#80 ある盲目少女と森の主の物語7
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ーーここには何もありはしない。俺の欲しかったもの、望んだもの、守りたかったもの......。それら全てを失い何もかもを無くした俺の様に。どうしてこうなった? 何処で間違った? 何が悪かった? 俺はただ小さな幸せを望み、叶えたかっただけなのにーー。
一切の光すらも射し込む事のない暗闇の中、もそりと《何か》が小さく身動ぐ気配がする。
何をするでも無くただ小さく呼吸を繰り返すそれは、まるで暗闇そのものかの如く鎮座し静かにその時を待ち続ける。いつか訪れる自身の終わりをただひたすらに待ち続ける......。
その脳裏に浮かぶのは、嘗ての幸せな時間とその後に訪れた破滅の瞬間の光景。愛する娘と妻の最後の姿。
後悔など当の昔にし尽くした。憎しみは当の昔に吐き出し尽くした。あの日、まるで自身の身体が別の物にでもなったかの如く破壊の限りを尽くし、気が付けばこの暗闇に留まり踞っていた。
自身の全てを支配していた憤怒が冷めた今ならば、他人事の様に眺めていたあの時の全てが鮮明に思い出せる。
幸せそうに笑顔を浮かべて歌う娘の姿。寄り添う妻の温もり。色とりどりの花々が咲き誇るあの丘。その幸せな光景は朱と黒で塗り潰され、二度と華やかな色彩を取り戻す事は無くなってしまったあの景色。
覚えているのはその異質で無機質な情景のみ。全てが赤く黒く塗り潰されてゆく世界。草も花も木も、魔物も動物も人も何もかも......。
軈て全ての色が暗闇に覆われた。もう何も見えはいないし見たくもない。何も聞こえないし聞きたくもない。泣き叫ぶ声も、怒りに染まった怒号も、その耳にはもう何も聞こえはしなかった。
ーーこれではまるで、嘗ての日々その物ではないか......。
暗闇に深く閉ざされた空間に只一人。
何も見えず何も聞こえず。
永遠にも思える静寂と閉塞。何故私はここに存在しているのか......。
......待て。嘗ての、だと?
俺にはそんな過去は無い。
俺は白狼族の村にて生まれ、その力を見込まれ若い頃より守護隊を率いていた。そして、村長の娘であり幼馴染みのウルリアと結ばれた。
そして、俺達の間に生まれた娘エルゥ。今でも忘れはしない、初めてこの腕に抱いたあの小さくか細い命の重さを。決して忘れはしない。
しかし、エルゥは生まれながらに呪いに侵されていると言われ村の社へと隔離された。ろくに説明もされぬまま強引に引き離され、会う事も話す事も叶わずひたすらに無事を祈る日々が続いた......筈だ。
なのに、なのに何故俺はエルゥの社での生活を知っている?
独りで寂しげに食事を取るエルゥ。俺達に会いたいと泣き叫ぶエルゥ。しかし、両親は既に死んだと伝えられ絶望するエルゥ......。
傍らでずっと見守っていた。その小さな身体が寂しさに押し潰されぬ様にと、目を潰された少女へと私の方から話し掛けた。
するとどうだ。毎日の様に泣き晴らしていた少女が不思議そうに周囲を見回し、見えぬ私を捜し始めるではないか。今まで泣くと寝ると食べるを繰り返していた少女は、軈て目以外で視る事を学び見事に私を見つけ出してみせたのだ。あの時の驚き様ときたら......。
なかなかに飲み込みの早い少女だった。私が少し力の使い方を教えただけで自力で考え行動し、試行錯誤を繰り返し遂に自身のものにしてみせた。
その後の少女の生活は一変し、泣く事が少なくなった変わりによく笑う様になっていた。精霊達と戯れ、教えた歌を歌い、社の限られた空間を縦横無尽に駆け回る。そんな姿を私は見守り続けていた。
幸せだった。幸せだったのだろう。
静寂と暗闇に射し込んだ、希望とも呼べる光の様な少女と共に暮らすあの日々を。
しかし、私は知っていた。知っていたのだ。少女が真に望む世界を。少女が真に見たい世界を。叶えてやりたいと思った。見せてやりたいと思った。少女が望む全てを叶えてやりたいと願ってしまった。
両親を想い、涙を流して眠る日々を過ごす少女の願い。それは一目でいいから両親と再会したいという細やかな願いだった。
既に魂のみの存在の私ならば、二人を引き寄せ再会させてやればいい。しかし、不思議な事にその少女の両親達の魂はいつになっても見付かりはしなかった。
ならばと、社に訪れた小鳥の目を借り受けて村を見回った。虫達を使い少女の生活を支援する女従達の会話を盗み聞いた。
そして知ってしまった。
私を留める為の《依り代》という体のいい贄としてこの少女が選ばれた事を。両親は健在で、毎日娘の無事を祈り生活をしている事を。
私のせいだ。私が存在しているせいでこの無関係な家族の生活を引き裂いてしまった。全ては私の責任だったのだ。
何故こうなった? 嘗ては一族全員が私の声を聞き、私の姿が見えていた筈だ。
なのに、今では稀に生まれる《依り代》と呼ばれる存在無くしては私と繋がる事も出来んとは......。
この様な事に何の意味が在ろうか? 何の為に私は存在しているのか? 何故今を生きる者達を苦しめてまで私の力を欲するのか? ......馬鹿馬鹿しい。この様な結果を生む為に私はこの場に留まっている訳では断じて無い!
最早見切りを付けねば。時代は移り変わり、既に私の存在は不要。何れ消えるこの身なれど、この場で悪しき風習を断ち切らねば次の犠牲者達が生まれる事になる。ならば、私の残る全ての力を使い、この少女と両親達を救ってやらねば。そして、私という存在そのものを消し去ろう......。
そう決断してからは早かった。少女に両親の健在を告げ、この社から出る様に説得をした。ふふっ、あの時に見せた顔ときたら......。今でも忘れはしない、あの弾ける様な幸せな笑顔を。
例え一族共々この場で朽ち果て終わりを迎えようとも私は一向に構わない。いや、寧ろ終わるべきだとも考えていた。既に一族には愛想が尽きていたのだから。ならば私の最後の務めとして、一族共々朽ち果てようぞ......。
しかし、少女は共に行こうと言い出したのだ。その小さな身体を以て、私も共に行こうと言い出したのだ。
何と言う事か......。守らねば。この少女だけは何としても守ってやらねば。そう強く決意をし、私は少女の身体へと共存し、この社と村からの脱出に成功した。
しかし、その誓いすらあの花々が咲き誇る丘で無罪にも散り果てた。
......もうどうでもいい。こんな事が許されていい訳がない。一族の罪は私の罪。ならば......。
共に滅びを受け入れようぞーー。
◇◆◇◆◇◆◇
朽ち果てたその集落には既に命の炎は灯ってはいなかった。
廃墟と化した村の通りを歩く一行は、無造作に生い茂る雑草達を踏み締めて進んでゆく。その凡そ人の手などは入ってはいない道を、それでもマリーは迷う事無く真っ直ぐに進んでゆく。
血糊がべっとりと付着した廃屋。破壊の限りを尽くした後の村。蹂躙され尽くされた村には一瞥もくれずに突き進む。その両の瞳は確たる念を込めて、ある場合一点のみを静かに見据えていた。
それは果たしてどちらの瞳なのだろうか。
無言で突き進むマリーの横顔を傍らから見守るリード達には分からない。しかし、何が起きたとしても即座に反応出来る様にと常に備えて共に進んでゆく。
軈て一際大きな廃屋が見えてくる。恐らくはマリーの目指している場合だろう。
大きく拉げた門をくぐり抜け、荒れ果てた廃屋の中へと慎重に進み、大きな広間であったで在ろう場所へと辿り着く。
その場は静寂と暗闇に満ちていて、破壊された天井から微かに射し込む星の輝きが照らす何とももの悲しい場所だった。
その広間の中心に立ち、飛び交う埃などは気にせず大きく息を吸い込むマリー。そうして、目一杯に吸い込んだ空気を譲れぬ気持ちと共にゆっくりと吐き出し、決意と覚悟と悲壮を宿した瞳で正面の暗闇の中に居る主を見据えて言い放つ。
「長らくお待たせしてすいませんでした。お迎えに上がりました、お父さま。そして......」
神様......。
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