残すほどのお方……きっと、素敵な方だろうな、って」
その微笑みが不意に崩れ、パルセはうつむいた。透明な滴が一粒、彼女の手に落ちる。
「もうすぐ百年という今、子孫たちは密かに、城を探し始めていました。そんな時、ルナータ様……あなたが、アルフェイグ様を目覚めさせた」
私はますますうろたえる。
「偶然、だったのよ」
「ええ。でも、ああ、仕方のないことだとわかっておりますが……私が目覚めさせたかった……!」
パルセは顔を覆う。
私はうろたえながらも、先を促すことしかできない。
「どういうことなの? 誰が目覚めさせるのかが重要なの?」




