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#82 ある盲目少女と森の主の物語9






「エル、ゥ? エ、ルゥ······!」


「はい、エルゥです。再びお会いできる事を待ち望み、ようやくその悲願が叶いました。今こうしてお二人の前に立っていられるのは、全てこの方々のお陰なんです。なので、もう止めましょうお父さま、神様」



 堪えきれずとうとう決壊したエルゥの涙腺からは、大粒の涙が頬を伝い古い床板へと降り注ぐ。啜り泣くエルゥの姿は外見こそマリーなのだが、どうやら巨狼にはしっかりとエルゥだと認識出来ているらしい。

 対面した巨狼がゆっくりと近づくにつれて、未だ油断なく警戒を続けていたエミリーが前に出ようとその一歩を踏み出す。しかし、隣に立つリードが優しく肩に手を添えてその歩みを静かに制止する。


 暗闇の中から出てきてたその巨躯は、差し込む星々の輝きの元へと歩み出て居並ぶ一行へと漸くその姿を晒したのだった。

 その容姿は正しく魔物である《魔人狼(ウェアウルフ)》と見惑う姿を晒しており、既に人の姿を成してはいなかった。そしてその黒く染まった体毛。よくよくと注視すると光に反射し鈍い輝きを見せている。そうして、じっと観察を続けていたリエメルは一つの事実に気が付いて思わず表情が強張る。どうやらこの黒く染まった体毛は地毛ではなく、大量の血液を浴びそのまま固まって黒く見えていたという事が伺えた。一体どれ程の血をその身に浴びたのか······。そんな危険な者を本当に信用して良いものか。と、リエメルは無言のままに死角となる自身の背中に風の刃を生成して有事に備えるのであった。


 そして、マリー改めエルゥのすぐ前へとゆっくりと歩み寄る巨狼は、まるで信じられないと言わんばかりにその身を小刻みに震わせ膝を折りその巨躯を屈ませる。



「エル、ゥ。エルゥなの、か?」


「はい、エルゥです。もう、何度言わせるのですかお父さま。姿形は違えど、正真正銘のエルゥです。······私の歌、届きましたか?」


「あぁ、あぁ。届いた、届いたとも。こうして再び俺が俺として居られるのも、エルゥの歌が聞こえたからだ。あぁ、夢でもいい。再びこうしてエルゥに会えたんだから」


「私も嬉しく思います、お父さま。そして······一緒にいらっしゃいますね、神様。どうかお声を聞かせて下さい」



 エルゥの呼び掛けに答える様に一度びくりと大きく身体を跳ねさせた巨狼は、小刻みに震えながら床板へとその身を崩し縮こまる。



「······私は、私は取り返しのつかない罪を犯してしまった。今更どんな言葉を告げろと言うのか! 私は、良かれと思ってエルゥ達を引き合わせる手伝いをし、この村からの逃走すらも手伝いもした。だが、その結果はどうだ! 何一つとして残ってはおらん、全てが無へと帰してしまった! それら全て、全て私の責任なのだ。今更何を告げろと言うのか!」


「いいえ、神様。それは間違っております。私の中には、今でも家族との幸福な時間が残っております。この村から逃れて過ごした家族との日々が、今でも私の中に何よりの宝となって残っております。この社に残っていては、決して手に入る事のなかった幸せです。全て神様のお力添えがあっての事、本当に感謝しています」


「私が全てを狂わせたのだ! そうでなければ、今頃はエルゥも家族もこの村さえも! 全て健在で変わらぬ日々を過ごしていただろう! それら全てを狂わせたのは私だ! だから、私に今更優しい言葉を告げてくれるな······」


「確かに、あの時私が家族と共に在りたいと願わなければ、今も変わらずこの村は存在していたでしょう。ですが、私はほんの一時でも、家族と神様と共に過ごしたあの日々が、何よりも大切で幸せだったと心からそう言い切れます! 限られた時間の中、如何に満ち足りていたか、それが重要だったのだと魂のみと成り果てた今更になって分かりました。私は、不自由な永遠よりも自由な刹那を望みます」


「それを私に告げるか······。いつからこの社にいるのかすら分からなくなる程に長い時の中、この村を守り、皆の暮らしを見守り続け、願いを叶え共に歩んできた。この社より出る事は叶わなくとも、それでいいと思っていた。例え一族の力が弱まり、私を認識すら出来なくなっても、それでいいと思っていたっ! その昔、一族の者達は皆お前の様に私と話し、崇め、共に日々を謳歌していたのだ。それが、時の流れと共に血の力は薄れ、いつしか私と話す者はいなくなった。······先祖帰りというものなのだろうな。エルゥ、お前は昔の一族そのままの血筋を受け継いでこの世に生まれ落ちた。そのせいで、私の力を利用しようと画策した者共によって両の瞳を潰され、家族とすら引き離され、《依り代》などと祭り上げられこの社へと贄にされたのだぞ! そんな人生を幸せだったと、お前はそう言うのかっ!?」


「はい、幸せでした。だって、こんなにも私は愛されていたのですから。私を想い、この村からの逃走を許し、手伝いもして下さった神様。故郷の村を棄ててまで、私と共に在りたいと願ってくれたお父さまとお母さま。それだけで、私の生は満ち足りていたと断言出来ます。目を潰されたお陰で神様と会えました。神様と会えたお陰で家族と共に過ごす事が出来ました。何も心残りはありません。ですから、どうかもう苦しまないで下さい。私は本当に心の底から感謝しているのですから」



 一つの曇りも偽りもない、とても晴れやかなエルゥの笑顔を見上げ、巨躯を丸めて地面に這い蹲る巨狼はその瞳から大粒の滴を落とした。一粒、また一粒と、止まる事なくその滴は古くなった床板へと音を立てて降り注ぐ。

 リード達から見たその姿はまるで、泣きじゃくる子供の様に見えていた。床板を濡らすその滴は、きっと心に溜まっていた様々な想いを含み洗い流してくれているのだろう。と、一行は静かにその様子を見守っていた。

 軈て、顔を上げた巨狼の涙の道筋は、白く輝く綺麗な白銀色へと変わっていた。いや、元々がその白銀色だったのだろう。黒く染まったその身は、恐らくはこの村に住んでいた者達の血糊。返り血を浴び、長い間そのままだったのだろう。その地毛も相俟って、流れる滴は星々の光を浴びて輝いて見えた。



「お前は、お前はどうしてそこまで······。すまん、守ってやれずすまなかった。あの時、無理矢理にでも私の力を行使する決断が出来ていたならば······いや、止そう。例えそうしたとしても、エルゥがきっと私を止めたのだろうしな。······巻き込んで悪かったな、エリュードよ。エルゥが殺されたあの時、余りの怒りに我を忘れお前の身体を無理矢理借り受け、魂までをも取り込んでしまった。同族殺しという私の罪を、お前にまで背負わせてしまった私を恨んでくれて構わない。本当にすまなかった」


「いいえ、構いません。私はエルゥが利用されていると知った時より、一族の存亡など既に考えてはおりませんでした。寧ろ、私共家族の無念を果たして頂き感謝すらしております。その為の罪ならばこのエリュード、喜んで共に被りましょう。例え死の国だろうと、何処までも貴方様と共に参ります。最後に再びエルゥの笑顔を見られたのです、悔いなど何処にありましょうか」



 肉体を共有し魂を取り込んだと、確かに神と呼ばれる者はそう言った。ならば、やはり今のマリーとエルゥの状態は異常なのだろうか。確かに獣人特有の耳と尻尾が生えてはいるが、外見的な変化はそれだけなのだ。あの巨躯となり、獣人という枠から大きくかけ離れた存在となったエルゥの父親の変化と比べたら。と、リエメルは人知れず観察を続ていた。そして、自身の背中に集めていた風の刃を解き、如何に魂を取り込むという事が異常な事態を引き起こす危険な行為だという事を改めて認識する。同時に、《依り代》としてのエルゥのその不思議な力について独自に思考し始めるのであった。

 そんな事をリエメルが考えているとは露知らず、リードとエミリーは静かに事の顛末を見守っていた。そして、巨狼はゆっくりと改めてマリーの身体を借りているエルゥの前へと跪き頭を垂れた。

 


「すまん、迷惑を掛ける。お前の様な者と共に逝ける事を誇りに思う。······さて、エルゥ。私の孤独と心を救ってくれた清き娘よ。そして、エルゥと共に居られる真に強き方々よ。私達は一族殺しという償えぬ罪を犯した大罪人。この罪、死の国にて裁きを受け清算しようと思う。どうか私達を送ってはくれんか?」


「エルゥよ、すまないがウルリアの事を頼む。きっと俺達を探して心配している事だろう。共には逝けんが、俺は何処にいようとお前達を愛している。いつか再び会える事を祈っているぞ」



 二人の最後の願いを聞き、涙を拭い一度大きく深呼吸をするエルゥ。その瞳は真っ赤に充血しつつも、強く決意の籠った眼差しを変わり果てた父へと向ける。そして、何も言わずに心の中で見守ってくれているマリーへとその願いを託す。



「マリー様、御身をお借し頂き感謝します。どうか······え? い、いえ、私が、ですか? しかし、はい、出来る、と思いますけど······。本当に、私で宜しいのですか?」



 筈だったのだが、どうやら身体の主であるマリーが何かを画策しているという事が、内容は聞こえずともその様子を伺っていた一同は理解した。一体何をするのかとリード達一行は愚か、エルゥの父親である巨狼ですら不思議そうに見守っていた。


 そして、どうやら話が纏まったらしく終始困惑の表情を浮かべていたエルゥは、改めて笑顔を浮かべてマリーの提案を受け入れるのであった。



「······分かりました、ありがとうございますマリー様。全力でやり遂げる為に、再び私に力をお貸し下さい。では、改めましてエミリー様、リエメル様、リード様。恐れ多いですが、私の大切な人達を見送る為に、どうか力をお貸し頂けませんか?」







 お読み頂きありがとうございます。宜しければページ下部にあります評価ポイントで作品の評価をしてくだされば幸いです。


 また、感想やブックマークもお待ちしております。


 お時間を頂きありがとうございました。

 次の更新でまたお会いしましょう。

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