#75 ある盲目少女と森の主の物語2
残りの荷物を持ち、少し遅れて現れたリードへと視線を向けたリエメルは訝しげにその表情を見詰めて口を開く。
「随分と穏やかな顔をしていますね。遂に悟りの境地にでも到りましたか?」
「煩いよ。少し物思いに更ける事もあるだろうに。こんなに穏やかな日々が続けばいいと願うのは悪い事なのかい、メル?」
「いいえ、とても素晴らしい事だと思いますよ。貴方のその穏やかな表情、最近良く見る様になったと思いましてね。生前は余りその機会が無かったと、私も少し昔日を思い出してしまいました」
「魔王を倒す前は当然として、国を建てたら建てたで色々と忙しかったからね。きっと子供達や孫達にも辛い想いをさせてしまったんじゃないか。と、マリーちゃんを見ていたらふと考えてしまってね。不思議だよね、皆の子供の頃の顔は覚えているのに大きくなった顔が思い出せないんだ。僕はどうしようもない父親だったらしい」
「王としての責務と業務、多忙を極める日々に於いて仕方がない事かと。完璧な人間など何処にも居ませんよ。確かに貴方は魔王を倒すという偉業を成し遂げ、更には国を建て人々を導き勇王として今でも語り継がれる程の誰もが認める英雄です」
しかし。と言葉を切り、料理の下拵え作業の手を止めてリードに改めて向き直るリエメルは続けて話す。
「その偉光の傍らには、常に挫折と苦悩と後悔があった事実など誰が知り得ましょうか。自身を省みず、常に人々を想い最善を尽くしてきた果てに病魔に蝕まれようと、家族にすらもそれを悟らせずに最後まで隠し通したではありませんか。そんな貴方を誰が責めましょうか」
「うん。まぁ、結局は最後の最後でばれて散々怒られたんだけどさ。もう色々と限界を超えていたんだろうね、あの時は。だからって訳じゃないんだけど、マリーちゃんにはその手を汚さず笑顔でいて欲しいと思うのは僕の利己的で身勝手な考え方ではないのか? と考えてしまうんだよね」
「いいじゃないですか。利己的で身勝手な思考こそ、人が人足り得る証拠です。しかし、貴方のそれは心から他人を思いやるからこそのものです。何処ぞの《誰か》の様に、自身の望みを他人に押し付ける低俗下劣な浅ましいものでは決してありません。精々あの小さな手を取り目一杯に甘やかして差し上げなさい。叱り抱き締める役目は、きっとあの《赤鬼》がやるでしょうしね。何でも一人でやろうとするその悪癖、死んでもまだ治らない様ですね」
「ははっ、手厳しいな。けど、うん。そうか、それでいいのか。どうやら僕は、自分自身の子供達に負い目を感じてしっかりとマリーちゃんと向き合ってはいなかったらしいね。難しいな、人を育て導くという事は」
「負い目、ですか。お望みならば、貴方の子孫達がどの様な道を歩んだのかをお聞かせしましょうか? 全てではありませんが、私がカレンス王国に滞在していた期間内であれば大体把握していますよ」
「興味深いけど止めておくよ。きっと、色々なしがらみや政治的なあれこれが沢山あって生き難かっただろう事は容易に想像出来る。それに、僕の子孫という重圧や地位もね。そんな物しか残してやれなかった僕が、今更子孫の心配をするなんて烏滸がましいにも程がある。せめて彼ら彼女らの魂が悔いの無い幸せな時を過し、安らかに眠りに就いている事を願うばかりだよ」
遠くの空を見詰めてリードは淋し気に乾いた笑みを溢す。それは一体誰に向けたものなのか。その横顔をリエメルは静かに見詰めて見守っていた。
嘗て自身の旅路の途中、拾い助けて導いた魂が今も変わらず自責の念を抱いているのかと思うと、やはり個々の性格というものは死んだ後でも変わらないものかと改めて実感する。
そんな時、聞き慣れた声が背後から届く。
「なーに黄昏てるのよ。本当にあんた達は余計な事を考えるのが好きねぇ。もう少し肩の力を抜きなさいって」
「貴女は考え無さ過ぎですよエミリー。貴女は何か思うところは無いのですか? 例えば生前残した悔いや憂い、心残りなどの類いです」
「うーん、あるにはあるけどねぇ。けど、あれから三百余年も経ってるんでしょ? それなら今更言っても仕方ないじゃない。過去を振り返るのは大事な事だと思うけど、今を見据えるのが最も大事な事だと思うのよねぇ」
「エミリーらしいね、確かにその通りだ。僕らは今の使命を果たさなければならない。それに、いつまでこの現世に留まれるのかっていう問題もある訳だしね」
「そうね。だって、いきなり消えたりしたら嫌じゃない。まだまだマリーちゃんを可愛がらなきゃならないのに、途中で消えるとか嫌よ私?」
「確かに、寝て起きたら居ませんでしたは話になりませんね......。その辺りの事も今後考えて行かなければなりませんか」
「まぁまぁ、考えたって仕方ないでしょう? それより今はこのお魚を美味しく焼きましょうよ。マリーちゃんもきっとお腹を空かせて......って、ねぇ? マリーちゃんは何処行ったのよ?」
エミリーのその言葉にリードは花畑の方角を見やる。しかし、そこにはマリーの姿は既に無く美しい景色が広がっているだけであった。
一瞬でリードの顔から血の気が引いていく。一瞬で最悪の事まで想像を働かせたリードは急ぎマリーの行方を探す為に行動に出ようとする。しかし、その身体を腕一本で制したエミリーは、焦るリードに溜め息混じりに視線をリエメルへと向けさせる。
すると、既に感知と周辺探索の魔法を行使しているリエメルが映る。
「あのね、気持ちは分かるけど少し落ち着きなさいって。闇雲に探すよりもこっちの方が断然早いし確実よ。全く、過保護なんだから」
「あ......。ごめん、確かにその通りだ。思っている以上に僕はマリーちゃんの事を心配しているらしい。気が動転して頭が真っ白になっていた。ごめん」
「常に最悪を想定するのは悪い事ではありません。しかし、その後の行動は最善とは言えませんね。ん、居ました。丁度あの丘の上の花畑、そこに寝そべっている様ですね」
「んじゃ、この果実とお魚お願いね? 私もマリーちゃんと遊んでこよーっと」
「あ。こら、待ちなさい......って、もう遅いですね。仕方ありません、ほら、リードちゃんは魚を捌きなさい。いつまで呆けているのですか?」
「あ、ああ、ごめん。何と言うか、安堵と同時に一気に力が抜けたみたいだ。おかしいな、こんな事今まで一度も無かったのに。何て情けない」
花畑へと走り去るエミリーの背を見送り、未だに呆然と立ち竦むリードへと呆れの眼差しを送り肩を竦めるリエメル。
「それこそ、先程話していた事に繋がるのでは? 生前我が子に向ける事の出来なかった愛情を、今はマリーさんに向けているのですよきっと。本来貴方は無類の子供好きだった筈。しかし、立場上そうする事も時間も無い状態が続き、気付いた時には既に貴方の手を離れていた。その反動でしょう」
「うーん、本当に難しいな。やはり僕は人を育て導く様な器は持ち合わせていないんじゃないかな?」
「そんな物、誰も初めから持ち得てなどいませんよ。子が成長をする様に、親も共に成長を遂げてゆくのです。そうして、日々と年月を重ねて漸く家族になるのです。そういうものでしょう、貴方達人間というものは」
「参ったな、妻子持ちの僕が未婚のメルに諭されるなんて。やっぱり世界を見続けてきた者の言葉は重たいや」
「当たり前です。何百年この世界を見続けてきたと思っているのですか? それに、私にとっては貴方も我が子の様なものですがね、リードちゃん」
やめてくれ。と、苦笑いを残したままに、花畑で燥ぐエミリーとマリーを遠目で眺めるリード。その瞳には様々な感情が入り雑じり、やはり難しいな。と、小さく言葉を漏らすのだった......。
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