第3話
俺はハンバーガーと油っぽいポテトで胃を膨らませてから、改めて桃子の部屋を見回した。
汚いのはこいつのせいだが、まず古い部屋だ。
この寮に入っていた学生達の伝統さえ感じさせる。
6畳一間のワンルームには和式のトイレはついてるけど、風呂がない。
共同のシャワールームが1階にあるそうだ。
小さな電気ストーブだけが、この部屋の暖房設備だが、その周りにも本が散乱していて危ない事この上ない。
お世辞にも快適とは言いがたいこの部屋で、彼女は本当に幸せそうだった。
「ここにはあたしの「好き」の全てがあるから」
いつか、こいつが言った事があったが、何となく分かる気はする。
彼女にとって快適さとか、外観とかは問題ではない。
自分の趣味に没頭できることが、こいつの最大の幸せなのだ。
ただ、その趣味が常人の俺には理解できなかったんだけど。
ぼんやりタバコを吸ってる俺の前に桃子はインスタントコーヒーと、皿に載ったチョコレートケーキを持ってきた。
ほっぺにさっきのハンバーガーのケチャップがついたまま、にんまり笑って言った。
「では誰にもチョコ貰えなかったリュウ兄ちゃんに、カンパーイ!」
俺はタバコの煙を飲み込んで、ゲホゲホとむせ返った。
お前だって非モテのくせに何だと?
「どうしたの?リュウ兄ちゃん?」
桃子は自分の分のケーキに手をつけながら、俺を見てニコニコ笑う。
俺は上目でその丸い顔を睨みつけた。
「・・・るっせえ。殺されたいか?」
「えー!なんで?やだよお」
そう言いながらも目は俺を見ていない。
既にケーキを食うのに夢中になっている。
それは、俺にくれるケーキじゃないのかよ・・・?
突っ込みたかったけど、もうどうでもいい。
桃子は恐ろしくマイペースな女だった。
俺が、全く人種が違う妹の所に顔を出すようになったのは、こいつの性格が心地よかったからかもしれない。
自覚はあるが、俺は顔に表情が無いし、喋るのが苦手だ。
仕事だって肉体労働で、社交性とは程遠い性格をしている。
ビジュアル的にも大柄で、一緒にいる人間に威圧感を与えるらしい。
「怖そう」って、綾香にも何度も言われた。
だからって、人は簡単に変わる事はできない。
俺だって好きでこんなになった訳じゃない。
ところが、この妹だけは俺の全てのマイナス要因が通じなかった。
俺が喋ろうが、怒ってようが、黙ってようが、こいつは気にしないんだ。
ただ、自分が話したい事のみ一方的に話して、後は満足している。
俺が聞いてなくても、気にしないし。
血の繋がった兄だからできる、遠慮のなさかもしれなかった。
・・いや、そうでもないかな。
多分、こいつは誰といてもこんな女なんだろう。
ハムスターみたいな顔でモグモグ口を動かしながら、桃子は喋り出した。
「あたしねえ、今、創作に取り組んでるの」
「ああ、いいんじゃない?さすが美大生だな」
俺はコーヒーを口につけながら、さらっと聞き流す。
どうせ、俺の答えなんか聞かないんだから。
「ヘヘヘ・・・これでも、あたしの作品は評価されてるのよ。ただ、選考は通っても最終までいくには足りないものがあるんだって」
「へえ、そう」
俺は芸術のことなんかさっぱりだから、言っても無駄なのに。
彼女は熱く語り始める。
「ギリギリの所で勝敗を決めるのは、やっぱり画力なんだよね。あたしにまだ足りないのは、リアリティのあるデッサン力よ。もうこれは訓練しかないの。ピカソみたいな天性のモノを持ってる人以外は、頑張るしかないのよ」
「はあ、そういうモン?」
テキトーな返事をして俺はまたタバコを口に咥えた。
桃子は珍しく真面目な顔をして俺を見つめている。
「リュウ兄ちゃん・・・」
怖いくらい目をギラつかせて、彼女は俺を見ている。
あ、なんかヤバイ。
完全に自分の世界に入っちゃった時の顔だ。
「な、何?」
「あたし、ミケランジェロみたいな自然の美しさを画風に取り入れたいのよ。あたしの新しい作風にしたいの。分かるかな?ダビデ像みたいな、リアリティある自然の美しさ」
「ダビデ像?」
学のない俺でもそのくらいは知っている。
それは歴史の教科書に載ってた、あのヌードな人じゃないのか?
「桃子、落ち着けよ。何言ってんだ、お前」
「あたしに足りないのは、実物を見てないっていう経験の無さかなって思うの」
彼女の視線は、すでに俺の全身を舐め回している。
俺は怖くなって、後ずさる。
その俺に、彼女はにじり寄って来た。
「お願いがあるの、リュウ兄ちゃん。見せて」
「・・・何を?」
完全にイっちゃってる目をぎらつかせて、桃子はニンマリ笑った。
「・・・裸。リュウ兄ちゃんの裸、描かせて欲しいの・・・」