#49 ある全てを捧げた魔法師の物語6
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「おかーさん、ご飯買ってきたよ! 皆で食べよう!」
「······まぁ。フェイエル、貴方一体何をしていたの? どこにそんなお金が」
「商人様のご婦人様がくれたんだよ! 美味しい物でも食べなさいって!」
「フェイエル、もう知らない人からお金を貰ってはいけませんよ? 母は貴方を心配しているのです」
「大丈夫だよ、すっごくいい人だったんだその人! お母さんのお薬も買えたんだよ!」
そう。と、小さく返事を返す母親は古ぼけた毛布を被り床に伏せつつも、痛みに耐える様にその身を起こし心配そうにフェイエルを見詰める。見詰める母親に小首を傾げるフェイエルはその頭を軽くこつりと叩かれた。
「フェイ、余りお母さんに心配を掛けちゃダメだろう? もう貰ってしまったものは仕方ないとして、次は絶対に貰うんじゃないぞ?」
「どうして、クレイグ兄ちゃん? だって、お金があれば美味しい食べ物も買えるしお母さんの薬も買えるんだよ? どうしてダメなの?」
「どうしてもだ。いいか、よーく聞くんだぞ? タダより恐いものはないんだ。絶対に何か裏があると疑って掛かるんだ。それに、自分で稼いだお金じゃないとお母さんが心配する。それは嫌だろ?」
「うん······やだ」
「よし、じゃあもう貰ってはいけないぞ? さ、手を洗っておいで」
元気よく返事を返して駆けていくフェイエルの背を溜め息混じりに見送る少年。そして、改めてその少年へと母親から声が掛かる。
「クレイグ、フェイエルから目を離さない様にお願いします。あの子はまだ人の悪意を知らない、貴方がしっかりと見ていてね」
「当然だよお母さん。大丈夫、フェイは大事な弟だ。絶対に僕が守るよ」
お願いね。と、微笑みを返す母親の身体は痩せ細り、見るからに栄養が足りていないのが見てとれる姿だった。その母親が苦し気に咳をするとクレイグと呼ばれた少年は急いで背に回り優しく擦るのであった。
家族三人が暮らすその場所はとても狭く、家と呼べるのかすらも怪しい非常に簡素な作りをしていた。
玄関口には藁を編んだ物が入り口を遮っている程度で窓は見当たらない。それどころか、少し強い風が吹けば倒壊しかねない程の壁には所々に穴が空き、眠る時は三人で固まり古ぼけた毛布に入り眠る。
そんな生活でも兄弟はとても満ち足りた時間を過ごしていた。思う様に動けない母親の代わりに、朝早く兄弟は目を覚まし眠らない街へと向かい食べられそうな物を拾ってくる。
そして、クレイグはたまに酔っ払い相手にスリを行い生計を立てていて、フェイエルはクレイグにすら黙って路上に立ち、婦人に連れられ何処かへと消えてゆく。
とても誉められる生活ではないが、それしか生き抜く術を持ち合わせてはいなかった。
それでも、母親が病気を患う前は娼館にて生活をしていた。母親が病気になるや直ぐ様追い出されて今に至るが、兄弟はそれで良かった。
母親が怪我をして帰ってくる事もなければ娼館の連中に怒鳴られる事もない。寒くても貧しくても、兄弟にとっては母親と共に過ごせる時間が何よりも幸せだった。
エルフである母親から魔法の使い方を習い、聞いたこともない英雄譚を聞き、外の世界の事を聞いた。それでも、父親の話と母親の過去の話は一度も話してはくれなかった。
しかし、兄弟にとってはそんな事はどうでもよかった。ただ、この幸せが続けばいい。そしていつか、自身達が稼ぎ母親に沢山美味しい食べ物を食べさせようと夢見ていた。
しかし、それは正に夢として終わる事になる。
ある夜、突然苦しみ血を吐いた母親はそのまま帰らぬ人となった。残ったのはまだ幼い兄弟のみ。母親の身体に毛布を掛けて二人はその住み慣れた家を出る他に無かった。
······もう何日もろくなものを口にしていない。きっとこのまま母親の元に行ったなら怒られる。と、クレイグは無理矢理にフェイエルの手を引き歩いた。
そして出会う。兄弟の運命を変える人物に。
クレイグが食べ残しの残飯を漁っている間、フェイエルは壁に凭れ掛かり力なく表通りを眺めていた。
涙が枯れ果てた瞳は輝きを無くし、ただただ過ぎ去る人々を虚ろに眺めていた。
「あら、貴方は確か······どうしたの、大丈夫?」
「え······誰?」
「っ、フェイ! ······す、すいません、大丈夫です。弟は寝惚けている様で。ご心配をお掛けして」
「あら、貴方はお兄さん? けど、この目は寝惚けている目じゃないわ。ご飯は食べてるの? 飲み物は?」
「い、いえ、本当に大丈夫です。なのでどうか」
「お前達、今すぐ露店でお腹に優しい物を適当に買ってきなさい、急いで! 飲み物は綺麗な水を持ってきて!」
『畏まりました』
クレイグが断りを入れて去ろうとするも、その貴婦人は後ろに控えた従者達に使いを頼み優しく兄弟達の肩に手を添えた。
そして、優しく心の籠った言葉を掛けてくれた。
「もう大丈夫、二人共よく頑張ったわね」
その言葉を聞いたクレイグは大粒の涙を流し全てを語った。語ってしまった。無理もない、優しい言葉など母親以外の人から掛けて貰った覚えがない程に、兄弟達の生活は厳しいものだった。
そんな中で向けられた優しさをはね除ける程の心は幼い兄弟は持ち合わせてはいなかった。
······その後は、その婦人のお陰で母親の遺体を墓場に埋葬してもらい、更にはその邸にまで奉公人見習いの下男として迎えられる事となった。
優しい邸の人々に、温かく柔らかい清潔なベッド。前の家とは比べ物にならない程の清潔で整えられた生活環境。正に二人の生活は一変した。
······だからこそ忘れていた。人の闇を。人の欲深さを。人の醜悪さを。人の残酷さを。
ある夜、珍しく部屋にフェイエルが戻って来なかった。きっと仕事に励んでいるのだろうとクレイグは考え、寝ずに待つ事にした。しかし、朝になり陽が昇ろうとフェイエルがその部屋に帰ってくる事はなかった。
クレイグは急ぎ婦人に事情を説明し、邸の中を探し回った。しかし、結局手掛かりすらも見付かる事は無く再び夜を迎えてしまった。
その次の日も、その次の日の次の日も、フェイエルは戻ってくる事はなかった。
失意のクレイグは食事も喉を通らず、みるみる弱っていきとても見ていられるものではなかった。
そんなある夜、フェイエルが見付かったと婦人に言われクレイグは泣いて喜んだ。そして、婦人と共にフェイエルを保護しているという部屋へと向かい漸く対面した。
実に五日振りの再会だ。少し位変わっていてもおかしくはない。ただ無事であればそれでいい。
······ただ無事であれば。それは大きな間違いだと気付くまで時間が掛かった。
様々な禍々しい器材に囲まれた部屋にフェイエルはいた。
両足は太股までしか無く、両腕も肘より先が無い。身体には無数の傷が浮かび肩には細い何かが沢山刺さっていた。顔は片目を抉られ、鼻は削がれ口は塞がれて······。
変わり果てたフェイエルの姿を前に、クレイグはその場に崩れ落ち、ただ揺れる視界でフェイエルを見詰めていた。婦人が何かを言っていたが全く耳には入ってこない。そして視界が歪み赤く染まる。
クレイグは己の愚かさと、人という生き物全てを呪い血の涙を流した。
······そして声を聞く。やけにはっきりと聞こえた声はクレイグの心にすんなりと受け入れられて《それ》は溢れ出した。
その日、《八商連合会》の一家である《ロウム》家の邸にいた全ての人々が行方不明となった。大量の血痕と壮絶な襲撃痕を残したままに······。
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