12 ピンチです!(注・認めたくありませんが!)
『止まり木の城』は、静かに森の中にたたずんでいた。イバラもなく、霧もかかっていないと、細部がよく見える。
「これは、物見の砦に増築を重ねたのか? 節操のない城だな。王族の末裔が暮らしていたというから、もっと洗練された城かと思えば」
馬を下りたコベックが評するのを聞いて、私はついカチンときてしまう。
(そういうところも含めて歴史、文化でしょうが。全部グルダシアを基準にしないでほしいわ)
黙っている私の方へ、コベックは振り向いた。
「アルフェイグ殿がオーデン公爵邸に移ってから、ここには誰もいないんだろう?」
「そうよ」
「そうか、二人だけか。……こんなに小さな城なら、すぐに見て回れそうだ。中に入ろう」
「どうぞ」
仕方なく、私はコベックを案内して正面扉から中に入る。
屋内で彼と二人きりになるのは嫌だったけれど、何かあれば魔法でぶっ飛ばされるってことは、彼も身に染みてわかっているはずだ。
「ふーん、中も寂しいものだ。装飾が少ないな」
ホールを通り抜けながら、コベックはあちこちを見回した。私はため息をつく。
「言ったでしょ、貴重なものは運び出してあるって」
オーデン王国の王宮だった場所も、きちんと管理されていなかった時期に盗賊が入り込み、あれこれ盗まれてしまった。父が公爵になってからは警備がつき、私の代でもそれを引き継いでいる。
『止まり木の城』は、せっかく百年前のままだったので、往時の貴重な品々を荒らされる前に保管しておきたかったのだ。
「アルフェイグ殿が寝起きしていたのは、この部屋か」
塔の上まで上ったコベックは、寝室を見回した。私が吹っ飛ばしたベッドは、警備隊の手によって一応ベッドメイクされている。
「ベッドが少し傾いでいるな。脚が欠けているのか。古いから仕方ないが」
「そ、そうね」
思い当たる節が大ありの私は、それだけ答えた。コベックは顔を上げる。
「ベッド以外はまあ、それなりに美しくないこともない。僕の趣味ではないが。……さて、一通り見たし、戻るか」
「ええ」
私はホッとした。
(やっと屋敷に帰れるわ。そうしたら今度こそ、用事があると言って彼を追い返そう)
一応、私を尊重してか、コベックは私に先に階段を下りるよう促した。
私は会釈して、下り始める。
その瞬間。
ひゅっ、と、後ろから布のようなものが私の顔に回された。
「⁉」
布は猿ぐつわのように私の口にかかり、最初から輪にしてあったのか、寝室側に引き上げられながらギュッと絞られた。
(しまった。口を塞がれたら、呪文が……!)
布を緩めようとした手が、すぐにがっちりと後ろから捕まれる。
コベックは、力だけは強い。そのまま抱き込まれるようにして引きずられた。ベッドに投げ出され、とっさに起き上がろうとしたところへ、彼がのしかかってくる。彼の右手が、私の頭上で両手首をひとまとめに押さえ込んだ。
「ルナータ。僕は、申し訳ないと思っているんだよ。君との婚約を解消する羽目になったことをさ」
コベックはぎらつく目つきで笑う。
「だってそうだろう、あれから何年も経つのに、君は独り身だ。君を望む男がいなかったってことだろう? それとも、僕を忘れられなかったのか?」
(気持ち悪っ! 全部自分に都合のいいように考えて……っ!)
がむしゃらにもがいたけれど、コベックの力は緩まない。
「賢い君ならわかるだろ、やり直してやろうと言ってるんだ。ノストナ家の跡継ぎ、僕がルナータに生ませてやるよ。僕たちは結ばれる運命だったんだ」
首筋から胸元を指でなぞられて、ぞっ、と鳥肌が立った。
(やり直して「やろう」って何⁉ あなたが決めることじゃないでしょ、何様のつもりなの⁉ 私を支配しようとしないで!)
何とか足をばたつかせようとしたけれど、腿に乗られているので足を動かせない。
「ほら、わかったらおとなしくするんだ。午後に予定があるんだろ? さっさと済ませよう」
耳にコベックの荒い息がかかる。
(嫌、誰か!)
目をギュッと閉じ、心の中で叫んだ時──
ドスッ、という鈍い音がした。
「うわあっ⁉」
──いきなり、のしかかっていた重みが消えた。
私はガバッと起き上がり、必死で猿ぐつわを緩めて引き下ろす。
グルゥゥゥ、といううなり声。茶色の毛皮に黒い斑点。しっかりと床を踏みしめる四つ足。
マルティナだ! マルティナが塔の階段を上がって、寝室の扉から飛び込んできたのだ。
そして。
「ルナータ!」
その背から、アルフェイグが厳しい顔つきで飛び降りた。
「っ、誰だ! 無粋な真似を……!」
マルティナに体当たりされて、ベッドから転がり落ちたらしいコベックが、素早く立ち上がる。けれど、アルフェイグは彼を一瞥しただけで、私に短く聞いた。
「ルナータ。その男は誰」
その声も、視線も、見たことがないくらい鋭い。
「この、ひとは、あ……」
私は答えようとしたけれど、唇が震えて声がかすれた。かぶせるように、コベックが怒鳴る。
「僕はチーネット侯爵家のコベック、ルナータの夫となる男だ。お前こそ誰だ!」
「ルナータ、本当?」
アルフェイグはあくまでも、私にしか聞かない。
(違う、違うわ!)
私は必死で、首を横に振った。
すると、アルフェイグはマルティナをすぐ脇に従えたまま、大股で近づいてきた。ベッドを挟んで、コベックと対峙する。
「ルナータは違うと言ってる」
「な、何を……」
「下がってくれないかな」
アルフェイグは素早く片膝をベッドにつくと、私をかき抱くように引き寄せた。あっ、と思っているうちに、一気に立ち上がらされる。
アルフェイグは私をしっかりと抱き支えながら、コベックを睨んだ。
「僕はアルフェイグ・バルデン・オーデン。旧オーデン王国の最後の王だ。僕の恩人であるルナータに害をなす者は、僕の敵でもある。……ああ、そういえば」
彼は、微笑んだ。その微笑みは、まるで威嚇するかのように獰猛だ。
「ルナータと婚約していながら、あまりに頼りなくて見限られた男って、君か」
「何だと⁉」
コベックの顔が真っ赤になる。
「この女は僕に無礼を働いたから、婚約を破棄してやったんだ!」
「ふぅん、その割にこの領地までわざわざやってくるなんて、未練たっぷりだね。しかも、彼女が呪文を唱えられないようにして襲うなんて」
アルフェイグは、私の首周りに絡んだ猿ぐつわをシュッと引っ張って投げ捨てた。
「ひょっとして、彼女の魔法が怖い? 前に何かあったのかな?」
「な……」
コベックは絶句した。
アルフェイグは表情を消し、冷ややかな表情で告げる。
「選ばれなかった男は潔く、尻尾を巻いて立ち去るべきだな。さっさと帰って、別の女性のお眼鏡に適うように一から努力することを勧めるよ」
マルティナが彼の前に立ち、荒々しい吐息交じりに低く唸った。
「……!」
コベックは、アルフェイグとマルティナを見比べて怯んだ。そして、
「覚えてろ……!」
という陳腐な捨てぜりふを言うなり、横歩きでマルティナを大きく迂回し、扉に向かってカサカサと移動を開始した。ガウッ、とマルティナが一声鳴くと「ヒッ」と一瞬飛び上がり、全速力で走って寝室を飛び出していく。
アルフェイグは、そんなコベックを見送ることもなく、私の頬を両手で包んだ。心配そうに眉尻を下げる。
「ルナータ! 大丈夫?」
「大丈夫よ、嫌だこんな、恥ずかしい……」
私は震える手で、乱れた髪を直そうとした。アルフェイグは、そんな私の目を覗き込む。。
「しっかりして、ルナータ。君が恥じることなど何一つない。恥知らずはあの男だ」
金色の目に見つめられて、ようやく落ち着いてきた。私は一度深呼吸してから言う。
「……ありがとう……。どうして、ここに?」
アルフェイグはちらりとマルティナを振り返る。
「あのモリネコが、アンドリューから君の状況を聞いたらしい。僕のところにすっ飛んできて教えてくれた。町なかを走ったんで、町の人たちをおびえさせて申し訳なかったけど」
賢いマルティナは、自分の話だとわかるのだろう、のっそりと近寄ってきて私のドレスに顔を摺り寄せた。
頬のこわばりが解けるのを感じる。私はそっと、彼女の頭を撫でた。
「ありがとう、マルティナ」
「歩ける? 戻ろう」
アルフェイグが、手をさしのべてくれる。
私はその手を見つめ、それから彼の瞳を見つめた。
「……あの……」
アルフェイグは微笑む。
「話は、戻ってから」
「……ええ」
私は、その大きな手に自分の手を預けた。
コベックは、どうやらそのまま公爵領を逃げ出したらしい。
屋敷に戻ってみると、コベックの従者がぽつんと待っていたので、
「ここには戻ってこないわよ」
と教えてやると、あわてて出発していった。わざわざ従者を連れてきていたり、荷物が多かったりしたところを見ると、泊まるつもり満々だったのかもしれない。おあいにく様だ。
アルフェイグに付き添われて帰った私の様子を見て、さすがに何かあったと察したセティスに、着替えをしながら事情を話す。彼女は黙って聞いていたけれど、乱れた髪をゆったり目に結い直してくれた後、ようやく小さく息をもらして言った。
「……ご無事で、ようございました。ルナータ様には魔法があるからと油断しておりました。申し訳ございません」
「私自身、油断していたわ。動物たちとアルフェイグのおかげで助かった」
鏡の中の自分を見つめてから、私は立ち上がる。
「アルフェイグと、話をしてくる」
「はい」
セティスが頭を下げた。
小食堂で、アルフェイグは開かれた窓のそばに立って、外を眺めていた。
私が入っていくと、彼はサッと振り向いて私を凝視する。
「……大丈夫?」
「ええ、ありがとう。着替えたらスッキリしたわ」
かっちりした格好をする気になれず、私はいつも森に出かける時のワンピースドレスを着ていた。
「よかった……」
彼はつぶやくように言ってから、私に近づいた。
「さっき、アンドリューが来たよ。君の無事を伝えたら安心したようだった」
「彼にもお礼を言わなくちゃ。……アルフェイグ、食事なさって。昼食、まだでしょう、こんな時間なのに」
「それは君もだよね。一緒に食べよう」
「私は」
つい、視線を落とす。
「あなたと、その、食事できるような立場じゃ」
言いかけたところで、不意に手を握られた。
アルフェイグは、私の手を口元に持っていき、ゆっくりと甲に口づける。まるで優しくなだめられているようで、全て委ねてしまいたくなる。
金の瞳が、私を捉えた。
「その話も、食べながらしよう。……いいよね」
声は静かなのに逆らえず、私はおとなしくテーブルに近づいた。