#92 ある不変を呪う反逆者の物語9
「はっ、はっ、は······っ!」
薄暗い路地裏を一人の少女が息を切らせて走っていた。美しい金色の長髪を揺らし、何処か切迫感を浮かべひた走る。
マリーは宿泊している宿屋を抜け出し、ただひたすらに走っていた。
マリーは宿屋に戻る前、自身を囮とする事を発案したその時から既に、リード達の監視の目を掻い潜りミィル捜索を続ける事を心の中で密かに画策していたのだった。
宿屋に戻り、直ぐ様布団に潜りその期を静かに伺っていた。そうして、エミリーが再び捜索に戻り、リエメルが一人になるその時を布団の中で待ち続けていたのだ。
恐らくは既にリエメルにはばれているだろう。何せ、着込んでいる衣服全てに追跡と位置特定の魔法が掛けられていて、更には自身のお腹の中にも術式を組み込んだ氷菓までもが仕込んである。気付かない訳がない。
しかし、捜索途中でわざと疲労していますという演技をしてまで抜け出す機会を獲たのだ、この期を逃す訳にはいかない。マリーには甘いリエメルが多少は油断してくれている事を願い、マリーは路地裏に身を隠し大きな通りの様子を伺う。
その通りは行方不明の件もあり、全く人気がなく静まりかえっていた。
人気がない事を確認したマリーは思いきって路地裏から飛び出し、そのまま兎に角宿から離れようと必死に走り回る。リエメル達に見つかる前に、どうにか一連の行方不明に関する何かを見つけたい。そして、一刻も早くミィルを見つけてあげたい。ただその一心で静寂に包まれている街中を走り回る。
ただ自身のその身を囮として何かが起こる事を待つだけの陽動作戦。そんな事しか思い浮かばず、リード達を騙してしまったという罪悪感を抱えマリーは走る。
「ごめんなさいリードさん、エミリーさん、リエメルさんっ。でも、私はっ!」
マリーの頭の中に過るのはリード達が心配している表情だった。結果的にリード達の言うことを聞かず、欺いてまで出てきてしまった。その罪悪感はマリーにとってはとても苦しく、その胸を大いに締め付ける。無意識に小さく言葉に出してしまう程に。
それでも、ほんの少しの可能性があるのらこの囮作戦を実行するべきだと改めて強く思う。その身を晒し、一連の行方不明事件の解決の糸口が見付かり、ミィルを無事に救出出来るのならば、と。
今現在、この街中を出歩いている人達は行方不明のミィル捜索をしている人達だろう。何かが起こる前にその人達にも見付かってしまっては意味がない。細心の注意を払い静まり返った街の中を進んでゆく。
そんな時、マリーの耳に微かに何かが聞こえ届く。
その極々小さな何かの音がどうにも気になり、マリーは思わず足を止めて立ち止まってしまった。辺りを見渡し、その音の発生源を探してみるも、周囲には何も変化は無く、その音の発生源すら分からないままだった。
何故そんなにその小さな音が気になるのか。それは、マリーにはどうにもその聞こえた音が誰かの声の様に聞こえていたからだった。その小さな声にも聞こえた音は、確かにこう呟いていた。
助けて······と。
そして小さな声は再びマリーの耳に微かに聞こえ届く。その声のする方角へとマリーは迷わず走り出してゆく。人気の無い通りを周囲を気にしながら走り抜け、再び路地裏へとその身を潜らせる。ただ声のする方へとひたすらに走り、マリーの小さな背中は路地裏の暗がりの中へと消えていった······。
◇◆◇◆◇
「マリーさんの反応が消えました」
「だから言ったじゃないか、余りに危険過ぎると警告した筈だっ! ······くそっ、エミリーがマリーちゃんを追っている。僕らも合流するよ!」
宿屋の一室で術式を展開していたリエメルと、それを苛立たしく足を遊ばせ見守っていたリードが同時に素早く動き出す。その様子から察するに、マリーの計画とやらはしっかりと皆に見透かされていた様だ。各々単独行動をしていた筈のリードとエミリーだったのだが、既にエミリーがマリーを追跡し、リードは宿屋へと戻ってきていた。そんな事とは露知らず、どうやらマリーは上手くやれたと思い込んでいたらしい。
慌ただしくも手早く準備を済ませたリードは、リエメルを急かしながら宿屋を飛び出してゆく。
「落ち着きなさい、今犯人を捕まえても意味はありません。敵の本拠地を探るまでは手出し無用です。マリーさんの想いを無駄にする気ですか?」
「分かってるけど、これが落ち着いていられるかっ! 反応が消えたって事は何かがあったという事だろう!? くそっ、まさか二人共がマリーちゃんの無謀な計画に乗るとは思ってなかった。一体何を考えているんだよ」
「······リードちゃん、貴方にも覚えがある筈ですがね。まだ貴方が幼かった頃、私は貴方に同じ事をした筈ですよ? 私はただ、マリーさんの意思の強さを確認したかっただけです。私達に反対された程度で大人しく諦めるのか否か。マリーさんの言う想いとはどの程度のものなのか」
普段マリーを溺愛し、崇拝すらしていそうなリエメルからは考えられない程の冷静な言葉だった。今正にマリーが危険に晒されているかもしれないという状況において、何故こんなにも冷静でいられるのか。と、リードは内心怒りを覚え、つい声を荒げてリエメルに強くあたる。
「へぇ······、それはマリーちゃんの身を危険に晒してまでやる事だったのかい? 昔の僕と今のマリーちゃんでは色々と違い過ぎるだろう? そう、あの時の僕とは状況も違えば時代も違う! マリーちゃん自身を危険に晒してまでする事じゃないだろう!?」
「例え状況や時代は違えど、根本は何も変わりはしませんよ。危険? 寧ろそうでなくてはなりません。父親面も程々にしておきなさい、マリーさんは貴方の娘ではないのですよ?」
「何だって······?」
リエメルの言葉を聞き、リードは駆けるその足を止めて静かに振り返る。人気の無い通りのど真ん中でリエメルと互いに向き合い睨みつける。しかし、その向けられる眼差しに動じる事も臆する事もなく、逆に何処か呆れすらも感じられるリエメルは静かに瞳を瞑る。
「聞き捨てならないな。僕がいつ父親面をしていたと? 余り適当な事を言うと、幾らメルだろうと容赦しないよ」
「分かりませんか? 私はマリーさんを愛ではしますが甘やかすつもりは毛頭ありません。リードちゃんの様に甘いだけでは良くないと言っているのです。何故ならば、私達は見極めねばならないのです。危険だと分かっている場所にその身を顧みる事もなく、何の躊躇いも無くその身を投じる事の出来る強い意思。それを無くして、これより先の永劫の道を進む事は出来ないでしょう。何せ、リードちゃんもエミリーも私ですらも、いつまで一緒に居られるのか分からないのですよ? 私達はマリーさんを永遠に守ってあげる事は出来ないのです」
「そうだとしてもっ! ······っ!?」
「黙って聞きなさい。もしも誰も居なくなった時、本当にマリーさんは自らの足で、自らの意思で動く事が出来ると言い切れますか? 誰の手も借りず真っ直ぐに歩いて行けると言うのですか? 貴方はそれ程に平和に慣れすぎたと言うのですか?」
リードが反論するよりも早く足元から突き出した鋭利な氷がその喉元に突き付けられる。冷気を伴うその空気も相まって昂っていた頭が急激に冷えてゆくのを感じる。そして、向けられるリエメルの鋭い眼光は決して動くなと警告をしていた。有無を言わさぬその気迫を感じ取り、リードは押し黙り息を呑む。
「マリーさんの心はまだまだ幼い。しかし、だからと言って手を抜いて歩いてゆける道ではないのです。神により使わされ、神に睨まれたマリーさんの道が平坦である筈が無いでしょう? 魔神はこの世を見てこいと言っていた。それは恐らく、華やかな陽の下も、冷酷で悲惨な暗闇の中も全て含めて自身のその目で見極めろと言っているのでしょう。そんな試練を抱え、今まで通りに歩ける筈がないでしょう。いつまで保護者気取りでいるつもりですか。保護者を気取るのならば、せめて雛鳥の巣立ちを見守る位の度量を身に付けなさいっ」
リエメルの言葉が真っ直ぐにリードの心へと突き刺さる。今しか見ていなかったリードに対し、リエメルは遥か先までも見据えて物事を考えていた様だ。その思考の深さの一端に触れ、あれ程激高していた気持ちが驚く程に急速に冷えてゆくのを感じ取る。同時に、自身の至らなさと甘さを感じその場で力無く項垂れるリード。
「っ······耳が、痛いな。僕は今しか見ていなかったという事か。それに······やれやれ、どうやら僕は徹底的に親というものには向いていないらしい。まさかリエメルに親とは何たるかを教わるとは思わなかったよ」
「ふん、甘く見ないで欲しいものですね。貴方達とは歩いて来た時間も、見送ってきた数も違うのですよ。例え血の繋がりは無くとも、同じ程に愛し接してきた人々は決して少なくはないのです。それは勿論貴方もエミリーも含めて、ですがね。親にとって子とは、どこまで行っても子のままという事です」
「その言葉を生きている内に聞きたかったよ。て、いつから僕らの親になったんだ全く。······あーもう分かった、分かったよ。確かに僕らが永遠に守ってあげられる訳じゃない。それにマリーちゃんが選んだ道だ、文句は無いさ。けどだ、まだ僕らはここに居る。一緒にいる内は僕は何を言われてもマリーちゃんを守ってみせるからね。それだけは譲らない」
全く発言を曲げる気が感じられないその眼差しを真正面から受け止めたリエメルは、呆れと共に首を軽く振り溜め息を落とす。
「全く、変なところで頑固なのは死んでも治りませんか。どうしてその愛情を自身の子達に向けてあげなかったのですか? 呆れてものも言えませんね」
「なっ、あ、あの時は忙しくてそれどころじゃなかったんだ‼ し、仕方ないだろう!? それに僕は過保護じゃない!」
「はいはい、分かりました。もう頭は冷えてますね? 急ぎエミリーと合流しますよ。さぁ、しっかり駆けなさい。置いて行きますよ?」
「ちょ、聞けよ!? 本当にそんなつもりは無いんだ、最後まで聞けってば!? おいメルっ、待てっ!」
さっさと突き付けていた氷を解除してリードの横を駆け抜けてゆくリエメル。その背を何やら言い訳を呟きながらも追うリード。二人のその表現は少しだけ柔らかい笑みを浮かべていた。過ぎ去った過去を想ってか、今も変わらぬ関係を想ってか。それを互いに伺い知る事は無いままに、今は急ぎ通りを駆けてゆく。
改めて気を引き締めたリードがリエメルの横へと並走し一度目配せを送る。それに頷きを返すリエメルは更に走る速度を上げる。今は一刻も早くエミリーと合流し、マリーの行く先を見届けなければならない。そうでなければ、その身を囮にしたマリーに会わせる顔がない。そして、マリーを無事に救い出した後にリードの過去を少し暴露してやろう。と、密かに心の中で画策するリエメルなのであった······。
◇◆◇◆◇
「遅いっ、何をしてたのよ何を」
「いや、悪かったよ。少しあってね」
「リードちゃんが少し駄々を言って噛みついてきただけの事です。何の問題もありません」
「なっ!? メル、いい加減にし」
「はいはい、いい加減にするのはあんたよリード。静かにしなさいってば」
顔を赤くしたリードがリエメルへと勢いよく振り返った瞬間、言葉を発するよりも早くエミリーの手がリードの首根っこをがしりと掴む。それにより強制的に黙らされたリードは小さく項垂れ諦めの表現を浮かべるのであった。
「それよりも、拐われた先はあの邸で間違いないのですか?」
「ええ、随分といい度胸してるものよね。あんなに立派な邸に堂々と連れ去るなんて。何で今まで誰も気が付かなかったのかしら?」
エミリーが言う通り視線を向ける先にある屋敷は大きく、二人の武装した門番が両脇に立つ堅牢な門の奥には手入れの行き届いた庭も見受けられる。
「犯人を見たのですか?」
「フードを目深に被っていたけど恐らくは女。多分あの邸の侍女だと思う」
「ふむ、何か奇妙な事をしていませんでしたか?」
「んー? うーん······。そういえば、通りを一生懸命走っていたマリーちゃんが突然足を止めてきょろきょろしてたわね。その後また路地裏に走っていって、私が見付けた時は既に眠らされて袋を被せられていたところだったわ。その後はご丁寧に通りに停めてあった馬車に積まれて運ばれたみたいだけど······」
「周囲を突然気にしだした、と? 貴女には何か聞こえましたか?」
「いいえ、何も。ただ、その辺りに小さな《耳鳴り》はしたけどね。こう、小さな羽虫の羽音よりも小さな音」
「耳鳴り······。馬車には何か変化はありましたか?」
「認識阻害と音響阻害。まぁ、最初から注視してた私には全く効果はなかったんだけどね」
「成る程、合点がいきました。どうして突然マリーさんの位置が追跡不能になったのか。そして、どうして誰も気が付かないのか」
「あのさ、そろそろ首を離してくれないかなエミリー?」
リードの首を鷲掴みにしたままにリエメルの言葉を待つエミリー。そんな二人へとリエメルは静かに告げる。
「馬車は兎も角、人一倍耳が利くエミリーですら聞き取れない程の何らかの音。施した術式を全て無効化する袋······。気を引き締めなさい二人共、犯人は少し厄介な者の様です」
「厄介な相手なら散々相手にしてきたわよ。今更気にする程でもないわね」
「ああ、何が相手でも今更だよ。だからそろそろさ、離してく」
「相手は恐らく《錬金術師》です。どんな手を使ってくるか全く読めません。各自充分に警戒する様に。行きますよ」
「《錬金術師》ね······。上等、やってやろうじゃない。マリーちゃんを拐った事、しっかりと後悔させてやるわ」
「ぐぇ、ちょ、力を入れないでくれっ。て、そろそろ本当に離してくれよっ」
路地裏から邸を伺っていた一行は、もう隠れる必要はないとばかりに堂々と門へと向かい真っ直ぐに歩いてゆく。リエメルはその手に愛用の杖を携えて。エミリーは狂暴な笑みを浮かべ、リードを引き摺りながら真っ直ぐに邸へと歩いてゆくのであった······。
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