#53 ある全てを捧げた魔法師の物語10
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世界中からありとあらゆる物資が運び込まれ、至るところで売買が交わされる街。昼夜問わず街中で商いが行われ、《眠らない街》と呼ばれている《貿易都市ラングラン》。
普段は時を問わず活気に溢れる街中は、今はその鳴りを潜めて声の一つも聞こえない。聞こえる音は、ただただ降り注ぐ血と臓物が地面へと落ちる音のみという地獄の街へと変化していた。
この事件が発生した当初、住人達は我先にと街の外へと出ようと各所にある門へと殺到した。しかし、既に門のみならず街全体を覆う《何か》に阻まれ、この《貿易都市ラングラン》を脱出する事は叶わなかった。
この異常な出来事に住人達は喚き、叫び、他人を押し退け踏み潰し、どうにか自分だけは助かりたい一心で考えうる全ての行動を起こす。
魔法を放つ者、備え付けのベンチ等を叩きつける者、その暗くて黒い《何か》へと痛みに耐え無理矢理に自身の身体を捩じ込ませる者。そして、暴徒と化した住人達は挙って自身の前にいる人の背や頭を強く押し込む。
人垣はその《何か》に向かい殺到する。泣き叫び罵声罵倒が飛び交い押し退け踏み潰し殺到する。
そして、先頭の人々に変化が起きる。
その《何か》へと無理矢理に押し付けていた身体が確かにその《何か》へと侵入を果たしていた。歓喜に沸く周囲の声を聞き更に更にと必死に押し込むが、身体の半分程が入った辺りで漸く気が付いた。
《何か》に入った訳ではなく、《何か》に喰われている事を。後続の人々に無理矢理に押し付けられているが為の痛みではなく、実はその身を徐々に《何か》に貪り喰われる痛みだったと気付き泣き叫ぶ。
しかし、その声は周囲の声に掻き消され誰の耳にも届きはしなかった。
やがて《何か》の中に先頭の人々が消えた頃、それを救いだと思い込み人々は次々にその門へと殺到し、次々にその《何か》へと消えてゆく。そうして人垣が半分程になった頃、漸く異変に気付き始める。
歓声は再び悲鳴へと変わり、今度はその《何か》から一刻も早く離れようと逃げ惑う。しかし、その《何か》は見逃す気は無かった様だ。
暗く深い黒色の《何か》からは無数の手が生え、次々に住人達を捕まえ引き寄せ貪り喰らう。そして、その光景を見た誰とも無く小さく静かに呟いた。
あれは《闇》だ、と。
住人達は逃げる事は叶わず、この地獄に閉じ込められた事を今更に気付く。決して逃れられない明確な死を突き付けられ、漸く絶望と恐怖を味わう事になる。抗う事も逃げる事も出来ない、正にこの世の終わりをその全身で痛感する。
それは、嘗てスラムで慎ましく暮らしていたハーフエルフの兄弟が味わった感情と全く同じものだという事は、降り注ぐ血が濡らす地べたを這いずり回る誰一人として知る由も無い事だった······。
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「全く、とんでもないわね。ここまで深い《闇》を行使するなんて、君のお兄さんは間違いなく天才よ」
「この才能を活かせば、きっと大成したのでしょうね。しかし、そうは成らなかった。もしもの事を幾ら並べても現実は変わりはしませんよ、エミリー」
「そりゃそうでしょうけど、ね。この光景を見ると言いたくもなるわよ。ここまでの憎悪と殺意を現象として引き起こす事が出来るなんて······」
「そうですね。······マリーさん、目を瞑っていても構いませんよ? 私が手を引いて先導しますから」
「大丈夫、です。けど、けどこれは、こんな事が······これ程のものなのですか? 《闇》とは、これ程の事を引き起こすものなのですか?」
マリー達一行は、揃って血と臓物の降り注ぐ《貿易都市ラングラン》の街中を固まって進んでいた。
降り注ぐ全てのものを風の魔法で遮るリエメルと、進む道に溜まる血と臓物を焔で蒸発させるエミリー。時折《闇》から迫りくる手を《光》の剣で切り裂くリードと、万全の守備に続くはマリーとフェイエル。
まるで、大罪を犯した者達が死後に連れて行かれるとされている死の国の地獄と呼ばれる其れを見せられている様だ、と決して口には出さず誰もが心の中で呟いた。
そして、この一連の騒動を引き起こす切っ掛けとなった自身の軽率な前世を悔やみ、この街を地獄に変えた兄の気配を必死に探るフェイエル。その沈んだ小さな肩へと優しく手を添えるマリー。
この悲惨な光景から目を反らす事はせず、改めて《魔法》という力が引き起こす途方もない現象の驚異を再度思い知るマリーであった。
「リエメルさん、この《闇》とは一体何なのですか? これは明らかに異質です。魔力と言うよりも、これではまるで」
「そう。これではまるで、神々やマリーさんの行使する《神力》の様だとお考えなのですね? 似て非なるものではありますが、恐らくは間違い無いでしょう。私も以前よりこの異常な力を魔法とは別のものだと考えていました」
「この様な現象を引き起こす事は、恐らく魔法では不可能なのですよね? けどその根本は同じ。この途方もない《闇》の力を繊細に操作出来て初めて成立する現象······」
「これ程の殺意と憎悪を孕んだ魔法などこの世には存在しません。マリーさんの《神力》が願いに応じて奇跡を起こすものならば、この《闇》の力もまた願いに応じて悲劇を起こすものなのでしょうね。正に光と闇、陽と陰、相対的な力です」
途方もない邪悪な気配を漂わせる《闇》に対して、人は余りにも無知である。しかして、それを知る手段が無いというのも一つの要因ではある。何せ、《闇》に魅入られた者は必ず《闇》に呑まれ跡形もなく消え失せてしまうのだから。
これは《魔物集団暴走》と同じく自然災害として世界に認知されている程に、発生条件も何もかもが不明なのだ。その規模も引き起こす現象すらも統一性は無く、しかしその全てが悲劇と大惨事しか起こさないものという程度の認識しか無いのが現実である。
この《闇》が齎す人知を越えた現象に過去何度か立ち会った事のあるリエメルは、ある一つの《仮説》に思い至る。それは、神々の行使する超常の現象を具現化する力《神力》と、この途方もない殺意と憎悪を孕む忌まわしい《闇》の力は同じ様な力なのではないか、と。
《神力》は神々が行使する力だとするならば《闇》は神々にも匹敵する程の《何か》が行使する力なのでは······。
そこまで考えリエメルは頭を振る。その様な存在がこの世界にいる筈はない、と。嘗てこの世界を《闇》で恐怖と絶望に染め上げた《魔王》ですら神々に匹敵するのかと言われると疑問が残る。もしも《魔王》が神々と同等ならば恐らく倒す事など出来はしなかっただろう、と。
では、この《闇》を行使するものの根本とは一体何なのか。《魔王》すらも及ばぬ神々に匹敵しうる存在とは一体何なのか。
自身の知識欲を駆り立てる様々な現象に、リエメルは人知れず胸を踊らせるのであった······。
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