勝利者
カンカンカン・・・。
冷たい鉄製の階段を駆け上がる少女の足音が鉄塔内に木霊する。
彼女が腕のモニターを見ると、階段を上がる前から十分が経過していた。
爆破のタイムリミットまであと三十分。時間が無い。
なんとしてでも爆発をならないと、彼女の気持ちは焦燥に駆られるが、同時に心は静かに落ち着いていた。時間が経つにつれて彼女の感覚は研ぎ澄まされて鋭くなる。
首都直轄中央電波塔、通称『ランス・タワー』。その名のとおり、槍のように鋭利な容貌を持つ鉄塔であり、首都のほぼ全域の電力を担っている政府の重要拠点の一つである。
寒風吹きすさぶ二月の首都。野外は雪こそ降っていないものの、気温は氷点下だった。
今追いかけているターゲットと初めて出会ったのも、こんな寒い夜だったなと、彼女はふと思い出す。
十年前
「私の元に来ないか?」
孤児院を飛び出し帰る場所も無く、路肩で蹲っていた彼女に、ある女が声をかけてきた。
彼女がその言葉の意図する所を咄嗟には理解できず、目の前に立つその女をぼんやりと見上げていると、
「新しい世界を見せてやる」
女は再度口を開き、凍える私に手を伸ばした。
未だ彼女は女の真意を量りかねていたが、女の言う『新しい世界』というものに強烈な引力を感じて、自らに差し出された手を握った。女性にしてはごつごつした、硬い手だった。
移民系だった彼女の家族を村の人は嫌っており、暴力こそ受けなかったが、歓迎されていないことは幼い彼女にも伝わっていた。
村人との距離感が精神的に堪えたのか、彼女の両親は相次いで急死してしまった。
孤児となった彼女を受け入れることになった孤児院の職員もいい顔はしなかった。
周囲の人に嫌われ、疎外されて育った私はいつしか人のぬくもりを忘れてしまっていた。
だからこそ、今彼女に差し出された手は、凍った彼女の心を溶かすのに充分な熱量を持っていた。
この人になら全てを委ねられる、この人の作る新世界を同じ場所から見てみたいと、彼女は本気でそう思った。
しかし、女の思い描く世界は彼女のそれとはかけ離れた、戦乱と殺戮、死肉と弾痕が無際限に増え続けるものだった。
その女の支配する組織から逃げ出すことは叶わず、彼女は彼らと共に行動し、任務を遂行するにつれ、再びぬくもりを忘れていった。
だが、殺戮人形のような生活にも終わりが訪れた。
この組織の長年の悪事に業を煮やした政府が送り込んできた軍隊との全面戦争で、組織の本拠地は爆破され、保護された彼女以外の仲間は皆殺された。
そう、それで全てが終わったはずだった。
刹那、自らの過去に思いを馳せていた彼女の頬を、一発の弾丸が掠めた。
素早く鉄柱の影に身を隠し、周囲の状況を確認する。
彼女のいる螺旋階段と接している展望スペースの奥に人影が二つ。見たところ武装は二人とも拳銃のようだった。
勢いよく地面を蹴り、体勢を低くして間合いを一気につめる。
相手もすかさず反応するが、
「遅い」
呟くと、彼女は片方の男の手を捻り、思い切り背中に回した。
ボクッという鈍い音を経てて脱臼した男の手から拳銃が滑り落ちる。そのまま男の体を盾にする。
狙い通り、もう一人が放った銃弾が盾にした男に当たる。かなりの至近距離なので即死だろう。
死んだ男を突き飛ばし、怯んだ相方との間合いを詰める。腹に膝蹴りを食らわし、低い位置に下がってきた顎めがけて回し蹴り。
見事に命中し、二人目の男がその場に崩れる。
新手が来ないことを確認して、再び階段を上り始める。
屋上に近付くにつれて、彼女はある種大きな引力のようなものを感じていた。気を抜けばそのまま吸い込まれてしまいそうな。
五分が経過した後、今まで続いていた階段が途切れ、鉄製の扉が現れた。
彼女は扉の前に立ち、目を閉じて深呼吸をする。
次第に雑念が取り除かれ、彼女は自分の周りが無になるのを感じる。彼女の全ての感覚が体の中の一点に集まる。身体中の細胞が互いに結合し合い、まるで単細胞生物になるみたいだ。
極度に緊張したり、危機的状況に立たされたときに発生するこの感覚。世界が収縮され、目標物以外は彼女の視界に入らなくなる。そして彼女はその目標物を逃しはしない。
「あなたをここで終わらせてあげる」
扉の向こうにいるであろう人物に、あるいは過去を今まで引きずっている自分に言い聞かせるように呟いた彼女の声が、鉄に囲まれた空間に響いた。
最後に大きく息を吐いて、彼女は手に持った相棒を握りなおした。
この手、この銃、この弾丸それぞれに、平穏を望む多くの仲間の思いを込めて、彼女は今、ドアノブを回した。