#96 ある不変を呪う反逆者の物語13
「深淵の闇、じゃと?」
血と肉片の上にて佇む異様な少女に投げ掛けられた問いに、視線で対峙する老人は眉間の皺をより一層に深め、険しい表情をみせる。
一方少女はと言えば、先程までの底冷えのする様な笑みを崩し、今は無表情のまま突き刺す様な鋭い双眼にて老人を見詰めていた。
「そう、深淵の闇。言っておくけど、隠したり嘘をついても無駄だから、そのつもりで答えなさい」
「何を言っているのか分からんな。まるで話にならん······そんな事の為に儂の《研究室》に潜り込んだというのか?」
少女の突拍子のない問いに頭を振り、呆れた様に溜め息を落とす。そして、眉間の皺を解す様に自身の指で摩り落胆と失望の眼差しを少女へと向ける。しかし、少女はその視線など意に介さず、未だ無表情のままに老人へと答えてみせる。
「ええ、そう。《あいつ》は姑息で狡猾なのよ。私達が幾ら探しても何の手掛かりも痕跡すらも見付からないの。この前の貿易都市の一件も空振りに終わったし、どんな些細な情報でも見逃せない。だから、少しでも可能性のありそうな頭のおかしいクソ野郎共を探るしかないのよ。それが例え、あんたみたいな下らない小物でもね」
「ふん、難儀な事だ。その闇とやらに相当な思い入れがあると見える。しかし、だ。残念だったな、儂はそんなものは知らん。こんな場所まで来ておいて何の話かと思いきや、全くもって下らんな。無駄な時間を掛けさせてくれるな、小娘」
やれやれと、大袈裟に両手を広げて明ら様に落胆する老人。そのままゆっくりと氷塊から離れ、周囲にて準備を行っていた侍女達の方へとちらりとその視線を向ける。
作業台にて静かに佇む八名の侍女達は、今は全員その手を止めて綺麗に直立し老人を直視していた。そして、老人の視線と侍女達の視線が交差した時、ふっと再び少女へと視線を戻す。
「もう一度言う、闇などというものは儂は知らん。無駄足を踏ませたようで済まなかったな」
「······ま、最初から喋るなんて思ってなかったからいいんだけどさ。知ってても知らなくても、結局はやる事は同じなんだけどね」
「ほぅ、何をすると言うのだ? その奇妙な術で儂をどうにかする気かの?」
「まぁね、疑いがある以上は見逃すって選択肢は無い訳。そういう事だからさ、その頭引っこ抜いて色々と調べさせてもらうわね。······ああ、抵抗するだけ無駄よ。いい歳して人形遊びに夢中なお爺さん?」
「ふっ、ふははっ、抜かしよる! しかし、こちらも忙しいのでな。すまんが······」
言葉の途中で、老人は爪先で軽く何もない石床を叩く。すると、控えていた侍女達が一人を残し、異状な速度で一斉に日傘を玩ぶ少女に殺到する。
「貴様は予定通り、素材としての役目を果たしてもらおうかの」
◆◇◆◇◆
「貴女達は二階を制圧しなさい。どんな些細な事も見逃さぬ様、この邸全てを調べ上げる事。私達はこのまま一階の調査に移ります」
『はっ、了解しましたっ!』
リエメルがエルフ達に支持を出すと、一切の曇りもない息の合った返事が即答で返ってくる。そして、次々に広間の階段を駆け上がり邸の二階部へとエルフ達が殺到してゆく。
「よし、僕らも急ごう。マリーちゃんが心配だ、嫌な予感しかしない」
「全く同意ですね。しかし、焦りは禁物です。気を抜かぬ様に」
「そりゃ分かるけど、こうも沢山同じ顔にわらわらと群がられると······ねっ!」
言いながら、壁を蹴り飛び掛かってきた人工生命体の頭を軽々と蹴り飛ばし粉砕してみせるエミリー。続け様に横合いから迫る二体の人工生命体の頭部と胸部に強烈な拳打を素早く叩き込むと、大きく足を踏み込み渾身の拳を突き出す。
炎を纏った渾身の一撃は、二体の人工生命体は勿論、その後ろに控えていた数体をも巻き込み壁へと人形の黒墨を焼き付ける。
「そのまま周囲をお願いします。マリーさんに施した追跡用の魔法を更に詳しく検索しますので」
「了解よ、指一本触れさせないから安心して探しなさい!」
「全く、人ではないと分かっていても気分の良いものじゃないね。こうも沢山人の様なものを斬る事になるなんて······。折角武器屋で頼んだ仕掛けも、ここじゃあ使う機会も無さそうだ」
軽く姿勢を落とし、向かい来る人工生命体へと手に持つ鈍銀色の剣を振るい薙ぎ払う。その動作だけで、数体の人工生命体達の身体は肉片に変わり邸の床へと血溜まりを拡げる。
心底嫌そうな顔をしながらも、杖を構えて静かに集中するリエメルの側で油断なく佇むリード。その身体には、肉片は愚か返り血の一滴すらも付着してはいなかった。
「何よ、仕掛けって。どうせろくでもない物なんでしょ? それよりも集中、しっかりメルを守りなさい」
「少しくらい興味を持ってくれてもいいと思うんだ。実は、この鞘に仕掛けがあってだね」
「他所見しない! 幾ら対処法が分かってるって言っても、油断していい事にはならないわよ? 全く、武器や防具の事になると子供みたいに燥ぐんだから」
「油断はしてないよ。ただ、本当にいい買い物をした。この剣は素晴らしいよ、剣自体の重量配分も切れ味も申し分ない。これなら並の武器や防具なんて有っても無い様なものだ、ねっと」
振り向きざまに、リードは槍斧を振り被る武装した人工生命体に数閃の斬撃を振るう。すると、鉄製の槍斧は断ち斬られて鎧を纏っていた人工生命体と共にバラバラに解体されて床に散らばり落ちた。
その余りの切れ味に、リードは心底驚いていた。生前、自身の魔法を知ってからは殆ど武器という武器を振るう機会が無かった。精々、日々の鍛錬の為に素振りをする時に振るう程度のものだろう。それに加え、当時は魔物との戦中にあり、鍛冶技術も鉱石の質も良くはなかった。
しかし、この時代の鍛冶職人と呼べる者の技術はどうだ。間違いなく一生物と呼べる程の剣を手に、リードは改めて時代の流れというものを感じて言葉にならない感情が沸々と込み上げてくる。
そんなリードを横目に、エミリーは訝しげに眉間に皺を作り睨みを効かせる。その視線に気が付いたリードは、慌てて周囲を警戒するのだった。
その時、静かに瞳を閉じて集中していたリエメルがゆっくりと息を吐き出した。
「······見付けました、地下です。どうやらこの邸には地下室の様な場所が存在している様です。その入口を速やかに発見し、マリーさんを救い出します。急ぎますよ」
「地下室ね。じゃあさっさと片っ端から調べ上げるわよ! こっちはいい加減同じ顔ばかりでうんざりしてるのよ、退きなさい!」
「地下、か。随分と大掛かりな事をしている様だね。二階に行ったエルフ達を呼び寄せないのかい?」
「不要です。あちらにも何かの痕跡があるかも知れません、しっかりと調査をさせねば。それに、何も無いとなれば自然と降りてくるでしょうしね。あの者達はしっかりと統率がとれています、何の問題もないでしょう」
「流石と言うべきか。人よりも長い年月を掛けて培われた団結力、そして各々の戦力。味方としては頼もしい限りだね」
「私達は私達のやるべき事を成すまで。あくまで私達の目的はマリーさんの救出です、他の事は全てあの者達に任せておけばいいのです。······さぁ、無駄話は終わりです。私達も行きますよ」
先頭をエミリーが駆け、リエメルとリードがそれに続き駆け出す。既に邸の中は血と肉片が散らばり、刺激臭が一行のその鼻をつき刺す。それでも表情一つ崩さずに襲い来る人工生命体達をそれぞれ確実に仕留めてゆく。
普段マリーの前では見せない様な、冷たく感情の籠らない一行のその容赦の欠片も無い瞳は、紛れもなく戦闘に身を投じてきた戦士達のそれだった······。
◆◇◆◇◆
「······誰かが向こうで戦っている。恐らくは······ベルディアさんが」
薄暗い牢の中を微かな光が照らす。その中で、寝息を立てて小さく蹲る猫獣人の女の子、ミィルと共に身を寄せるマリーは、先程までの静寂の中に響く微かな戦闘音を聞き取っていた。
思いうかべるのはあの不思議な少女。
年の頃はマリーと大差がない様に見えたのだが、この異質な空間にあっても取り乱す素振りもなく、ただ静かに俯いていたあの少女。その少女は、何の前触れもなく牢の鉄格子を何らかの力で引き千切り、先程嬉々としてこの場を後にした。何よりも、あの少女の瞳の奥。あの暗く冷たい瞳が脳裏を過り、思わず身震いをしてしまう。
恐らくあのベルディア・ラッドストーが何かをしているに違いない。と、確信めいた何かがマリーの頭を過り、不安と恐怖と共に寝息を立てるミィルの身を強く抱き締める。
「······ん、マリーお姉ちゃん?」
「あ、ミィちゃん。すいません、起こしてしまいましたか?」
「ううん、大丈夫。······んんーっ、あれ? あのお姉ちゃんは何処にいったの?」
「あ······それは」
マリーは考える。あの状況をどう伝えたらいいものかと。
あのベルディアが鉄格子を引き千切り、そのまま出ていったと伝えても恐らくは信じてはくれないだろう。どうしたものかと頭を悩ませるマリーを他所に、ミィルは寝ぼけ眼で身体を伸ばしきょろきょろと周囲を見渡す。
「んんーっ······あれ、マリーお姉ちゃん見て! 扉が壊れてるよ、ここから出られるよ!」
「あ、そ、そうですね。けど······」
「早くここから出ようよ、ここから出て二人で逃げよう? きっとあのお姉ちゃんも逃げた後なんだよね。私が眠ってたからマリーお姉ちゃんは待っていてくれたの? ごめんね、マリーお姉ちゃん」
「うっ、か······可愛いですっミィちゃん!」
「みゃあっ!?」
少し潤んだ小さな瞳に見つめられ、思わずミィルを抱き締めるマリー。胸の中でじたじたと暴れるミィルを構いもせず、頬擦りをしたりふわふわの髪の毛に顔を埋めたりとやりたい放題に可愛いがっていた。
そうして、一頻りミィルの尊さを堪能した後ふと我に返る。こんな事をしている場合ではないと。
このままこの場で助けを待つか。それとも、ここから出てミィルを連れて逃げ出すか。どちらにしても危険は常に隣り合わせでぴたりと寄り添ってくる。どちらの道に進もうと、危険な事には変わりはない。
ならばいっそ······。
意を決した様に胸元に寄せていたミィルを離し、頭をふるふると左右に振るミィルの両肩をしっかりと掴む。そして、見上げてくる綺麗な瞳を覗き込みマリーは静かに口を開いた。
「ミィちゃん、よく聞いて下さい。私と一緒にいたお兄さんとお姉さんは覚えていますか? あの人達が今、私達を助ける為にこちらに向かってきている筈です。なので安心して下さい」
「あの綺麗なお姉ちゃん達! 本当に助けに来てくれるの?」
「はい、必ず来てくれる筈です。しかし、いつ来てくれるかは定かではありません。そこで······私達もここから脱出する努力をしてみようと思うんです。私と一緒に来てくれますか?」
「うん、逃げる! 早く逃げよう?」
「ありがとうございます。けど、良く聞いて下さいね。······ここから先は本当に危険なんです。もしかしたら、見つかると今度こそ酷い目に合うかもしれません。それでも······、私と一緒に逃げてくれますか?」
真剣な眼差しで語りかけてくるマリーの雰囲気を悟ったのか、少しだけ表情が曇り頭の上のふさふさの耳をへたりと畳んでしまうミィル。しかし、頭を数度横に振るうとマリーの瞳をしっかりと見つめて元気良く答えてみせる。
「······うんっ、勿論だよマリーお姉ちゃん! 一緒にここから逃げよう!」
「本当に危険なんですよ? それでも」
「それでもだよっ! 一人じゃ怖くて動けなかったけど······マリーお姉ちゃんと一緒なら頑張ってみるっ」
目一杯の笑顔を向けてくるミィルだったのだが、その声と肩は小刻みに震えていた。それでも、無理をして健気に強がるミィルを前に、マリーの可愛い生き物庇護欲が沸々と刺激され······。
「ミィちゃん······やっぱり可愛いですっ!」
「みゃああっ!?」
再びミィルの頭を胸元に引き寄せ、一頻り可愛いがるのであった。
未曾有の恐怖に身体を小刻みに震わせながらも、精一杯の勇気を振り絞りマリーと共に逃げる事を選んだミィル。その健気で小さなミィルを、必ず無事に母親の元へと返してあげようと強く心に誓うマリー。
まだ幼く小さな二人は、この先々で繰り広げられている騒動の事など微塵も知る由も無いままに、其々の決意を胸に必死に抗おうと互いの身体を寄せ合うのであった······。
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