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26回目のプロポーズ「乙姫の名付け親」(決)

 緑ウラシマは数種類の薬草を石と石とで荒く磨り潰して混ぜた。彼は怪我した乙姫を人知れず自宅に連れて帰ったのである。



「待ってろ。俺の死んだ爺ちゃん特製の傷薬はよく効くんだ」



『貴方様はその日の漁を取りやめて、丁寧に私の怪我した左足を手当てして下さいました。何よりご恩に感じたのは、私に逃げた理由や事情など一切尋ねなかったことです。』



「よし、と。それで二、三日安静にすれば怪我は元どおりになるだろう。干物でも食うかい?俺の死んだ爺ちゃん特製のかれいの干物は絶品なんだぜ?」



 緑ウラシマはかれいの干物を囲炉裏の火で適度に炙った。そして、知り合いの農民に分けて貰った()()()白い米を、粥にして乙姫に差し出した。

 乙姫はむしゃぶりついた。こんなまともな食事など食べた事がなかったからだ。あっという間に平らげた。



「俺は太郎ってんだ。お前の名前は?」



 乙姫は黙って、下を向いた。



「言いたくないのかい?…なら仕方ない。かと言って、おいと呼ぶ訳にもいかねえ」



 緑ウラシマは、囲炉裏の中で小さく爆ぜながら燃える焚き木をじっと見つめる。



「若い娘だから、洒落た名前が良いな…。乙な名前………」



 緑ウラシマはポンと手の平を拳で叩いた。



「乙姫だ!どうだ?良い名前じゃねえか」



『貴方様は私に乙姫という素晴らしい名前を咄嗟に付けて下さいました。あの時の喜びは今も私の胸の中に強く刻み込まれております。ただし、貴方様は一つ大きな誤解をしております。貴方様に私が名前を聞かれた時、私が黙り込んでいたのは本当の名前を貴方様に告げるのが嫌だった訳ではございません。私には名前がなかったのです。私は生まれて此の方、誰かに名前を付けて貰った事が、只の一度もなかったのです。』



「まだ腹が減ってるみたいだな。よし!他の干物を食うかい?……おいおい、どうした乙姫?お前、もしかして泣いてるのかい?」



「………え?」




 その日の晩。

 緑ウラシマは乙姫のために煎餅布団を敷いた。自分は自宅の隅で藁を簡単に敷き詰めて、ごろ寝した。



「どうしてそんな隅で寝てるのですか?」



「馬鹿野郎。男が若い女と添い寝しちゃ、……ま、間違いが起こるかもしんねえじゃねえか…。俺はここで良い」



「太郎は私のことが、嫌いなのですか?」



「はあ?そういう訳じゃねえよ…。乙姫、女ってのは貞操を…」



 乙姫は布団から出ると、緑ウラシマを背にしてゆっくりと立ち上がった。囲炉裏には微かな火が燻り、ゆらゆらと乙姫の着物を照らしていた。

 乙姫は着物を脱いだ。一糸纒わぬ姿を緑ウラシマに晒した。

『私は女の礼とはそういうものだと男たちに教え込まれていました。それが当然のものだと、それこそが礼節だと、女とはそういうものだと。』



「乙姫、なんだいそりゃ……?」



 起き上がる緑ウラシマは震えた声で乙姫の背に向けて疑問を投げ掛けた。



「今晩の礼でございます」



 緑ウラシマは大粒の涙を零した。ぽろぽろと止めどなく零した。緑ウラシマの零した大粒の涙は、敷き詰めた藁の上に一滴、また一滴と跡を付ける。涙に濡れる緑ウラシマの握る拳はわなわなと震えていた。



「…やはり私のことが嫌いなんですね?」



「違う!」



 緑ウラシマは、乙姫の背中を指差す。



「…お前の背のアザは、なんなんだ?ひ、ひでえ…。そのアザ、決してつい最近のものじゃない。これは、長い年月をかけて付けられたような、そんなアザじゃねえか……」



 緑ウラシマは乙姫を背後から抱き締めた。



「辛かったろうな…。俺には信じられねえ地獄のような毎日を乙姫は過ごして来たんだな。…守ってやる。俺がお前を守ってやる」




『世間の常識を知らない私に貴方様はたくさんのことを教えて下さいました。』



「正義?」



「そうだ。悪が栄える世の中はあってはならねえ。お天道様は、俺たち人間に正義を守る義務ってのを課してらっしゃるんだよ」



「正義!」



「そうだ、正義だ!」



「痛いっ……」



「ど、どうした乙姫?」



「ううん、大丈夫。急にちょっと頭痛がしただけ…。心配してくれてありがとう、太郎」



『この頃からです。私の中で少しずつ疑問が沸いて来始めたのは……。』



「これが死んだ爺ちゃん特製の漁師汁だ。ぶつ切りに切った魚を湯を張った鍋に豪快に放って、特製味噌でじっくり仕上げる。ほれ、乙姫ちょっと食ってみろ?余りの旨さに飛ぶぞ」



「太郎、美味い!」



「だろ?どんどん食え」



「太郎の死んだ爺ちゃんは本当に凄い人だったんだね。ねえ、太郎は普段、どんな事を自慢の爺ちゃんと話してたの?」



 菜箸を持つ緑ウラシマの手が止まった。



「……実はな、乙姫。俺は爺ちゃんの記憶はほとんどねえんだ。『死んだ爺ちゃんの特製』は本当は婆ちゃんが俺に教えてくれたことでさ。その婆ちゃんがよく『死んだ爺ちゃん特製』って言うもんだから、俺も調子よく真似して言ってるだけなんだよ…。あはは、格好悪いな、俺。まるで直に教えて貰ったような口振りでよお」



 乙姫は漁師汁をすすった。



「こんなに美味いもの、私は今まで知らなかったよ。うん。きっと婆ちゃんは爺ちゃんを守ってて。太郎も婆ちゃんから、爺ちゃんを守ってる。これもきっと『正義』だよ」



「…乙姫は優しいな。そういや、乙姫の生まれはどこだい?」



『貴方様はふとした疑問を口にしたに過ぎず、決して罪のあることではございません。ただし私はその疑問に何も答える事が出来ませんでした。私には幼少の頃の記憶が全くなかったのです。今思えば喪失してしまっていたのです。気付けば私は、それなりの年頃であり、男たちとともに生活し、男どもを喜ばせる毎日でしかなかったのです。』



 とある昼下がり。

 海の仕事から帰った緑ウラシマは、乙姫に珍しいものを見せた。それは緑ウラシマが漁に出ていたある日、浜辺で偶然見つけたものらしい。緑ウラシマはどこか大切なものであるような気がして、つい持って帰って保管してしまったようだ。

 まるで小さな子供が河原などで綺麗な小石を見つけては、自分のおもちゃ箱にそっと加えるような感覚に近いのかもしれない。


 その珍しいものは、黒い漆が塗られ太めの紐で口を蝶々結びで閉じた箱だった。

 もし僕がその箱を見たら、きっとこう言うだろう。『玉手箱』と。



 緑ウラシマは乙姫と一緒に玉手箱を開けた。




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