#71 ある名もない旅人達の物語9
森の中をある一行が駆けて行く。
一人は見るからに粗暴そうな男で、縄で縛られているにも関わらず、足場の悪い森の中を器用に駆けている。
一人はその縄を持ち、先行する男に追従する穏和そうな好青年。彼もまるで苦もなく森を駆けて行く。
それに少し距離を取り、続いて行くのは······何故か子供を抱えた美しいエルフの女性。その横には宙を舞う大杖が並走し、森の中ではまず見掛けないであろう違和感を全身から醸し出していた。
そんな不思議な一行が向かう先は、黒煙の昇り立つ集落の様な場所だった。其処は既に長閑とは言い難い程に荒れ、至る所に傷付いて身動ぎもしない遺体が多く地に伏せていた。それは、女性であったり子供であったり、中年男性であったり《甲冑》を身に纏う男性であったり、様々な遺体が地に伏せていた。
その戦場とも言える集落で、一際異彩を放つ女性が一人。真紅に靡く長髪を横へと纏め、自身の拳や足に炎を灯し上等な装備に身を固めた戦士達を次々に蹴散らしている。
そして、その女性は憤怒していた。炎を纏うその拳を受けた者は、例外なくその箇所が大きく爆発し、歪んだ鎧に圧迫され自身の血を撒き散らす。その足を振り抜けば、その身体は甲冑ごと宙を舞い、勢いをそのままに地面や木々に叩き付けられる。その一挙手一動、全てが等しく死に直結する程の剛の者。
その様は、正に炎を纏う《戦の鬼》。
炎の様に揺らめく髪と、燃える様な輝きを放つ瞳。その異様な姿に畏れを抱き、背中を見せて逃げようものなら恐ろしい早さで追い付かれ、その身を業火に焼かれ悲痛な声を上げてのたうち回り、やがてぴくりとも動かなくなる。
羅刹の如く命を刈り取り回る真紅に染まった女性を森の中から覗き見て、縄で縛られた粗暴そうな男は小さく声を上げた。
「おいおいおいおい、洒落にならねぇぞ······。何だよ、あの姉さんは。滅茶苦茶じゃねぇか。あれか、あれが悪魔って奴なのか?」
「完全にキレてるね。顔を出さない方がいいよ、死にたくないならね」
「出せねぇよ、怖くて声すら出したくねぇっての!」
「だから先程から小声なのですか。見かけ倒しもいい所ですね、貴方。ほら、あの場に出て行って死ぬ位の気概を見せなさい」
「完全に無駄死にじゃねぇか! ······ちょ、やめろ、押すな! 洒落にならねぇ、本当に待って、止めてぇ!」
「それよりも、あれはどういう状況なんだい? 君の仲間はあんなに上等な装備に身を包んでいたのかな?」
リードは背中を足蹴にされる野党を無視し、横たわる遺体の一人を指差して不思議そうに告げる。すると、足蹴にしてくるリエメルに必死に耐えていた野党は息も絶え絶えに語り出す。
「······違ぇ、ありゃあ俺等の仲間じゃねぇ。あの鎧に付いた紋章······ありゃあ俺等のお得意様だ。この先の《貿易都市ラングラン》の······確か、えぇと、そうだ! 《八商連合会》だかのお偉いさんの私兵共だよ。何だってこんな大勢で······って、押すなよ!?」
「《貿易都市ラングラン》の生き残り······いや、残党と言うべきか。大方、あの騒ぎの中を上手く逃げ出して資金を稼ぐ為にここを襲撃した。そんな所かな」
「ちょ、本当に止めて! って、ん? 騒ぎ? 何だよそりゃあ」
「知らないのですか? 《貿易都市ラングラン》は既に壊滅しました。《闇》による暴走が原因で、街の大半は吹き飛びましたよ」
当然の様に自分が吹き飛ばした事実を湾曲させ伝えるリエメルを、リードとマリーはまるで信じられないものを見るかの如く直視する。しかし、それとは知らぬ野党の男は驚愕にその顔を染めていた。
「な、何だって······? じ、じゃあ······いや、待てよ? そうか、だからか。だからあの街でしか売る事の出来ない、足手纏いになる女子供を殺してっ!? ちくしょう、何て鬼畜共だっ!」
「だから、それを貴方が尤もらしく口にするなと言っているのですよ。ほら、貴方もついでにあの《赤鬼》に焼かれてきなさい。ほら、さあ」
「止めてっ、本当に止めて!? 無理、本当に無理っ! こ、こわ、怖いんだって!」
「誰が怖いってぇ?」
「んひぃぃぃ!? すいません、すいません、すいません、すいません、すいませ」
「五月蝿い」
突然、エミリーが一行の隠れる場所へと不機嫌な表情のまま戻り、そのまま譫言の様に謝罪する野党の頭へと拳を落とす。
すると牛蛙の如く声を上げ、軈て野党の男は物理的に静かになった。
「もう出て来ても大丈夫よ。皆殺しにしたから。······あ、違うわよ? 甲冑着た変な奴等がこの集落を襲ってたから殺っただけよ? 私が着いた頃にはもう全員」
「分かってるよ、ご苦労様。一応確認に行こうか。あ、マリーちゃんは怖かったらここにメルと」
「怖くありません、私も行きますっ!」
「······ん、そっか。なら一緒に行こうか。さ、メル。マリーちゃんをそろそろ下ろしてあげなよ」
マリーはリエメルの腕の中から脱出し、おずおずとエミリーに近付いていき、そしてその血に塗れた手を両手で強く握り締める。
少し呆気に取られたエミリーは、その視線を真っ直ぐに向けるマリーと視線がぶつかり少しだけ戸惑いを見せる。そして、マリーが申し訳なさそうに口を開くのを見詰めていた。
「あの、エミリーさん。本当にごめんなさい。私が至らないばかりに、エミリーさんだけに辛い思いをさせてしまいました。ごめんなさい、ありがとうございました」
「あの、さ。マリーちゃんはその、怖くは、ないのかな? 見てたでしょ? 私が暴れ回って」
「怖くなんかありませんっ! 寧ろ、何処か悲しそうに、泣いている様に見えました。だから私は怖くなんかありませんっ!」
「マリー、ちゃん」
マリーのその言葉を聞き、エミリーは遠い昔日を思い出した。それは、リードとリエメルと初めて出会った時の事。如何に遠くの出来事であろうと、片時も忘れた事はない記憶。それが一気に鮮明に脳裏に浮かぶ。
そして、エミリーは満開の笑顔を浮かべてマリーと同じ視点へと身を屈め、ありがとう。と、一言だけ呟いた。
その後は、生き残りが居ないか各自散開して探し回り、逃げる気配のない野党を縛る縄はそのままに、ある程度の自由を許していた。
「あの、私が言うのもあれなのですが。その、逃げないのですか?」
「ん? ははっ、今更何処に逃げるってんだよ。俺の塒はここだぜ? ま、全部綺麗さっぱりと無くなっちまったがよ」
「それでも、逃げた先でまた新たにやり直せるのでは?」
「無理だな。まず、この場からは絶対逃げ切れる自信がねぇ。あれ見たろ? 無理だな、まず無理。それなら大人しく裁きってやつを受けるまでお前さん等と一緒に行くさ。······何てぇかな、少し悪くねぇって思えるんだよな」
「······ふふっ、そうですか。私も少しだけ悪くはないと思います。楽しい旅になりそうですね」
マリーが近くにいた野党へと笑顔を向けようとした時、不意にその野党はマリーの近くに背を向けて佇んでいた。
一体いつの間に? と、疑問符を浮かべそうな奇怪な顔をしていると、野党の男は振り向かないままにマリーへと言葉を伝える。
「······よ。あの怖い姉さん達が睨み効かせてるからよ、そろそろ向こうに戻りな。こっちは俺が見といてやるから、な?」
「え、あ、はい、分かりましたっ。ではお願いしますねっ、野党さんっ」
そう告げて、エミリーの元へと元気に駆けて行くマリーの背を、野党の男は背中越しにちらりと見て小さく笑う。
そして、その歩みをゆっくりと目的の場所へと進めて行く。途中、野党の身体が小さく揺れて足元をよろめかせるも、しっかりとその場所へと歩いてゆく。
そして······。
「······よぉ、随分と姑息な事してくれんじゃねぇか。別によ、俺を狙うのは構わねぇ。けどよ、あの小さな天使に、そんな不粋なもんを向けるんじゃねぇ。それだけは、何があっても絶対ぇに許さねぇぞ」
「ひっ、ば、馬鹿な。何で倒れ」
「さっさと死ね」
野党の男が縄で縛られたその身体で思い切りに倒れ伏す甲冑を着た男の頭を踏み潰す。そうして、青い空へと大きく息を吐き、満足そうに仰向けに倒れる。
その異変に気付いた一行は、急ぎ倒れた野党の男の元へと駆け寄るのであった······。
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