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裏野ハイツで猫が啼く

【啼く】次々と声を出して続けてなく。


 カリカリカリカリ……


 音がする。台所からである。

 それは、あの黒い生物が、乾かす為に立てておいた刺身のトレーをかじる音だ、知っている。もう既に聞き慣れてしまっていた。

 赤井諭あかいさとしは布団から起き上がらない。目を閉じたままである。

(むにゃぁ……)

 まだ夢の中であった。遠くで廃品回収の軽トラックが近所を巡回している。「ご不要になりました、古新聞、古雑誌、パソコン、サーフボード、セイバー、列車、食虫植物、何でも、お引き取り致します……」本当に何でも受け入れてくれるのかどうかは主人の腕の見せ所でもあった。

 さておき、先月に入居をしたばかりの20代男、諭は、朝になっても目覚めないままで、時計は8時を過ぎていた。もしこれが年寄りなら、8時からNHK朝の連続テレビ小説「こっこちゃん」を観るかもしれないが、生憎あいにく、主演の北野大路匡世きたのおおじまさよが鳥の調教師になる話など、興味が無かった。存在すら知らないでいた。

(ん……)

 窓からは光が差し込んでいる。東向きで木造2階建て築30年、1LDK、家賃が4万9千円、敷金無しで駅からは徒歩7分といった所で、『裏野ハイツ』と紹介され、即行で借りたのだった。何せ、家賃の安さと立地条件が気に入った、と手をポンと叩いたのである。

『裏野ハイツ』は徒歩10分以内で行ける所にコンビニ、郵便局やコインランドリー、バス停もあり、利用すれば大型の百貨店もあるという、住むにはなかなかこのように便利で使い勝手がいい場所はない、好適所であろう。その2階、【203】号室に、諭は実家から家電は扇風機だけを持って引っ越してきたのである。

 仕事は先月から、電気工事のアルバイトである。彼の就職難には触れないでおこう。話せば長い。

 ここに来て数日になるが――。

 のらくらとテレビを観たりスマホをいじっていたら、あっと言う間に日は沈み、祝日という休日は滞りなく終わりになってしまうようだ。

 風呂に入っていた諭は、妙な音がしたのに気がついた。

 暫く耳を澄ましていると、まるで赤ん坊のような呻き声である。

「隣の部屋か……?」

 やがて聞こえなくなる。

 無論、諭の部屋からのはずがない。諭は独身で、他に誰も部屋にはいない。だとしたら、隣近所か、あるいは階下、屋根からかもしれなかった。

「でも隣には誰も住んでないと思ってたんだけどなー。気のせいか?」

 隣は、【202】号室である。言い忘れていたが、このハイツは全住人、表札を出していないのである。諭もそうだが、挨拶回りも不要、との事。借りる時に管理人から言われていた。よって、全6室だが誰がどんな境遇で住んでいるのかは新入りの諭には全くもって不明である。

 短いがこれまでの入居期間、隣の部屋に人が出入りしたのを見た事がない。

 気味の悪さをこらえて、風呂から出ると、つけておいたテレビから笑い声が聞こえた。入居して初めて買ったのが小型の冷蔵庫とテレビ、それから座卓テーブル。座布団は無し。親からの仕送りはわずかながら。

 家事が一向に苦手であった諭の台所は、酸っぱいニオイが発生している。レモンを買い溜めて放置しているわけでもなく冷や汗ものの自然現象である。蟻も出る。

 テレビをつけたままであった事に納得すると、敷きっぱなしの布団の上に寝転がる。布団は管理人から頂いた物である。

「何だ、テレビだったのか」

 口に出す事で安心したのか、一日暇でゆっくりと過ごしていたはずなのに、即座に寝てしまった。

 ×ぎゃー、×ぎゃー、×ぎゃぁ……

 初聞では自分の勘違いで済ませたが、次の日も次の日も、夜にそれは続く……。


 謎の声がテレビの音では無かったと判断ができてから数日。仕事は順調だが疲労が多く、些細な事でも多少は敏感になってくる、或る日、朝の出掛けに外に出ると、黒のゴミ袋を持って階段を降りようとしていたお婆さんに出くわした。

 背後に立つと振り返ってにこやかに挨拶をしてくれた。「おはようございます」

「あ、どうも」

 慌てて笑いながら返した。今まで会った事が無かったが、同じ階に住む【201】号室の住人であった。

 年は70代、ひとり住まいの様だ、落ち着いた年金生活をしているのであろう。気さくに話しかけてくる感じのいいお婆さんであった。

「若いのに大変ねえ。お困りの事があったら何でも聞いてね。もうここ20年位は住んでますから」

「はあ、どうも……」

 聞いてばかりであったが、時間を思い出して去ろうとした。だが、最後にひとつだけ、聞いてみる事にした。赤ん坊みたいな謎の声の事を。「気のせいかと思ってたんですが……」この老人に分かるだろうか。

「ああ、それならきっと猫の声ですよ」「猫?」

 意外な答えに諭は驚いた。

「ご存じない? 猫って赤ちゃんみたいに鳴くの」

 動物を飼った事が無い諭は、「へえー」と感心して頷いた。

 成る程、そうだったのか。

 きっと何処かに猫が居たんだな。盛り、とか? 一匹でも無かったかもしれないな……。

 都合よく解釈し納得した様で、その晩は声がしても気にならなくなった、安眠した。

 明日後であるが、たまたまハイツの前で管理人に会ったので、その事を苦笑いしながら話したそうである。

 諭が話し終えて立ち去ると、管理人は何故か疑わしそうな顔をしている。

「猫なんて見かけないけどな、この辺りじゃ……」

 ペットは基本的にお断りしている裏野ハイツである。だとしたら、他人の家から侵入してきたか、徘徊している事になる。ハイツ以外でペットを飼おうがそれは自由に構わないが、もしハイツ内の部屋の中に潜り込んでいるとしたら……。

 管理人という立場である以上、諭の部屋の隣の【202】号室が気になった。ここは――。

「調べておくか」

 鍵を持って、【202】号室へと向かった。



 いるよ……



 管理人は、心臓を押さえて、亡くなったという。


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