#83 ある盲目少女と森の主の物語10
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「これでよし、っと。うん、いい出来ね。こっちは終わったわよー」
「ありがとうございますエミリーさん。やっぱり家族は一緒にいるべきですよね。離れ離れでは寂しいです」
「そうね。長い間待ち詫びた一家団欒だもん。せめてお墓だけは一緒にいられる様にしてあげないとね。それと神様も一体にね?」
陽の光が照りつける晴れ渡った青空の下、風が静かに吹き抜ける森の中。獣人特有の耳と尻尾がすっかりと無くなったマリーの目の前には、岩を並べ立てただけの簡素な墓碑が四つ並んでいた。
嘗てエルゥとウルリアの墓碑があったその場所には今は更に二つの墓碑が並び、静かにその地に佇んでいる。その周りには色彩鮮やかな花達がぐるりと囲む様に咲き誇り、清らかで平和な場所にのみ現れるという妖精達が疎らに見える程に穏やかな時間が流れる場所だった。
その墓前へとそれぞれ花を添え、静かに瞳を閉じるマリーは何処が晴れやかな笑みを浮かべて祈りを捧げるのであった。
あの夜、エルゥの願いを聞いたマリーは考えた。エルゥのあの歌声には説明し難い特別な力があると密かに確信を持っていた。自我を失い、変わり果てた大切な人の心すらも引き戻すその歌声。身体を共にし寄り添うマリーですらも、エルゥの強い想いが歌と共に二人の心へと確かに触れ、心の深層から二人を救い出したような気がしていたのだ。
勿論、それはエルゥだけの力ではなかったのかもしれない。マリーの内包する神力が引き起こした奇跡だったのかもしれない。それでも、巨狼へとその身を変えたエルゥの父親であるエリュードと、その身に宿る神。その二人を本当の意味で救い導いたのは確かにエルゥ本人だったのだ。
ならば、その二人は勿論の事、虐殺された村の住人達の鎮魂を行うべきはエルゥ本人なのではないか、と思い至ったのだった。それが叶わないのであれば、マリーが責任を以て送り届ければいいと漠然と考えもした。しかし、何故か不思議と上手くいくという確信めいたものがマリーの心を強く後押しし、その考えを更に加速させていったのであった。
そこからは早かった。マリーは自身の考えをリード達にエルゥを通して伝え、その了承を得て素早く行動に移す。先ずは住人達の供養。荒れ果てた村には既にその亡骸はなく遺骨のみとなって散らばっていたのだが、それを一同手分けをして出来る限りかき集める。その間エリュードと神が贖罪の意思を込めて嘗ての村の中心地に大きな墓穴を掘り、皆で丁寧に埋葬したのだった。その後、リエメルが巨石を魔法で作り鎮魂の文を刻み、それを墓碑とし一同がその墓碑へと改めて祈りを捧げる。それら一連の作業が終わる頃空は白み始めており、長い暗闇の時が明ける事を知らせていた。
そして、漸くその時が訪れたのだった。
長い間野に打ち捨てられ、逝くに逝けず留まり続けた現世に別れを告げゆく者達。そして、全ての罪を背負い贖罪の地へと旅立とうとする魂が二つ。一つはエルゥの父親であるエリュードの魂。そして、神と呼ばれ長年一族を守り続けた英雄の魂。その二人の魂が逝くべき場所は死の国。償えぬ大罪を抱え、決して許されない罪への贖罪の為の死出の旅路。
二人の怒りを受け壊滅した一族達の魂の中には何も知らない者達もいただろう。女子供、老人達も少なくない数がいただろう。しかし、その尽くが全て無惨にも葬り去られた。ならば、せめて最後だけは救いがあります様にと心から冥福を祈り送り届けよう。それを送るのは主神の使いとして現世に降り立ったマリー。ではなく、その身体に一時的に共存しているエルゥだった。
マリーがその身体の内より主神へと祈りを捧げ、エルゥもまた全ての魂の旅路を願う。その願いと祈りをそのまま歌に込め全身全霊で歌いあげる。
白み始めた空からは陽の光とは違う光が降り注ぎ、見送る一行は思わず天を仰ぐ。
まるで二人の願いが聞き入れられたのかの如く光は数多の昇りゆく魂達を受け入れるかの様に包み込み、天へとゆっくりと導いた。それに続き、巨狼の黒く染まった身体は元の白銀色に戻り、嘗ての父親の姿を取り戻し、その横にはエルゥが見えぬ目で見続けてきた神の本来の姿が並び立っていたのだった。
それは正に神の力の如き奇跡の体現と言っても過言ではなかった。無理矢理に身体を借り受け、強引に力を行使し続けたが故の変異。原形を留めず魂すらも融合しかけていた状態だったその姿、それが綺麗に別れ元の姿を取り戻していたのだ。
見守っていたリード達は一様に驚愕を隠しきれず、その奇跡とも呼べる現象をただただ静かに見守る事しか出来ずにいた。
二人のその懐かしい姿を目にしたエルゥは一瞬言葉が詰まり声が震え、涙が溢れ出す。しかし、瞳をぎゅっと強く瞑り、溢れ出る涙を必死に堪えながらも心を込めて歌いあげてゆく。二人の大切な人達の為に。亡くなった一族全ての人達の為に。
エルゥの歌に呼応するかの様に、次々と地に縛られていた魂達が最後の輝きを放ち空へと登り消えてゆく。まるで、待ちわびた帰るべき場所へと赴く様に。その光景を見送り静かに祈りを捧げるリード達は、ゆっくりと消えてゆく二人の姿を視界に捉える。すると、エリュードと神と呼ばれた者は一度リード達へと深く頭を下げて心からの感謝の笑みを浮かべていた。
その様子に気が付いたのか、エルゥの声の震えが強くなり、しゃくり上げる声すらも混じり始める。それでも皆の旅路を祈る為に必死に歌うエルゥ。そのエルゥに二人は静かに口を開き、軈て優しく微笑みを浮かべてゆっくりと消えていったのだった······。
「あの様な現象を見てしまっては、例え魂の逝く先が違えどその絆と縁だけはこの先も繋がっていて欲しいと願わずにはいられませんね。······どうか次の世では幸福であれ。ゆっくりお休みなさい」
「珍しいわね、あんたが他人様に祈りを捧げるなんて。マリーちゃんとエルゥちゃんの良心と善意の欠片が宿りでもしたのかしら?」
「······失礼な。私とて他者の冥福を祈る事もあります。まして、あの様に神秘的で神々しい鎮魂の儀の後では尚更と言うものです。まぁ、貴女と青鬼の時は一時たりとも祈りませんでしたがね」
「何でよ!? あれだけ一緒に居たのに薄情過ぎじゃない、泣いて祈るくらいはしなさいよ!?」
「ま、まぁまぁ。メルも本当に、極々稀にには祈る位するさ。それよりほら、エミリーも祈りを捧げようよ。さ、此方へ」
「エミリーさんと言ってる事が変わりませんよリードさん······」
引きつる笑みを浮かべるマリーは、辺り一面に咲き誇り微風にその身を委ねる花々を眺め今一度あの夜の出来事を思い浮かべる。そして、家族が共に眠るその墓碑へと心からの祈りを捧げるのだった。
そんな時、祈りを捧げ終わったのかエミリーが墓碑の前にて屈んだままのマリーへと背後から静かに近づき抱き付いた。
「でもさ、驚いちゃったわよね。まさかエルゥちゃんがあの《名も無き英霊の書》に選ばれるなんて。マリーちゃんは気付いていたの?」
「あっ、ええと······はい。でも、気が付いたのはエルゥさんが私の身体に入って歌った時で、始めから分かっていた訳ではありませんよ?」
「へぇー。でも、どうしてその《名も無き英霊の書》は最初から反応を示さなかったのかしらね? 王国では確か、パーシの子孫に反応を示したって言ってたわよね?」
「パーシ・ハルケインさん······。カレンス王国最初期の最強の槍にして最硬の盾。そして、エミリーさんと同じく王妃様であった英雄様ですね。ええ、そのパーシさんの直系の子孫にあたるヴァレリアさん、そのご子息のラヴェルさん共に反応を示し導いてくれました。のですが······うーん、私にもこの《名も無き英霊の書》に関しては知らない事が多すぎるのです」
「まぁ無理もないか。主神様から直接受け取った時に殆ど説明を受けてなかったんでしょ? そういう事もあるわよ」
「そうなのですが······。あの時、この《名も無き英霊の書》を私に授けられた時に主神様は仰いました。知らねばならぬ時、向き合わねばならぬ時、その全てを知る事になる······と。その時がいつなのか、私には全く分からないのです」
「うーん。まぁ、余り深く考えない方が良さそうね。いずれ分かるって言うなら、いつか分かる時が来るんでしょ、きっと。じゃ、この話は終わりーっと。さぁ、行くわよマリーちゃん!」
「え、ちょ、ひゃぁぁ!?」
言うが早いか、エミリーは屈んだままのマリーを軽々と抱え上げ花畑を駆け回るのだった。遠ざかってゆくマリーの悲鳴を聞きながら、リエメルとリードは顔を見合せ溜め息を落とす。
「全く、何をしているのでしょうかね。あの性格はやはり死んでも治りはしませんか」
「まぁまぁ。あれでいて色々と気を使っている節もあるんだよエミリーは。昔からそうだったろう? 誰かが落ち込んだり、気が滅入っている時にいち早く絡んでくるのはエミリーだったじゃないか。きっと、マリーちゃんが引き摺らない様に面倒を見ているつもりなんだよ」
「······そうでしたね。確かにそういう一面もありました。この上なく鬱陶しいだけの時も数え切れない程あった為に忘れていましたよ。そういう所だけは本当に鋭い子でしたね、あの子は」
遠い昔に過ぎ去った嘗ての旅路を思い出し、リエメルはエミリーにいい様にされるがままのマリーへと何処か懐かしむ様な視線を送りただぼんやりとその光景を眺めていた。しかし、リエメルと共に並び立つリードは静かに微笑みを浮かべて見ていたのだった。僅かに頬が弛み、とても穏やかに笑みを浮かべるリエメルの横顔を。
そんな事とは知らぬまま、未だにエミリーにぐるぐるとその身を振り回されつつも、マリーはエルゥの父親達の最後の言葉を受け涙を流していたエルゥの事を思い出していた。
エルゥへと最後に伝えられた言葉。
それは心からの別れの言葉。
それは心からの謝罪の言葉。
それは心からの幸福を願う言葉。
それはいつか再び再会をと願う言葉。
エルゥは確かに愛されていた。エルゥ一人の為に一族全てを滅ぼしてしまう程の愛だった。それは正しい愛の形だったのか、今のマリーには理解出来ない事だった。
しかし、それほどに深い愛が確かに存在したという事実だけは変わらない。彼らは果たして最後のその時に救われたのだろうか。彼らを最後に救えたのだろうか。それすらもマリーには理解出来ない事だった。
しかし、全ての魂を見送り自身も昇りゆくその時に、確かにエルゥは言ったのだ。涙で濡れた笑顔で、心からの言葉をマリーへと伝えたのだ。今はそれでいいのかもしれない。いつかそれが正しかったと胸を張って言えるまで。いつか再会を果たした時、笑顔で笑い合える様にと強く心に言い聞かせ、涙を堪えされるがままに笑うのであった······。
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