その二、ハイカラ家のもじゃすけ
よもぎ村は山間にあるため、余所からやってくる人間などほとんどいない。一年中のんびりと静かである。
そのため、現代日本に隠れ住む小人達の中でも、もへ次は特別声が大きく元気な若者であった。
「ハイヨー! ハイヨー!」
顔なじみの猫を見つけ、ぴょーんと背中に飛び乗って叫ぶ。
「よぉーし、ねねこ、このまま『ハイカラ家』まで突っ走るんじゃあ!」
猫にとってはいい迷惑である。うるさそうな顔をして身体をどすりと地につけると、もへ次のいた辺りをごしごしと地にこすりつけた。
「うおっ、何をするっ! ぷちっと潰されてしまうじゃろ!」
ぱっ、と避けつつ文句を言っても、ねねこは知らん顔で大あくびをするばかり。
「そうか、そんならお前の飯をカラスのカジロウに分けてやる」
ぷい、と猫はそっぽを向くと、そのままひなたぼっこを始めたため、もへ次はじゃれるのを終いにして、ぴょんぴょんと『ハイカラ家』まで飛び跳ねていった。
『ハイカラ家』はもとよりその名があるわけでなく、への字ともへ次がそう呼んでいるごく普通の一軒家だ。
いや、普通なのは表札だけで、見た目はいっぷう変わっている。まず窓ガラスが丸い。壁も丸く円柱型で、屋根の色に至っては一色ではなく細かな色に塗り分けられている。そして村のどの家よりもちんまりとしていて、人間が三人も入ればいっぱいになりそうだった。
二年ほど前に建てられたこの家には、一人の男が住んでいる。彼は引っ越しのあいさつにも行かず自宅に篭りきりなため、よもぎ村の誰もがこの家には近寄らない。
もへ次はハイカラ家に着くと丸窓から中をのぞいた。じゃばら式の目隠しが下がってはいるが、一番下まで下がりきっていないため中の様子がよく分かる。
「しめしめ、もじゃすけのやつ、まだぐっすりと寝とるわい」
ほくそ笑み、もへ次はツタをよじ登ると風呂場の換気口の隙間から潜り込んだ。
小さな風呂場の入り口は、いつも開けっぱなしにされている。おそらく換気を良くするためなのだろう。ここが、もへ次がハイカラ家に訪れる際の玄関口である。
足音を立てぬよう気をつけながら、もへ次は家の中へと入った。ぐおおお、という大いびきが小さな部屋に響いている。
ハイカラ家は見た目こそハイカラなものの、中は散々散らかっている。何かが描かれた大きな紙や写真が辺り一面に散乱し、脱ぎ捨てられた服は洗濯機に入れられることなく落ちている。台所らしき場所にはどっさりと洗っていない食器やフライパンが積み上げられ、よくぞ崩れ落ちないものだと感心してしまう。
もへ次がもじゃすけと呼ぶ男は、長いソファの上で大の字になって寝ていた。このソファの金具をぱちんぱちんと動かすと平たい寝床になるのだと、もへ字は一度見て知っている。いびきの大きさからして、よほど疲れていたのだろう、寝床へと変える気力もなかったらしい。
(こりゃあ、当分起きそうにもないわい)
ほくほくともへ次は男の作業机へと向かう。椅子の足をよじ登り、背もたれ部からえいやっと机に向かって飛び移る。そうして大きく四角い機械の後ろへと回ると、筆立てのふもとへと到着した。
(うーむ……あの中にカッターが混じってはいるんじゃが……)
大きく分厚いカッターがペンやハサミに混じって立っているのが見える。だが、もへ次の大きさではまずカッターを抜き取ることすら困難であり、抜いたところで刃を取り出すのも一苦労するのに違いない。
もへ次はしばらく腕を組んで考えていたが、やがて思い出したようにぴょん、と高く飛び上がった。さっそく背負い袋から巻いたたこ糸を取り出すと、自身の腹周りにぐるりと巻き、機械に繋がっているコードに反対側を結びつけた。そうして命綱をつけると、するすると糸を下げながら机の右下にある二番目の引き出しに入っていった。
もじゃすけはがさつな男である。引き出しも最後まで閉じていないため、少しだけ隙間が空いている。もへ次はそこに潜り込むと、暗闇の中を探索した。
(たしか以前……おお、あったぞ!)
小さなフタ無しの紙箱に入っているのは、刃先の折れたカッターの替え刃だ。折れた、とはいってもその刃は普通のカッターとは違い、鋭く薄いつくりである。その、ほんのわずかな刃先がくちり、と欠けただけでもじゃすけはすぐに刃を変える。あまりにひんぱんに変えるため、捨てた刃先はいったんこの中に溜めているのだ。
包丁に使うには少しばかり薄いが、切れ味は素晴らしい一品である。
もへ次は風呂敷を取り出すとその薄い刃を三枚重ねてくるんだ。
たこ糸をよじ登り、命綱をまき取ると、再び気を付けて机を下りる。
ふぅ、と額に浮かんだ汗を拭き、相変わらずの大いびきをたてている男を見上げると、
「――はよう嫁さんをもらえ」
とよけいなおせっかいを言い残し、もへ次はハイカラ家を後にしたのだった。




