#89 ある不変を呪う反逆者の物語6
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商業都市アルバトーレスの外れにある安宿の一室、その腐りかけのベッドの上でこんもりとした毛布がもそもそと小さく揺れる。既に陽の光が燦々と降り注ぐ外の世界とは裏腹に、その室内は木製の遮光窓をしっかりと閉められていて未だに薄暗いままであった。
その一室で漸くと目が覚めたのか、一人の少女が気だるそうに毛布を払い退けて寝惚け眼を擦りながら小さく欠伸をする。
「······んんーっ、何よこのぼろ宿。ベッドは軋んで五月蝿いし、毛布は黴臭いし、本当に最悪だわ。あー、もう陽が昇ってる。どうしよ········一応は回ってみようかしら。陽の光苦手なんだけどなぁ」
独り言を呟きつつも側に掛けてあったドレスをてきぱきと着衣し木の軋む音が鳴るベッドに腰掛ける。そのまま側に置いてある膝下まである長いブーツを引き寄せ、両のブーツを履き終わると寝心地の悪かったベッドのせいで凝り固まった身体を解す様に大きく伸びをする。
「ああぁーっ、身体痛っ。全く、せっかく手ぇ出しやすいように安宿に泊まってやってんのに手ぇ出してこないとか。馬鹿にしてんの本当に。決めた、絶対殺す。何がなんでも絶対に殺す。あいつの頼みなんて知らないっ! この私を使い走りにするあいつも、この下らない騒ぎを起こしてる奴も本当にむかつく! うん、絶対殺そう。首を捻って背骨ごと引っこ抜いてやろう。その前に両手足ね。粉々に砕いて結んでやろう。そして最後に頭を引っこ抜く!」
物騒な事を口走りその決意を表す様に両手を高く天井へと突き上げる女性。その背丈はまだ小さく、少女といっても過言ではない程に背が低い。膝まで届く程の長い黒赤の髪を両手で払い、黒と白を使い綺麗に仕立てられたドレスを纏って壁に立て掛けてあった日傘を手に部屋の扉を豪快に開け放つ。
「さぁて、来ないならこっちから出向いてやろうじゃない。この上ない極上の《撒き餌》よ、心して食らいつきなさい。私の血も肉も一級品、たっぷりと堪能するといいわ。けど······」
「あなたのその命は私が絶対貰うから。覚悟しておきなさいな」
ちろりと出した舌で上唇を舐め、呟きながらごつごつと硬質な足音を響かせて安宿の出入り口の前へと立ち、またもやその扉を壊れるかと思う程に勢い良く開け放つ。そして、底冷えのする様な冷たい笑顔のままに静かに人混みに向かい歩いてゆく。
手にした日傘を開き、陽の光を遮り賑わう本通へとゆったりと歩いてゆく。独特の近寄り難い雰囲気を纏いつつも、何処か優雅に歩く少女に街行く人々は声を失いついつい視線でその姿を追ってしまう。しかし、少女の足元から伸びる《影》が不気味に揺らぎを見せるその異様な様には、誰一人として気付いてはいなかった······。
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「はむっ。んあ、リードはんっ、次はあの店でふっ!」
「はいはい、分かりましたよ、っと。すいません、通ります」
「いやー、本当に良く食べるわねマリーちゃん。その小さな身体の何処に入っていってるの?」
「食べている時のマリーさんは本当に幸せそうにしていますね。いいでしょう、この私が露店ごと買い取って参ります」
「止めろ、頼むから止めてくれ。そんな事をしたらマリーちゃんの暴食に歯止めが効かなくなる。あ、ちょっとマリーちゃん。頼むから僕の頭の上に肉汁を落とすのだけは勘弁してね?」
マリー達一行は相変わらず露店巡りを満喫している様だった。
マリーはより露店を見渡せる場所、つまりリードに肩車をされ両手一杯に様々な串焼きを持ってご満悦の様子だった。
視界に入る美味しそうな露店を見つけてはリードを上手く誘導して賞品をねだり、珍しい品があればリードから降りてまじまじと観察をする。そうして見終わったらエミリーに両脇を抱えられまたリードの頭という名の定位置に戻る。リエメル曰く、そこが一番安全な場所だと言いリードもすっかりと受け入れてしまっていた。
そんな露店巡りを満喫する一行であったが、突然エミリーが何かを発見し一つの露店へと駆け寄ってゆく。それに気が付いたリードは、逸れる事のない様にエミリーの後を追い続いて露店を覗き込む。
「それは······獣人族の耳と尻尾? 何故こんな物が?」
「馬鹿ね、作り物よ? けど凄いわこれ、本物そっくりの手触りなのよ。触ってみる?」
「はいっはいっ! 触ってみたいですっ」
「へぇー、確かにこれは······。造りがしっかりしてて細部まで拘って作られているね」
「凄いです! もふもふですよこれっ! 手触りが気持ちいいですねっ」
「ねーっ。これは良いわね、種類も沢山あるし······ほら、これは何の耳?」
「鹿っ、鹿の耳です!」
大燥ぎのエミリーとマリーを横目に、リードとリエメルは真剣にその耳の飾りと尻尾を観察していた。すると、目の前に座るエルフの店主が丁寧に賞品の説明を始めた。
「それはただの飾りではありません。実は、その耳飾りと尻尾には特殊な術式と感応石が組み込まれており、装着した人の感情に応じて動くのです」
「へぇー、これ動くんだ。ね、マリーちゃんちょっと付けてみてよ」
「私ですか? でも、先日エルゥさんと同化した時にも生えてましたよね?」
「今度は狐耳! 絶対可愛いわよ? ほら、金色狐の耳だからマリーちゃんにぴったり!」
「ほほぅ。さぁマリーさん、お早く。ついでに尻尾も付けてしまいましょう。店主、これはどうやって付けるのですか?」
「そちらの尻尾は、この感応石の仕込まれたベルトを巻いて頂く形で······って、あ、貴女様はリエメル・ヴァンドライド様ではっ!?」
あれよこれよとリエメルとエミリーの勢いに押され、気が付けばマリーの頭の上には金色の狐耳かぴこぴこと動き誇らしげにその存在を主張していたのだった。そして、ついでと言わんばかりに腰に巻かれたベルトからはふさふさの金色の長い尻尾が垂れ下がりゆらゆらと揺れている。
「良いっ! 良いわマリーちゃん! 狐耳もとっても似合ってる‼ よし、買うわ! 他にはそこの灰色猫と虎縞猫! それと」
「眼福······。店主、急ぎそこのエルフ耳と白黒犬一式を包みなさい。それと金色虎と······赤熊も一式頂きます」
「落ち着きなよ二人共、マリーちゃんが困惑してるじゃないか。あ、そこの縞栗鼠と耳長犬、それと銀色鼠も一式お願いします」
「ちょっと、そんなに沢山買ってどうするのですかっ!? 私だけじゃありませんよね? 付けるのは私だけじゃありませんよねっ!? 誰か何か言って下さいよっ!?」
マリーの叫びは既にリード達三人には届きはしなかった······。
その後、やや暫くの店主とのやり取りを経て、一行は再び露店巡りを再開する。
リードの肩にはふさふさの動物の皮で出来た大きな肩掛け袋がぶら下がり、これでもかという程に様々な種族の耳飾りと尻尾飾りが詰め込まれていた。
「いやぁー、良い買い物したわね! これは凄い発明よ、開発した人の信念染みた心意気を感じるわ!」
「ええ、これはとても素晴らしい逸品です。細部にまで拘りを見せる工夫、そしてこの毛並みと品質。どれをとっても全てが一級品でマリーさんの為に存在している様な商品です」
「うん、これはいい買い物だった。この肩掛けの袋も付けてくれたしね。こんな掘り出し物があるなんて流石は工業都市アルバトーレス。技術の進歩は素晴らしいものだ。そう思わないかい?」
「······どうして私だけ、どうして私だけなのですか? 皆さんも付けて下さいよっ!? 不公平ですっ!? そもそも、今日は私の自由時間な筈ですよねっ? 一瞬昨日一日の出来事が脳裏に甦りましたけどっ!?」
リードに肩車されるマリーの頭と腰に付けられたベルトから下がる狐獣人の尻尾飾りは、何処か切な気に撓垂れていた。
「おー、本当に装着者の気分をしっかりと反映してるのね。良く出来てるわ」
「ええ、この切なそうに垂れ下がる感じもまた可愛らしいですね。何とも言えない趣があります」
「まぁまぁ、機嫌を直してよマリーちゃん。まだまだ一日は始まったばかりだよ?」
「ううっ、こうなったら食べて食べて食べまくりますっ‼ リードさんっ、覚悟して下さいねっ!?」
「いいよ、何でも好きなものを食べるといいよ。僕らのお詫びの印として沢山楽しんでね」
「ほらほら、良かったわねマリーちゃん! さ、喜んで喜んで」
「ああ、尻尾と耳が見るからに元気を取り戻していってますね。素晴らしいっ」
「もうっ、遊ばないで下さい二人共っ!」
そう言いつつも、先程まで撓垂れていた尻尾はぶんぶんと左右に揺れ、垂れていた耳は誇らしげにぴんと天を突いて立っていた。
そうして、マリーは行く先々で売られている食べ物を買い漁り次々とリードの手を埋めてゆく。漸く落ち着いた頃には、既にリードの持てる限界まで大量に食料を買い込んでいたのであった。
「流石にもう持てないかな。ちょっと休憩しようか······っと、丁度よく長椅子がある広場があるね。あそこで一息つこうじゃないか」
「賛成れふっ!」
「じゃ、私飲み物買ってくるわね。ここで待っててねー」
「私は葡萄酒をお願いします。この串焼きと合いそうですので」
「うーん、まぁいいか。メルは酔わないしね。でも程々に頼むよ? いつ何が起こるか分からないんだから」
「分かっていますとも。そこまで私は愚かではありません」
エミリーが一人人波に消え、残ったリエメルとリードが長椅子へと腰掛ける。そして、大量に買い込んだ食料を下ろし漸くと休憩時間となった。
マリーは両手に持つ串焼きを次々と頬張り、その小さな身体にどんどん詰め込んでゆく。時折見せる驚きの表情や、商品の美味しさのあまりに綻ぶ表情は何とも年相応に見えてとても微笑ましいものだった。
そんな時、新たな商品に手を伸ばしたマリーの手がぴたりと止まり、ある一点を見詰めて動かなくなってしまう。そんな様子に気付いたリードとリエメルは、互いにマリーの見詰める先へと視線を向ける。
「あれは······迷子、かな?」
「かも知れませんね。周囲を見渡して挙動不審になっています。例の件もありますので、このまま放っておくのは少々危険ですね」
リエメルの言う通り、見詰める先には周囲を見渡しおろおろとする獣人の少女が目に入る。その様は誰かを探して右往左往している様にも見えた。
「あ、それなら私が行って」
「いや、僕が行くよ。マリーちゃんは此処でメルと一緒に待っててね。じゃあ行ってくる」
「マリーさん、ここはリードちゃんに任せましょう。ああ見えて子供の扱いは上手いですからね。安心して見守りましょう」
「そうですね。私が行くよりもリードさんが行った方が安心出来ますよね。······あ、何やらしゃがみこんで話してますね。って、もう一緒に帰ってきましたよ? 流石はリードさんですね」
「そういう人なのですリードちゃんは。あの天性の人誑しはどんな種族にも通用する最強の武器なのです」
「うーん、昔からああなのですね。あれは絶対に意識してやっている訳では無さそうですよね······」
二人共に思い思いにリードについて話していると、寂しげに垂れ下がった耳の猫獣人の少女と手を繋いでリードが戻ってきた。
「一体何を話していたのか分からないけど、何となく良い事では無さそうだよね?」
「いいえ、何も言っていませんが? それよりも、良くやりましたねリードちゃん。褒めてあげましょう」
「初めまして、私はマリーと言います。お腹は減っていませんか? もし良かったら、この肉と野菜の包み焼きをお一つ如何ですか? とっても美味しいですよっ」
「ううっ、食べる······。ありがと、お姉ちゃん」
涙で濡れた顔でおずおずとマリーが差し出した包み焼きを受け取り、小さな口でちまちまと食べ始める猫獣人の少女。その様は未だに怯えて警戒しているのだろう、ちらちらとマリー達に視線を向けて様子を伺いながら食べていた。
そして、いつでも逃げられる様にだろうか、適度に距離を空けて頻りに周囲を確認している。一行はそんな警戒心剥き出しの猫獣人の少女をどうしたものかと頭を悩ませるのであった······。
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