3回目のプロポーズ「子守唄への投げ銭<前半>」(決)
※19年8月23日に大幅な修正を致しました。
少女ゼウスから渡された奇怪の『収入欄』を睨んでいると、
「まあ。皮肉だな。勇者に金は必要なのか?願望としては、勇者の手持ちは少ない方が良い。かと言って、金に困る結婚相手は出来れば避けたいところ」
ふむ。少女ゼウスの真っ当な意見を受け入れ、僕は目を瞑り下顎を撫でながら、想像を試みる。
ーー大金持ちの勇者。
それってなんだか勝ち気な投資家じゃないか?
なるほど。莫大な資産は勇者の存在自体を霞ませてしまう力があるようだ。
勇者を保てるバランスの良い収入が理想だな、国一番の怠け者はそんな夢想に耽る。
今日のバイカル王国は雲ひとつない晴天だった。この国は比較的過ごしやすい環境で、陽気で呑気な国民性は気候の影響を受けてのものらしい。一方、隣国のエーゲ帝国は崩れがちの空模様が多く、国民性も生真面目な印象。両国を隔てる山脈と偏東風によって、隣国同士でこのようなはっきりとした違いが生まれているとバイカル王国の気候学者は唱えていた。
街をぶらつきながら、僕と少女ゼウスは勇者修行になりそうなものを探す。
いつもの城下町の裏路地で、バナナ飴を舐めていると、陽気な太鼓のリズムに合わせた歌声が誘うように僕らに届いた。
「吟遊詩人というやつか。初めて見たが、良いものだな」
少女ゼウスの言葉に頷く。二人の吟遊詩人の周りを何人かが踊っている。手拍子に合わせ、簡単な声が上がる。早いリズムで弦を弾く、太鼓を叩く。踊りのテンポも上がる。日差しが吹き出る汗を輝かせる。音楽はいつもの城下町の様相を一変させた。彼女たち二人の『魔法』とも言うべきものだった。
演奏が終了すると次々に投げ銭が飛んでいく。こいつはありだなと思った直後「早くも勇者から転職希望?」と少女ゼウスに釘を刺された。
「困ってることならあります。最近、苗木が盗まれるんですよ」
果物屋であるフランは泣きわめく赤子を抱えてそう言って、豊満な片乳を露わにした。「だからお客の前で何やってんだよ」と店主兼旦那に店の奥へと連れて行かれる。フランは生まれたばかりの赤ん坊の育児と店の手伝いに追われ、時折頭の中がごっちゃになってしまうらしい。まあ、少々抜けているところがあるのだ。
ーー苗木。
バイカル王国の名産品の一つに赤くて芳醇な甘味の強い果物『鈴苺』がある。なかでも長い年月を掛け品種改良して出来た『龍の翼』は国の大切な資産とも言える。フランの夫が管理する『龍の翼』は格別人気のある品種。バイカル王国は『鈴苺』の品種管理を徹底していて、国に認められると苗木の権利を保持出来る。これはたとえ苗木がどこかへ流出しても栽培、販売の許可は出さないようにするための国の措置である。
「苗木は…、苗木は、モルダーさんが管理する約束になったからもう問題ねえよ」
モルダーとはバイカル王国有数の資産家だ。学校や教会など至るところでモルダーの名を冠する建物がある。一方、裏では腹黒い噂が絶えない。
店主に追い返された僕たちはこれ以上やる事もないのでそのまま自宅へと踵を返した。
夜半のどの刻だろう。
玄関ドアをノックする音が聞こえた。気を遣った囁くようなノックだった。ドアを開けると、フランが赤子とともに立っていた。
「こんな時分に訪ねてしまい申し訳ございません。主人は日中あのような強気な態度を取ってはいましたが、実は三日三晩ずっと涙にくれています。『龍の翼』の苗木は、主人の亡くなった祖父が人生を賭けて品種改良したものなんです」
フランの話では、数年前からフランの夫の持つ『龍の翼』の権利を買いたいと、モルダーから提案されていたようだ。しかしフランの主人は頑なにその話を断っていた。暫くすると、苗木の盗難が繰り返され、最終的にはバイカル王国から厳重な管理を、つまりは管理費強化の投資をフランの夫は言い渡された。金のないフランたちは泣く泣く『龍の翼』の権利をモルダーに手放すことになったのだ。
「尾っぽは掴んでいるのか?そのモルダーをこてんぱんにするのは容易い。しかし証拠もなく手は下せん」
少女ゼウスのある種冷徹な言葉に少々反感を覚えたが、言われてみればその通りだ。
「はい。知人の行商人が頼まれた運搬で、モルダーの管理する倉庫へたくさんの木箱を運ぶように言われたそうです。その際、『絶対に中身を見るな』と言い渡されそうですが、最近、エーゲ帝国が炎の獣神玉を狙っているという噂があるじゃないですか?やばい仕事だったら勘弁してくれと思い、こっそり木箱の中身を確認したそうなんです。そうしたら苗木が、木箱全てがそうだったようです…。先端が二つに割れた葉っぱは『龍の翼』の苗木に見間違いようがないと」
フランの赤子が泣き出した。慌ててフランは、乳房を取り出し我が子に飲ませる。
僕は逸らさずじっと見ている。
「いくら出せる?人助けもタダじゃ出来ない」
僕は少女ゼウスの言葉に耳を疑ったが、少女ゼウスはすぐさま僕を見返した。「職業勇者の収入とは、まさにこういう事だぞ」と言いたげな目をしていた。
「分かっています。これが今私が出せる全てです」
フランの置いたお金は、バナナ飴を20本程度買える額だった。「すいません…」そう言って乳を飲み終えた我が子に、震えた小さな声で子守唄を聞かせる。フランの目は涙を浮かべている。フランの歌う子守唄は昼間の吟遊詩人たちとは対照的に、儚く朧げだった。でも僕はその子守唄に心を動かされた。投げ銭したいくらいだ。
「分かった。やるよ。モルダーをぶっ飛ばそう」
勇者としての収入はこんな程度が関の山だろう。これが『バランスの良い収入』なのかもしれない。
僕は勇者として立ち上がった。