19回目のプロポーズ「貸付限度額無限の愛」(決)
ディーラーの女性が僕たちの顔を見てから、ゆっくりとドアを開ける。
VIPルームに現れたのは年老いた少年だった。服装はパジャマ姿で小さなぬいぐるみを抱きかかえて、白髪でひ弱そうな体格をしている。パジャマからはみ出た顔や手足の肌はどこもかしこもしわくちゃなのに、ちょっとした振る舞いは幼稚に見える。完全な老いが訪れているのに、彼自身の精神は幼いまま静止している。
そんなアンバランスさだった。
「やあ、君たちが。伝説の勇者一行なんだね。焔のダンジョンの次の階に行くための通行手形を欲しいんだろ?」
そう言って年老いた少年は、通行手形を僕たちに見せてくれた。
「………面倒な事は嫌いなんだよ。力ずくで奪ってみせなよ」
そう言って、白髪の少年は手に持つぬいぐるみを力一杯に引き裂いた。裂かれたぬいぐるみからは、黒い羽が飛び散り、立ち所に少年の頭上へと降り注ぐ。
瞬間、黒光りの男は大きく膨れ上がった。ぱんぱんにこれでもかと言うくらいに大きく大きく膨れ、黒光りの肌は破け、中からピンと伸びた茶色の獣毛が見え、猪のような化け物が僕たちの目前に現れた。
猪の化け物が雄叫びを上げる。雄叫びを受けた僕たちは、全身がビリビリ反響しているようだった。猪の化け物は死神を目指し猪突猛進。口元に生えた大きな牙が死神の腹部に突き刺さる。
すかさず少女ゼウスは叫んだ。
「ケイ!死神はあくまで水先案内人、戦闘には不向きだ。一旦引いてもらえ!」
ディーラーの女性が無数の水の玉に包まれる。水の玉はお互いを吸収しつつ、その大きさを拡大させ、ディーラーの女性の姿を完全に飲み込む。中から、頭に『皿』のような物を乗せた水の化け物が現れた。
少女ゼウスの指示通り、僕は死神の召喚を解き、ゲオーたちとともにVIPルームを脱出しようと抜け場所を探すが見当たらない。水の化け物は口から液体を垂れ流し続けており、その液体が僕らの足元まで近寄ってくる。液体は、少しずつ熱を帯びて沸騰し、果てはマグマのような様相を呈してきた。
白髪の少年が巨大化する。その巨大化はテーブルや椅子をなぎ倒し、チップはその場に撒き散らされる。止まるところを知らない巨大化は、VIPルームの天井にぶち当たり、天井の壁を圧迫する。徐々に天井の壁に亀裂が入り、大きな裂け目へと変化する。天井が割れ、ガラガラと上の階にあったスロットマシーン、ルーレットなどが僕たちの頭上から降り注ぐ。
頭を抱え身を守っている僕たちを、眩い閃光が包む。
気が付くと、僕たちは荒れ果てた戦場跡のような場所に立っていた。空も見える。曇り空だ。寂しい風も吹く。
足元には骸が転がっていた。その数はとても多い。骸自体からは決して表情を窺い知る事は出来ないが、どこか無念さをその骸一つ一つに宿しているかのように感じた。
煌びやかで華やかだった地下カジノは、いつの間にかぺんぺん草も生えない死者たちの墓場へと変わったのだ。
少女ゼウスが言い放つ。
「これが焔のダンジョン1階に巣食う大罪の正体『強欲』だ」
猪の化け物と水の化け物を率いた、とんでもない大きさの猿の化け物が仁王立ちしていた。猿の化け物が僕らを指さす。その人差指でさえ恐らく僕の身長と同じくらいではないだろうか。
「貴様ら人間が我ら大罪に挑もうなど片腹痛い。人間は強欲に塗れた生き物。救いようがない」
猿の化け物が、巨大な指を地面に突き刺す。信じられないほどの地震が僕たちを襲う。
「脆い!脆い!脆い!それで何が出来る?貴様ら人間はそんな程度だ。考えることと言えば、カネ、カネ、カネ!!カネの事しか頭にない。実にくだらん。人間は期待に答えん。期待を裏切る。それで何故貴様は人間側に付く?何故だ?!」
少女ゼウスに言っているのだろうか?彼女は黙っていた。
再び、巨大地震が僕たちを襲う。地震が起きるたびに僕は死を覚悟する。それ程の天変地異だ。
「人間の強欲には際限がない………。神の愛もそろそろ貸付限度額ギリギリいっぱいだろう?…」
少し、ほんの少しだ。どこかしら少女ゼウスに迷いのようなものが見て取れたと思った瞬間だ。
エーゲ王が割って入った。
「違います!神の愛は、……無限です!限度額無限です!」
猿の化け物はカネに掛けて、『限度額』という言葉をあえて使って洒落込んだのだろうが、それに対して限度額無限と答えたゲオーはある意味強欲甚だしかった。まさに人間的な強欲さそのものだろう。文脈を読めないゲオーの性格が見て取れたが、僕はこの後の少女ゼウスの言葉に限度額無限の愛は悪くないなと思った。
「ふむ。愛は常に尽くされてこそ愛か………」
僕は奇怪を取り出す。きっとこの後、少女ゼウスからここに召還すべき正解を伝えられる気がしたからだ。
「ケイ!召還だ!大日如来を呼べ!」
僕は少女ゼウスに頷く。奇怪を口元に寄せて目いっぱい叫ぶ。
「召還!大日如来!!」
暫くして、僕の奇怪から早口で呟く声が聞こえて来た。
「………仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経………」
僕たちの頭上の雲は割れ、超絶巨大な大日如来の仏々しい姿が現れた。その超巨大さは猿の化け物の比ではない。まるで空に浮かぶ雲が大日如来の飾りであるかのような巨大さである。
大日如来が自身の掌をこちらに向けて放つ。あまりに距離があるせいだろうか目視では少しゆっくりな感じがするが、実際は凄まじいスピードなのだろう。空から地鳴りに似た音が聞こえて来る。僅かな音かと思ったら決してそんなことはない。耳を塞がなくては鼓膜が張り裂けそうな音であった。
………猿の化け物、猪の化け物、水の化け物は驚きただただ立ちすくむ。
『如来神掌!!!!!!』




