#86 ある不変を呪う反逆者の物語3
「うぅん、お腹一杯ですぅ。もう食べられません」
「そりゃあれだけ食べればそうなるよね。心なしか少し重たくなった気がするよ? 考え事をしながら食事をするのは良くないね」
「重っ!? そ、そんな事はありませんっ!? 確かに考え事をしていたのは謝りますが、それとこれとは話が別ですっ! これは食べたばかりなのでそう感じるだけで明日には戻っている筈ですっ!?」
「そうあって欲しいものだね。じゃないと、今日買った寸尺したばかりの服が着られないという事態に成り兼ねないしね」
「あら、そうなったら手直しするのも時間が掛かるわねぇ。いっそ買い直した方が早いかも。ふふふっ、楽しみねマリーちゃん?」
「やっ、だ、大丈夫ですっ!? 明日は一日自由なので食べ過ぎなければ必ず戻りますっ! 戻りますともっ! もうっ、リードさんが変な事を言うからっ!?」
他人事の様に笑うリードに背負われるマリーはその背を小さな掌で恨めし気に叩く。食事を終えた一行は、未だに人通りの多く夜独特の賑わいを見せる飲食街を歩いていた。ただ、マリーだけはリードに背負われている形なのだが······。
どうやら食べ過ぎたらしい。次々と運び込まれる料理に瞳を輝かせ、もくもくと食べ続けた結果がこれだ。自業自得と言う他はない。食事を終えて宿に帰ろうと歩き出したものの、辛そうにふらふらと歩くマリーを見兼ねたリードが背負い今に至る。
「で、一体何を考えていたのかな? 大方、店に着く前に見せた微妙な違和感が原因だろうけどさ」
「ぅ。た、確かにその通りです。何と言うかこう、背中にぞわぞわっと妙な感覚が走ったのです······。過去にそれと同じ感覚を何処かで感じた覚えがあったのですが、それが何処だったのかが思い出せなくて······」
「そんなものを気にしてはいけません。私の選んだ服を着たマリーさんが可憐過ぎて何処ぞの変態にでも見られていたのでしょう。ああいう手合いの視線は直ぐに分かりますからね」
「え、いえ、そういう感覚ではなくてですね······。嫌な胸騒ぎと同時に身体の芯から寒気が走る様な、何とも言い難い感覚で······」
「そもそも、あんたの選んだ服は関係ないじゃない。マリーちゃんは元から可愛いわよ」
「負け惜しみにしか聞こえませんね。明日のマリーさんの衣服も私が選びますのでそのつもりで」
「どさくさ紛れに何を言ってんのよ! 上等よ、やってやろうじゃない。吠え面かかせてやるから覚悟しておきなさいよっ!」
「あの、リードさん。この不毛なやり取りはいつ決着するのですか? どうして私の意見は尊重されないのですか?」
リエメルとエミリーの言い争いを眺めつつ、マリーは素朴な疑問をリードへと投げ掛けるが見事に笑って誤魔化される始末。半ば諦めと何とも言えない哀愁を纏い、マリーはリードの背に顔を埋めて一人静かに嘆くのであった。
未だに往来する人々が多い道の真ん中で喧しく騒ぐ二人を、周囲の人々は揉め事に捲き込まれてたまらんと言わんばかりに嫌厭し避けて通る中、人混みを割って真っ直ぐに近付いてくる一団をリードの視線が捉える。
その一団は全員リエメルと同じく耳が長く尖っていて整った顔立ちをした長身のエルフ達だった。男女共に美しい容姿と周囲の大衆達の服装とは違い、全員しっかりと揃えられた鉄製の鎧に身を包み各々の武器を所持して武装しているのが伺えた。一団の統率の取れた動きはハンターと言うよりは騎士団によく似た雰囲気を出しており、リードは内心頭を抱えて反省する。どうやら少し騒ぎ過ぎたらしい。
そして、一行の直ぐ近くへと歩み寄ってきた一団の先頭に立つ目付きの鋭い女性エルフが咳払いを一つ落とし静かに口を開く。
「取り込み中失礼する。そこは往来の真ん中なので、揉め事ならば道の端の方でやってもらえると助かるのだが」
「ん? あら、少し騒ぎ過ぎたみたいね。大丈夫よ、この使用人を叱っていただけだから」
「誰が使用人ですか。まだあの戯れ言を真に受けているのですか貴女は? いい加減にその話は忘れなさい、さもないと周囲の人々に被害が及ぶ事になりますよ?」
「そうやって直ぐに周りを巻き込んで、何でもかんでも吹っ飛ばそうとするから破壊神って呼ばれるのよ。あんたのせいで関係のない人達がどれだけ被害を受けたか分かったもんじゃないわ」
「知りません。そこに居るからいけないのです。即座に逃げれば問題はないでしょうに」
「ああ、申し訳ない。被害が大きそうだから、やはり揉めるならば街の外でやってもらえると助か······ん? え、あ、貴女様はもしや、リエメル・ヴァンドライド様では······?」
「如何にも。確かに私はリエメル・ヴァンドライドですが何か?」
「な、も、申し訳ありませんでしたっ! 知らぬとは言え、私如きが出過ぎた事をっ! お許し下さい大賢者様っ!」
突然、リエメルの名を聞いた一団が途端に顔面蒼白になり一様に慌てて方膝を折り頭を深々と下げ謝罪を始めるではないか。その流れる様な一連の動作に、マリーなどはリードの背中で口を開け広げ呆然とその光景を眺めているばかりだった。
当然それは賑わう街の中では異様な光景で、その様子を見ていた周囲の人々は何事かと歩みを止めてざわめき立つ。そんな周囲の空気を察してか、リードはマリーを背負ったまま素早くリエメルに近付き小さく耳打ちをする。
「メル、目立ち過ぎだよ。もう手遅れかもしれないけど、これ以上騒ぎが大きくなる前に納めてくれ」
「やれやれ、私がやらせた訳ではないのですが。まぁ分かりました。しかし、少し気になる事があるので時間を貰いますよ。······さて、頭を上げなさい。私は何も気にしてはいません。そして貴女達は職務を全うしただけの事。何も謝る事はありません。しかし、先頭の貴女。貴女には少し聞きたい事があります」
「はっ、大賢者様の寛大なお心使い感謝致します! ······お前達は通常通り街の巡回に戻れ。周囲の方々、お騒がせして申し訳ない! 此方は気にせず各々足を止めずに散って欲しい! ······お待たせしました。では大賢者様、何なりとお聞き下さい。私の知る事ならば嘘偽りなく包み隠さず全てをお話し致します」
「宜しい。此処では少々人目が気になります。場所を移します、ついてきなさい」
簡潔に告げて足早に人目のつかない路地裏へと進んでゆくリエメルと女性のエルフを追い、エミリーとリードがそれに続き暗がりへと続き歩いてゆく。その途中、前を行くリエメルの背中を眺めて何処か不満そうなエミリーが小さく呟く。
「はぁー。いつもよりも無駄に偉そうね。何だか納得いかないわ、メルの癖に」
「いいから。頼むからこれ以上目立つのは勘弁してくれ。ここは黙ってメルに任せようよ。続きは宿に帰ってからにしてくれ」
「はぁぁ、私は人々があんなに自然に膝をつく姿を初めて見ました。思わず呆然としてしまいましたが、何だか物語の中の出来事を見ている様でした。リエメルさんはやっぱり凄い人なんだと改めて尊敬しました」
「尊敬なんてしなくていいわよ。メルはどこまで行ってもメルなんだから。偉そうにしてても大賢者様とか言われてても、根元はマリーちゃんがよく知ってるメルのままよ?」
「それはそうなのですが······。なんと言うか、元から私が気軽に話せる様な人ではないんだなぁと、改めて実感したというか」
マリーが何処か遠い目をしながら先を行くリエメルの背を眺めている事に気付いたエミリーは、マリーの頭に軽く掌を置き優しく諭す様に小さく語り掛ける。
「あのねマリーちゃん? どんな肩書きやどんな功績が有ろうとも、周りからどんな風に見られていようとも。あの前を歩くリエメル・ヴァンドライドってエルフはたった一人で同一人物なの。それはマリーちゃんがよく知る人物で間違いない、今まで一緒に歩いてきたメルなのよ。だからね、周囲の反応や肩書きとかでメルを見る目を変えないであげてね? 今のこの世界じゃあ、きっとメルをただのいちエルフのメルとして見てくれる人なんていないと思うから、さ。お願いね?」
「エミリーさん······。そう、ですよね。うん、そうですよね。リエメルさんはリエメルさんで、それ以上でも以下でもありません。私にとって大切で尊敬出来る、綺麗なエルフのリエメルさんですっ」
「うんっ、良くできました。これからも変わらず本当のメルを見てあげてね? 勿論私達の事もよ?」
「まぁ、僕もエミリーも一応は有名人だけどもう死んでる訳だしね。誰も僕らの顔も覚えてはいないだろう。けどメルは違う。昔とそう変わらない姿で今を生きてる生ける伝説そのものだ。出来れば、今まで通りに普通に接してあげて欲しいな」
「はいっ、勿論です! リードさんもエミリーさんも、私にとってとても大切な人達ですからっ」
わしゃわしゃと頭を撫でられ笑うマリーを背負って歩くリードは、二人のやり取りを聞いて少し意地が悪そうな笑みをエミリーへと向けた。
「全く、いつも何だかんだ揉める癖にしっかりとメルを気にしてるんじゃないか。それなら最初から揉めなきゃいいのに。もう少し素直になってもいいんじゃないかな、エミリー?」
「それとこれとは全く別の話よ。いいのよ私達は、この関係のが楽なんだから。それは今も昔も何も変わらないの。て、ほら、いいからしっかりと歩きなさい。置いていかれるわよ?」
「ふふっ、はいはい。悪かったよ、もう言わないよ。ふふふっ、はははっ」
「何か腹立つわね、リードの癖にっ。このっ、このっ。マリーちゃん、リードのお尻蹴りづらいから私が背負ってあげようか? ちょっとリード、大人しく蹴られなさいよっ」
言いながらリードの尻を蹴り上げるエミリーの顔は、暗がりでもはっきりと分かる程に赤く紅潮していた。そんなエミリーを面白そうに伺い笑いを堪えるリードは本当に楽しそうに見えた。
そんなやり取りをしている内に裏路地から出て少し歩き、開けた広場の様な人気のない薄灯りが点々と灯る場所へとたどり着く。どうやら公園の様だ。
もうすっかりと夜になり、人気の全くない静かな公園。そこでリエメルは漸く足を止め、聞き取れない程に小さく何かを呟き静かに片手を宙へと降る。そうして、一つ息を落として改めて此方へと振り返った。
「お待たせしました。これで私達の会話は周囲には聞こえません。さて、ここまでご足労感謝します」
「その様な御言葉、私如きには不要に御座います。ご配慮感謝致します大賢者様」
「へぇー、こんな場所あったんだ。なかなかいい場所ね? 綺麗に整備されてるし」
「うん。街の中にあっても、やっぱり自然はあった方がいいよね。夜でも気持ちがいいや。特にこの街は色んな種族がいるから緑も日常には欠かせないものなんだろうね」
「え、私達の声は周囲に聞こえなくなっているのですか? 凄いですよリードさんっ、こんな魔法もあるのですね!」
一様に思い思いの言葉を述べて辺りを見渡し歩き回るリード達。方やリエメルの前にて片膝をつき、恭しく頭を下げる女性のエルフ。明らかにリード達と女性のエルフのリエメルに対する態度の差が激しいのだが、女性のエルフはそんな事は気にせずといった感じで目を静かに閉じてリエメルの言葉を待っていた。
そして、リエメルが女性エルフに向かい静かに口を開く。
「あの方達は気にせずに、聞かれた事にのみ答える様に。それと、前もって言っておきますが今回の一連の出来事は全て他言無用です。いいですね?」
「はっ、私の命と精霊様の名に誓います」
「宜しい、ではお聞きします」
こうしてリエメルと女性エルフの尋問にも似た会話はリード達意外には誰にも聞かれる事もなく、静かな夜の公園でひっそりと行われた。途中、リードが興味深く二人の会話を聞いている間、話に飽きたエミリーがマリーを食後の運動と称し小脇に抱えて走り去っていくのであった······。
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