第27話
俺はぼんやりしたまま警察の門を出た。
さっき見たコスプレフクロウの看板を背にして、駐車場に向って歩いていく。
何も届けがないだと?
あれだけやったのに?
夢だったんだろうか?
昨日のことなのに、確かにもう昔の話のような気もしていた。
ノロノロと車に乗って、俺は固まっている頭を必死で動かそうとした。
その時。
ジーンズのポケットに突っ込んでいた携帯が突然鳴り出した。
俺はビックリして思わず飛び上がる。
慌ててポケットから引っ張りだすと、かけているのは桃子だった。
俺はオタオタしながら着信ボタンを押す。
「リュウ兄ちゃん!どこにいるの?」
俺が返事もしないのに、桃子のキンキン声が響いてきた。
「どこって、警察だけど・・・」
「すぐ戻ってきて!あたしの学生寮まで!今すぐ!分かった?」
「な、何だよ?どうしたって・・・」
「早く来て!話はそれから!」
一方的に電話は切られた。
何がどうなってんだよ。
訳が分からないまま、俺はエンジンをかけて車を出した。
さっき来た道を逆戻りして、俺は桃子の下宿に向った。
いつもの農道に車を止めようとしたら、そこには見覚えの無い先客の車が止まっている。
ハイブリッドプリウス、最新のヤツだ。
その部品を作ってる俺たちは乗ったことがない代物だ。
品川ナンバーで、長い間ここに通っている俺が一度も見たことがない車だった。
俺はその車の後ろに駐車して、桃子の下宿に向って農道を歩いていった。
いつものレトロな玄関の前には桃子と小さな太った女の子が抱き合って、俺が来るのを待っていた。
このおデブには見覚えがある。
エミリン、だったっけ?
自分達のほうに向ってくる俺に気が付いた桃子は、何かを叫んで、まっすぐ走ってきた。
俺の胸に飛びつき、背中に両腕を回して抱きしめると、顔を埋めてわあわあ泣き始める。
俺は訳が分からずに呆然とされるがままになっていた。
「リュウ君、もう刑務所行かなくてもいいんだよ」
エミリンは、桃子の背中をポンポン優しく叩きながら俺を見上げた。
メガネをかけた丸くて白い顔。
こいつは桃子と同類だって一目で分かる。
でも、何でこいつがそんなこと知ってるんだ?
「藤井隆一さんですか?」
突然、階段の奥から低い男性の声が響いた。
ビシっとしたグレーのスーツを着用したダンディな年配の男性と、髪をカールしたクリーム色のワンピースを着た中年女性が、薄暗い階段を連れ添って降りてきた。
俺の前に男性は歩み寄り、いきなり頭を深く下げた。
「私は佐藤裕也の父親です。バカ息子が妹さんにしたこと、他の女子学生にしたこと、全て聞きました。警察で罪を償うのは本当は息子の方です。
ですが、桃子さんと今お話させて頂き、それが桃子さんの希望ではないと言われました。
あなたが息子にしたことは当然のことですし、大学の方にも損害は弁償することで話はついています。
事件が公になることで、逆に桃子さんに迷惑がかかることもあると思います。
どうしようもないバカ息子ですが、私達にとってはたった一人の息子です。
どうか、このまま穏便に終結させては頂けないでしょうか?」
俺はポカンとして真摯な顔で話をする男性と、ハンカチで顔を覆って泣き始めた奥さんを見比べていた。
つまり、こいつら、あのカマ野郎の親か。
俺の頭の中がやっと整理された。
大学が警察に通報するより早く、誰かが息子の悪事を親にチクったんだ。
息子を守る為に、気の毒な親は東京からすっ飛んできて、大学に話をつけたに違いない。
誰がそんな迅速、かつ機転の利いた行動を・・・?
俺の横で、エミリンがニンマリ笑って親指をグっと立てる。
俺はその丸くて白い顔を見つめた。
まさか?
こいつが俺を助けてくれたのか・・・?
桃子は俺にすがりついたまま、まだ泣いている。
と、いうことは・・・。
既に示談成立してんのか?
俺はムショに行かなくてもいいってこと・・・?。
突然、体の力が抜けて、俺はその場にへたり込んだ。
今回の一番の功労者は意外にもこのエミリンだった。
「俺は藤井隆一、藤井桃子の兄貴だ!」
そう怒鳴ったあの時、エミリンは実は俺の目の前にいたらしい。
完全にキレて我を忘れていた俺にはもちろん、その姿は目に入ってなかった。
それを聞いたエミリンは俺の正体から、そこにいた理由まで、全てを理解した。
俺たちが逃げ出したあの時、エミリンはマンガ研究会の部室に向って猛ダッシュした。
部員名簿を部室から引っ張り出し、佐藤裕也の東京の実家の番号を見つけると、その場で携帯から電話した。
「あたし、藤井桃子といいます。息子さんにされたことについてお話があります・・・」
電話に出た佐藤裕也の母親にエミリンはそう切り出した。
自分がされたことの復讐に兄がヤツを殴ったのは正当なことだ。
今回のことを立件したら、自分も黙っていない。
レイプされた他の女子学生も集めて、息子を警察に婦女暴行容疑で訴えてやる。
そう脅された可哀相な両親は、取るものも取り合えず、東京からすっ飛んできたのだ。
品のいいダンディな父親は大手不動産会社の重役で、ヤツはコネで内定している会社が決まってたのだ。
この就職難の時代に、内定取り消されたら、もっと大変なことになる。
立件する筈がない。
被害者だろうが、加害者だろうが、刑事事件になって一番困るのはヤツだった。
大学内で壊したモノについては、このご両親が全部弁償してくれた。
桃子はもちろん、ヤツを訴えるつもりはなかったし、俺が刑務所に入ることも望んでいなかった。
だから、この件はお互いなかったことで、話はついた。
菓子折りと示談金を持ってきた両親に桃子は丁寧に対応し、俺を訴えなかった事に感謝した。
示談金だけは、貰う事ができないと辞退したらしい。
貰えるモンは貰っとけばいいのに。
俺はそう言ったが、彼女は首を振った。
貰ったら、自分がされたことが本当に強姦だったと認めることになるから、と言った。
だって強姦じゃねえか、って俺は思ったけど、女のプライドってヤツだろう。
だから俺はそれ以上は言わなかった。
佐藤裕也については、やっぱり全治2ヶ月の重体だった。
鼻の骨折に、前歯が2本折れていた。
蹴りを入れた胸部は肋骨が折れ、股間については生殖機能は失われなかったものの、肛門を縫うハメになったらしい。
それについては、ざまあみろと思っただけだ。
今後、ヤツが新入生を餌食にすることはないだろう。
バカ息子に似合わない常識ある親御さんたちの対応に俺たちは助けられた。
いや、このエミリンに助けられたというべきか。
礼をしたいと言った俺にエミリンはニンマリ笑って言った。
「じゃあ、スタバでキャラメルマキアート奢って下さい」
また、あのショッピングモールか・・・。
何で女はスタバが好きなんだろう・・・?
俺は笑って親指を立てた。