由紀さん
帰りの馬車に乗り込んだことは覚えている。そこで寝てしまったのかな、朝になると目がくっついたようでまぶたが重い。目をこすってなんとかまわりをみようとするけど、アレクが邪魔でよくわからない。
寝台の上でまるっと抱えこまれている。叩いてやろうと思ったけど、意外と寝顔がかわいらしくてしばらく眺めてしまった。
ふわふわの金髪と長いまつ毛が、目を閉じた人形のよう。白いほほとピンク色のやわらかそうな口元、きれいなあごの形、少し笑っていておだやかな顔をしている、起きて話し始めたら台無しだけど。形のいい耳に髪をかけると、耳から首の白いラインが鎖骨までつながってみえてきれい。
ぱちっと音がするくらい、はっきり目が開いた。光を反射してキラキラの緑の丸い宝石。
「じっとして動かないで、話さないで、口を開けないでそのまま」
あー、眉間にしわが寄って嫌味な顔になる。
「もう台無しだわ、鑑賞価値がなくなる」
本当に残念、もう少し見ていたかった。
「自分の顔が腫れてるのに、よく人のことが言えるね」
「ほんと、黙って、もう一回寝てよ」
「バカなこと言ってないで起きて。昨日のままだから、はやく顔を洗って着替えたほうがいい。動くのが嫌なら手伝うよ」
その嫌味な顔はやめてね、アレクはわかっちゃいないな。
その日は一人になると、由紀さんという人のことをずっと考えていた。魔法大国のN国在住で、ケントくんのお母さんだから40才くらいかな、20年前にはもうこの世界にいた日本人で夫はN国人だろう。あの王子様のようなケントくんのお母さんなら、美人でしっかりしていて。
わたしのように帰れなくて泣いたり、不安定でアレクとけんかしたり、わがまま言ったりしなかったのだろうか。結婚を後悔したり、何もかもが嫌になったり、夫を憎んだり愛したり…でもケントくんが愛されていなかったとは思えない。
わたしはアレクが憎かったり、わけもなく愛しかったりする。なぜアレクと一緒にいるのだろう、もっと他の人ならこんなに悩まないのに。
それでもファンジュール伯爵家は恵まれている。由紀さんは幸せなんだろうか。
(どうしたの?母さんを呼んだ?)
(ケントくん?)
(そうだよ、困ったことがあるの?)
(由紀さんは今、幸せに暮らしているのかな?)
(幸せだと思うけど、会ってみる?)
(会いたい)
(わかった、明日迎えに行くよ)
その会話は夢のようだったから、信じていなかった。
翌朝起きるといつも通り、きれいなドレスを着てお姫様のようになった。朝食をとりながら、今日は家にいるアレクとからかい合っていた。
すると突然の来客で、誰?とアレクがきいている。
「ケント様とおっしゃる方が、奥様と約束されているとのことです」
「あ、わかりました」
と席を立って出掛けようとすると、腕をつかまれた。怒ってる?
「少し話をしてくるだけよ、すぐ戻るから」
「行くな!」
「なぜ?」
どんなに心配してくれていても、わたしはアレクが憎い。そしてこのまま好きになれたらいいのに、と思う。だからケントくんと話すために、アレクの手を振り払うことにためらいはない。
一階の応接室でアレクは怒りながら何も言わない。
「今日中には戻りますから」
とケントくんがいうと、ふっと視界が暗転した。
目がなれると、その部屋は日本のホテルのスイートルームみたいで、近代的な設備が整っていた。中世から現代へ来たみたい。
「ここはN国の私たちの家です」
とケントくんがいう。これが魔法大国のN国なんだ?テーブルのむこうのソファには、小柄な女性が座っていた。
「初めまして、ケントの母親の由紀です」
ケントくんとそっくりなきれいな人、由紀さんがいた。
「初めまして、早川美里です」
こんな中世風のリボンがたくさん付いたドレス姿ですけど。場違いでコスプレみたいになっている。
N国の男性は派手めのスーツで、女性は高級そうなワンピースが普通みたいで現代的。
大国①は遅れている、何もかも。はっきりわかるのは日本人だからかな、かなり違う。
「N国って日本に近いですね」
興味があってきょろきょろしていると、由紀さんが笑った。
「ミサトさんの衣装はすてきね、とても愛されているでしょう、それはすごく高価で手がかかっているのよ」
きょとんとしていると、N国にもドレスがあり、貴族がいて中世のような生活をしている人たちがいる、と教えてくれた。
「宝石もこのドレス用なのね、とてもいい品だし、高価な魔道具がついているわ」
普段着でメイドさんが用意してくれるのだけど、そうだ、みんなアレクが買ってくれたものだ。
アレクシスが無理やりわたしを召喚したこと、不自由ない生活をしていること、いろんなことを話してみた。
「それであなたは何がしたいのかしら?」
由紀さんは、火山の噴火で亡くなったときに転移して、夫に保護されたからとても感謝しているそうだ。
「私は魔法を使って農業をしているのよ、あなたはどうしたい?この世界は自由で広いわ、なんでもあるし、驚くことばかりよ、魔法ってすごいわよ。狭い視野でこもっていないで、日本人としての知識もあるから、なんでもできるのよ」
わたしがここで生きる意味?
「夫を憎んでいるだけでも一生を過ごせるけど、他のこともできるのよ。ミサトさんにも特別な力があるはずだし、この世界があなたを必要としているから、ここにいるのだと思うわよ」
まるで希望の光が射した瞬間だった。この世界がわたしの力を必要としているからなんだ?




