生者必滅
落ちていた。ずっとずっと、私はどこかへと落ち続けていた。それが暫く経っても終わらないものだから、仕舞いにはどっちが上でどっちが下なのか分からなくなってしまっていた。こんな時は、口の中に唾液を貯めてみるといいとどこかで聞いたから、私は少しだけ唾を貯めてみた。
すると、唾は私の口の中の上をいき、不思議だなあと思いつつゆったりしていると、このままでは頭から落ちてしまうということにようやく気付き、慌てて体制を整えようとする。が、空中にいた経験など人生で1度だってないものだから、どうにか頭を上へやろうとしても中々に出来ない。
死にたくない!なんてたって、私は華の17歳。まだまだ人生これからだし、やり残したことも、これからやりたいことも、私が100人いたって足りないくらいにある。
ひっくり返ってしまったカブトムシのように、バタバタと手足を動かす。命だけは、命だけはお助けくだされ。なんてそんなことを思いつつも、死にたくないとなんとかもがいていると、急に落ちていく感覚がなくなっていることに私は気付く。恐る恐る足を伸ばしてみると、靴の上からでも土の感触がよく分かる。手を伸ばしてみると、今度は直に地面の感触が皮膚に触れる。私、私は、生きているのだろうか。1度立ち上がり、辺りを見回してみるも、真っ暗で何も見ることは出来ない。もしかして此処は死後の世界ではなかろうか。ヒヤッと嫌な汗が噴き出してきて、思わず私はヘナヘナとその場に座り込む。夢だ。絶対にここは夢の世界だ。死んだなんて、そんな、そんな、私はまだまだ生きたりないのに。
そうだ、頬をつねってみよう。ここが夢や死後の世界ならば、痛くは無いはず。多分だけど。利き手である右の手で、グイっとやってしまおう。
「えいっ!」
タピオカ粉を使ったパンのようにモチモチの私の頬は、利き手で思い切りつねられたせいでギリリと痛み、私は思わず「痛い!やった!」と大きな声で叫んでしまった。端から見れば、痛みに快感を覚えている変人である。
ここが夢の国や死後の世界でないのなら、一体ここはドコなのだろう。周りは暗闇だらけで、何もありゃしない。散策をしてみようにも、こんなに真っ暗じゃ危険しかないようにも思える。そもそも、私は暗いところが苦手なのだ。お化けが出てきそうで、とても怖い。恐怖しか感じない。さっきまでは、もしかしたら自分は死んでしまったのかもしれないという疑問が頭を支配していたから無事だったのだ。私が死んでいないことが分かると、頭の中が落ち着いてきて、周りの物事が良く見えるようになってしまった。そうなってしまうと、もう暗闇が怖い。ホラーゲームの主人公じゃないんだから、こんなところで動くなんてとてもじゃないけど真似出来ない。
怖い怖いとその場にうずくまっていると、ポテンと、頭に何かが当たる。何かと思い上を見上げるも、そこには、私が落ちてきた穴すらも真っ暗で見ることが出来なかった。あまりの暗さに涙が滲んできてしまう。お家に帰りたい。帰って録画したドラマを見たいし、明日の英語は宿題を提出しなければならないから、それも終わらせたい。そして何よりも、ベッドでゴロゴロしたい。
「おや、お嬢さん。涙を浮かべてどうかしましたか?」
急に聞こえてきたその声の主を探そうと、周りを見回してみても、誰もいない。これはお化けだ。多分お化けだ。お化けには返事をしちゃいけないというルールがあるのを、私は知っている。でも、そんなことよりも何よりも、私の身は恐怖に包まれていた。
「こちらですよ、お嬢さん。」
恐怖に身体を支配されつつも、なんとか私は前を、後ろ見る。右を、左を見る。だけど、そこにはやはり誰もいない。
「上でも右でも左でも後ろでも前でもなく、下です。足元ですよ、お嬢さん。」
その声の言うとおり、少しずつ、少しずつ足元を見てみると、そこにはスーツ姿のハムスターが立っていた。ご丁寧にシルクハットまで被ってあるその姿は、不思議の国のアリスに登場する白ウサギにもどこか似ている。
「お嬢さん、ここにくるのは始めてなんですか?でも大丈夫。すぐに迎えが来ますから。だからほら、涙をどうか収めてくれませんか。」
ハムスターはそう言うと、懐から1枚のハンカチを取り出して私に渡す。渡されたハンカチは、ハムスターサイズで、とてもじゃないけれど、人間である私にピッタリのサイズとは思えない。とはいえ、せっかくの紳士なハムスターからのご厚意を無下にすることも、私には難しい。
「ここは貴方の世界。そして私の世界。見知らぬ誰かの世界でもある。貴方が望めば、道は開かれますよ。」
ハムスターはそう言うと「では、私は用事がありますので。」と、どこかへ去ってしまった。1人残された私は、自分が再び暗闇の中に取り残されたことに気がつき、またもや涙が滲んでくる。その涙を袖でグイっと拭いて「明りが欲しい。」そうポツリと呟くと、先程ハムスターから貰ったハンカチがグニャグニャと姿形を変えて、そこにあるのはランタンだった。中のロウソクがよく燃えていて、周囲が黒一色ではなくなっていく。それでも遠くの方は暗闇が広がっていたが、自分の周りが明るいというだけで、最初とは比べ物にならないくらいの安心感が歩み寄ってきているのだった。