第5話
俺の23歳のバレンタインデーは、こうして散々な目に遭って、終わった。
翌日から、またラインに向って車の板金にネジを打っていく仕事が始まった。
僅かな生きる気力だった綾香と別れてしまって、趣味も友達も少ない俺は残業に明け暮れるしかなかった。
少ない給料でも、出かける先とツレがいないと結構貯まるもんだ。
俺の会社は末日締めの翌5日払いで、つまり3月5日が次の給料日だ。
あの、バレンタインデーの日・・・。
俺はいつもマイペースな桃子のがっくり肩を落とした後姿が妙に気になってた。
他にすることがなかったから、余計思い出したのかもしれない。
ガラにもなく、俺は心配していた。
そういえば、男がキライとか言ってたしな。
何だかんだ言っても、ヤツは妹で幼い頃は泣きながら俺の後を付いてきてた。
いつから俺たちは喋らなくなってたんだろう。
アイツが下宿し始めて、お互い口を聞き始めた時、俺たちは既に完全に違う人種だった。
給料出たら、メシでも誘ってやるかな。
俺は板金をラインに送りながら、ぼんやり考えてた。
そしてやってきた3月5日。
今日は残念だけど、2時間残業がある。
仕事が終わってから、俺はアイツに電話してみることにした。
工場内の駐車場においてある車に乗ってから、ケータイをかけてみる。
車の時計は7時を回っていた。
3月になったとは言え、外はまだ寒いし、風が強い。
少しだけ日が長くなったのが、春が近づいてるのを感じさせた。
薄紫の夜空に三日月がぼんやり浮かんでいる。
「もっしもーし。リュウ兄?ひっさし振りイ!どーしたのお?」
俺が喋る前に、桃子のテンション高いアニメ声がキンキン響いてきた。
なんだ、元気そうじゃねえかよ。
心配して損した。
俺は舌打ちして、不機嫌そうに返事をする。
「何でもないけど、今日給料日だったから。この前のチョコレートケーキのお礼しようと思って」
俺は食べてないけどな。
心の中で毒づきながら俺は言った。
「マジー?嬉しい!リュウ兄、どこにいるの?」
「まだ会社。車で15分でお前んとこ着くよ。行っていいか?」
「えっ?後、15分?」
桃子の声が裏返った。
いつも暇なくせに、おかしなヤツだ。
「なんで?都合悪いのか?」
「もうちょっと、後からでいいかな?今部屋汚いし」
「・・・はあ?」
アレより汚い状態になることがあるのか、あの部屋は?
いつもはそんなこと気にもしないのに。
勘のいい俺は、彼女が何かを隠していることにすぐ気が付いた。
面白れーじゃん。
「分かった、1時間後くらいでいいか?」
「りょーかい、りょーかい!待ってまーす」
桃子はホッとしたように、軽いノリで返事をすると携帯を切った。
いたずらを思いついた子供のように、俺はニヤリと笑った。
車のエンジンをかけるとアクセルを踏み込んで、全速力でヤツの下宿に向って走り出す。
車をいつもの農道に路駐して、俺は学生寮のあいつの部屋を眺めた。
窓から明かりが見えて、いるのは確実だった。
すぐ行くと言った時のアイツの慌てっぷり。
さては男でも連れ込んでるな。
だとしたら相当な物好きだが、何となく俺はそう決め付けて彼女の部屋に向って歩き出した。
いつものレトロな玄関を入って、狭くて暗い急な階段を上がる。
上がってすぐの右側のドアが桃子の部屋だ。
そのドアからテンポの速いユーロビートみたいな音楽が洩れている。
俺はノックもせず、黙ってドアを開けた。
そこで俺が見たものを何と表現したらいいのか・・・。
俺が想像していた、連れ込まれた男はいなかった。
その代わりに先日のコスプレ衣装を身に纏って、狂ったように踊っている桃子がいた。
青いロングヘアのウィッグはまだいい。
白いレオタードの中に強引に押し込まれたボディは、まるでボンレスハムだ。
太い足が細いブーツに無理矢理押し込まれてて、折れそうな細いヒールが悲鳴を上げている。
まさかこれがボカロのミクちゃんじゃないだろうな?
桃子は俺が見てることに気付かず、完璧な振り付けで壁に向って踊っている。
壁には小さなデジカメが立てかけてあるのが見えて、俺はやっと理解した。
動画を撮ってるんだ。
ブログにでもアップするつもりか?
それは犯罪だろう。
唖然と見つめる俺に桃子はやっと気が付き、思い出したように悲鳴を上げた。
「やだああ!リュウ兄!いつから見てたのよ?」
「・・・ちょっと前から」
桃子は慌てふためいてキャーキャー言いながら、部屋の中をバタバタ駆け回る。
その度に俺の足元が地震の如く振動した。
「今更隠れても、もう見ちゃったって。謝るよ。ごめん」
俺は苦笑しながら部屋に入って言った。
桃子は引っ張り出した毛布に頭から包まって、俺を睨んだ。
目が潤んで声が震えている。
「ひどいよ。誰にも見られたくなかったのに。リュウ兄ちゃんなんかキライだよお!」
そりゃ、そうだろうな。
その気持ちはよく分かる。
俺だってこんな姿誰かに見られたら、明日から生きていけない。
ちょっと可哀相になって俺は毛布から半分出た青い髪の毛をなでた。
「ごめん。今日はおごるから。機嫌直せよ」
「ヤダ!あたし、傷ついたんだから」
毛布の中に潜って行く青い頭を俺は捕まえた。
こんな時、女って何て言って欲しいんだ?
俺は髪を掻きながら、自分の少ない経験を思い出す。
「桃子、その・・・似合ってたよ。かわいかった」
乏しい表情の中からなるべく優しそうな顔を作って俺は言った。
普通の人ならそれがお世辞だと気付いて、俺が気を遣っているのも分かってくれる筈だ。
桃子はそれを聞くと、むくむくと毛布の中から出てきた。
顔だけ出してニンマリ笑うと、いつもの高いアニメ声で俺に言った。
「ありがとう。リュウ兄ちゃんもこういうの好き?」
・・・ふてぶてしいにも程がある。
俺は出てきた彼女の頭を、もう一度毛布の中に押し込んだ。