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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

目力ゼリー 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 う〜ん、ここのところ、また視力が落ち始めたような気がするわ。どうも液晶画面とにらめっこする時間が長すぎて、目が疲れている感じというか……眼球の奥がずんと痛むのよねえ。イテテ……。

 視力回復トレーニングとかも試してみたけど、ダイエットと同じように、意志が薄弱だとなかなか続けられないわ。つい、目先の誘惑に負けて、ノルマを破ってしまう。一度休んじゃうと、それから後もズルズル怠けたくなっちゃって、最終的には元のもくあみ。

 結果として、以前と変わらない状態に落ち着くのなら、改善のために使った時間って、どんな意味があるのかしら? 健康が大事っていうのは、それを保つことで、治療とかに余計な時間を割く羽目にならないよう、心掛けなさいという教えに聞こえるのよね。

 視力。大切にしたい五感のひとつ。私がそれを落とすきっかけになったかもしれない出来事が、昔にあったの。

 あなた、この手の話が好きだったでしょ? 興味あったりしない?


 まだ小学生くらいの時。私は目がいいことが自慢だったわ。

 学校の視力検査は1.0どまりだったけど、その下に並ぶ2.0までの記号を簡単に見ることができたわ。

 実際、自分はどれほどの視力を持っているのか。測ってみたい気持ちもあったけど、なかなか機会に恵まれず、生活に支障をきたすようなものでもなかったから、なあなあになってしまったわ。

 だけど、家の近所に住んでいたおばさんは、私を上回る目の良さを持っていたの。たとえば、数百メートルは離れている工場の倉庫。そこで何枚にも区切られている小さなガラスのひとつに空いた、コンパスの針の先ほどの傷をも、見つけることができるくらい。

 私が住んでいた場所は、お世辞にも都会とは呼べない片田舎。そこを流れる幾本もの川のうち、特に太い一本のほとりに、おばさんは家を構えていたの。

 私はかなりの頻度でおばさんの下へ遊びに出かけて、春と秋は花と虫の知識、夏は泳ぎ方、冬は昔話を聞かせてもらった覚えがあるわね。

 

 通い続けていた理由は、それだけじゃない。私はおばさんが用意してくれる、自家製のゼリーを食べることが好きだったの。

 色は透明で、その胴体越しに向こうの景色が見えてしまうくらい澄んでいる。よく見ると種のような黒い粒々が浮かんでいることもあったから、どちらかというと植物性の寒天の方なのかなとも思ったわ。

 おばさん曰く、このゼリーには、目に優しいものが入っているとのこと。おばさんが良好な視力を保ち続けているのは、そのためだとも話してくれたの。


「知ってた? ゼラチンって美容関係で注目されるコラーゲンと、もともとは同じ物質なのよ。それを身体へ取り入れることによって、身体のあちらこちらの機能や状態を、良いものでキープすることができるのよ。

 栄養が偏ってしまうのは問題だけど、不足し過ぎもまた良くないことなの」


 そう言いながらおばさんは、家の近くに差した竿の上に止まる、とんぼの目の前でゆっくり指を回していたわ。こうすることで、とんぼが目を回すと言われているけれども、実際には少し仕組みが違うみたい。

 自然界に置いて、真っすぐに速く動く者は、狩猟者と同じ性質として警戒される。けれど、ゆったりと揺れ動くものは意図が読めず、興味がそそられてしまうのだとか。そうして他への注意力がおろそかになり、捕まえやすくなるのだと、おばさんは話していたわ。

「おばさんは、本当に色々なことを知っているなあ」と感心する私だったけど、ある年の夏場に、その印象が一変する出来事があったの。


 その年も、夏休みがやって来るや、私はおばさんの家に向かったわ。先にも触れたように、途中で大きな川にかかる橋を渡らなくちゃいけないのだけど、その最中に私はふと、川の中州で倒れている人と、その近くに座り込んでいる人の姿を見ることになったの。

「水難事故?」と、私は怖いもの見たさで、現場の真上までやってくると、下をのぞき込んだのよ。

 倒れているのは男の人。極力肌を見せない、黒いフルボディの水着に身を包んでいて、あおむけに寝転がっているようだった。

 でも、その顔はうかがい知れない。近くに座っているもう一人が、男の人の顔に、真上からかぶさるようにして、のぞき込んでいたから。こちらは白い長袖シャツに青いジーンズで、水の中へ入るような格好じゃなかったわ。

 背中の中ほどまでかかる長い黒髪が見えて、私は女の人だと思ったわ。左手を中州の砂利の上につき、右腕を彼の顔の上にかざしているように見えた。

 息をしているのか、確かめているんじゃないか、と思ったわ。

 じきに、女の人は立ち上がると、そのまま踵を返して、中州と岸をつなぐ飛び石を軽やかに渡り、去って行ってしまったの。

 彼の連れ合いではなかったのかしら? 男の人を中州に残したままで介抱せず、橋から見下ろす私のことにも気が付いていないようだった。

 

 その背中をしばらく目で追った後、私は改めて中州を見下ろして、一気に鳥肌が立ったわ。

 あおむけに寝ころんでいたのは、あごにうっすらとひげを生やした青年だったの。でも、その両目はかっと見開かれていて、私は図らずも、彼とにらめっこをする形になっていたわ。

 彼は声を出さない。起き上がる仕草も、こちらへ手を伸ばすこともしない。ただじっと、真上を見つめた姿勢のまま固まっていたの。

 

 ――死んでいる?

 

 そう考えると、私の背中に、たちまち震えが走る。

 通報するなど考える余裕はなかった、私は中州から遠ざかるように、一目散におばさんの家へ逃げ込んだのよ。

 

 数回インターホンを鳴らしても、おばさんは家から出てくる様子はない。でも、玄関の引き戸に、鍵はかかっていなかった。

 そっと戸を開ける。奥からはシャワーの音がして、身体を洗っているような気配もした。

 おばさんは一人暮らし。来客に対応できないのも無理はなかった。私が声を張り上げておばさんを呼ぶと、返事があって水音が止まる。

 いつも通される居間のソファへ勝手に腰かける私。頭の中には、私を見上げるあの中州の青年の顔が、どうしても浮かび上がってしまう。

 パトカーのサイレンなどは、まだ聞こえていない。事件と決まったわけじゃないけど、まだ誰も気が付いていないのか。それとも大事はなく、彼はあの後で起き上がり、家へ帰り着いたのか……。

 

 できれば後者であってほしいと思う私は、のどが渇いてきているのを感じる。橋の中ほどからここまで走ってきたから、だいぶ汗をかいていた。


「冷蔵庫の中に梅ジュースを作ってあるから、飲んでいいわよ。オレンジ色のふたのやつだから」


 おばさんの声が聞こえる。この家の勝手は、すでにある程度把握している私は、お言葉に甘えたわ。台所へ行き、食器棚からコップを取り出し、冷蔵庫を開ける。

 以前、麦茶を作った時と同じ、オレンジ色のふたを持つガラス瓶の中に、薄い黄土色をした液体が。コップに注ぐと、かぐわしい梅の匂いが辺りに広がった。

 私はぐいっとそれをあおるや、のどの渇きに押されるまま、三杯立て続けに、コップに注いでは口へと運んだわ。あの青年の不気味さを振り払いたいのもあったかもしれない。

 瓶の半分ほどを一人で飲んでしまって、いささか水っ腹。なんとなく眠くもなってきて、私は居間に戻ると、ソファへ寄りかかるように腰を下ろしたわ。

 水音が止んだけど、おばさんはまだ姿を見せない……。

 

 はっと気が付いた時、私はソファではなく、その足元のじゅうたんの上に横たわっていたわ。すでに家の中が暗闇に染みる時間帯だというのに、明かりがついていない。

 でも、私が驚いたのは、そればかりじゃなかった。私はまぶたを開いた覚えがなく、いきなりこれらの風景が、視界に飛び込んできたの。

 

 ――目を開けたまま、眠っていたの?

 

 また、あの河原の青年のことが思い出される。彼はもしかして死んでいたのではなく、目を開いたまま意識を失っていたのだとしたら……。

 

 あおむけに寝転がる私の眼前には、うずくまる人影があったわ。私の顔をのぞき込むような姿勢で、指を突き出している。暗くて、相手の顔も服装も分からない。

 私が意識して、大きく瞬きをすると、影は大きく身じろぎしたわ。立ち上がって、慌ただしく居間から飛び出していった。

 私は追おうとしたけど、ずきんと目の奥に痛みが走って、うずくまっちゃったわ。

 目薬が染みた時と似ていて、目を開けていられない。声を出したかったけど、あの逃げ出した不審者に聞こえたら、何をされるか分からなかった。私はひたすら、痛みが収まるのを待ち続けたわ。

 

 どれくらい時間が経ったかしら。ふいに、ぱっと居間に明かりがついて、「大丈夫?」とおばさんが近づいてくる気配がしたわ。

 痛みも収まってきている。私は目から手を離し、おばさんに先ほどのことを話そうとして、声を喉に詰まらせちゃったの。

 白い長袖シャツに、青いジーンズ。あの中州で男の人をのぞき込んでいた誰かと同じ格好を、おばさんがしていたものだから。

 おばさんは言葉の出ない私へ首を傾げながら、ソファ前のテーブルを指さす。


「あなたの好きなコラーゲンたっぷりのゼリー、用意しておいたわよ。帰る前に召し上がれ。なんなら、送っていこうか?」


 テーブルの上、大皿に盛られて一定の大きさに切られたゼリーたちは、相変わらず透き通った色をしていたけど、今日はその中へ、ほんのわずかに赤みが差しているように思えたわ。


 私はゼリーも送りも断って、足早に自宅へ帰る。それからは親の用事とかでどうしても向かわなきゃいけない時以外じゃ、おばさんの家へ行くことはなくなってしまったわ。

 おばさんがゼリーに入っていると、盛んに喧伝していたコラーゲン。それが目の角膜の、表面を成していると私が知ったのは、少し後のこと。

 あの青年も、私自身も、おばさんにゼリーの材料を提供していたかもしれないわね。


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                  近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[良い点] ヒェッ! 展開が読めても……なお怖かったです! タイトルにもデデンッと書かれてあるので、最初にゼリーが出てきた時点でそれがすでにどういった代物か、おばさんの怪しさについても、おおよその予…
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