第26話
電話を切った俺はシートに背中を押しつけ、伸びをした。
これで心のわだかまりが一つ消えた。
綾香も頑張ってるんだ。
女って逞しいな。
何となく俺は置いてかれたような、でもそれを見守る父親のような温かい気持ちになっていた。
妙にさっぱりした気分になって、俺は車を降りてコンビニに入った。
今更、少しくらい遅くなっても構わないだろう。
人殴ったくらいで全国手配されてる訳でもなさそうだし。
俺は呑気にタバコと冷たい缶コーヒーをレジに持っていった。
・・・そうは言っても。
見覚えのある地元の交差点を過ぎ、警察署が現れると、俺はまたタバコに手を伸ばした。
駐車場に車を入れた時には、タバコを持つ手が震えるほど緊張していた。
捕まったことはあっても、自首したことはなかった。
昨日、ボコったあのカマ野郎の顔が俺の脳裏に浮かぶ。
まさか死んではないだろうけど、無傷だとは思えない。
でも、俺は自分のした事を後悔はしていない。
俺の暴力には正当な理由がある。
ただ、犯行の動機に桃子の事を言うつもりはなかった。
アイツが今まで誰にも言えず、吐くまで黙ってた秘密だ。
俺はそれを墓場まで持っていくつもりだった。
だったら、俺はこれ以上話がこじれる前に、出頭した方がいい。
桃子に被害が及ぶことだけは、絶対避けなければ・・・。
タバコが灰になるまで、俺は口にも咥えず、手に持ったまま考え続けた。
俺は悪くない、でも仕方ない。
こうするしかない。
よし!
理論武装はできた。
俺は覚悟を決めて、車から降りると警察署の門に向って歩き出した。
フクロウのキャラクターが警察官のコスプレをしている看板が、門の前にバーンと立て掛けてある。
この県のシンボルらしいが、野生のこんなの見たことない。
交通事故死全国ナンバーワン、返上!と書いた横断幕がかかったエントランスが見える。
俺みたいなドライバーがいる限り、絶対無理だ。
鼻で笑って、俺は警察署の建物の中に入った。
入り口の自動ドアが開き、ドキドキしながら俺は中に入っていく。
いきなり入った右手に案内所みたいなカウンターがあって、そこに座っていた女性警官が2人、ジロリと俺を睨む。
ホテルの受付嬢とは全く別モノの女どもだ。
現役女子柔道選手に違いない、この体型。
まあ、こいつらに用事はないから、別にいいけど。
俺はカウンターに手を載せて、彼女の一人に話し掛けた。
「あの・・・すいません」
何か用か?と言わんばかりに、返事もせずに彼女はジロリと俺を睨みつける。
カンジ悪・・・。
これでも公務員かよ?
俺も少しムっとしてそいつを睨み返す。
「あの、自首しに来たんですけど・・・」
「はあっ!?自首!?」
せっかく人が小さい声で言ったのに、そいつはデカイ声でオウム返しに返答した。
チクショー・・・。
俺はこういうデリカシーのないオバサンが大嫌いなんだよ!
それを聞いたもう一人のオバサンが顔を強張らせて、席を立つと、事務所に姿を消した。
これでいい。
少しは話が分かるヤツが出てくる筈だ。
思ったとおり、事務所のドアが開いて、強面の体格のいい男性警官が3人ほどバタバタと現れた。
三人は俺を囲んで逃がさないように体制を整えてから、作り笑いをした。
犯罪者を落ち着かせようと思ってんのか。
屈強な男が三人で優しい顔をして俺を見つめている。
・・・落ち着く訳ねえだろ。
「あの、自首しに来ました。大学に勝手に侵入して大学生に暴行加えて、多分入院してると思います。大学から被害届け出てると思いますけど」
一番、貫禄のありそうなデカイ警官が首を傾げる。
受付でまだバカみたいに座ってたオバサンに、被害届けが出ているか確認するように指示を出した。
オバサンは緊張した面持ちで、慌てて事務所に駆け込む。
警官は優しい顔のまま、迷子の子供に話しかけるように言った。
「君、名前は?」
「藤井隆一。23歳です」
「それはいつの話だ?」
「昨日の午前中。その後、逃亡したんです。すいません」
俺は素直に頭を下げた。
警官は俺の背中をぽんぽん叩いて、別室に入るよう促した。
入り口には、俺に関係のない野次馬どもが群がり始めていたからだ。
机と椅子しかない小さな部屋に、俺は通された。
よく、ドラマで警官が容疑者に「吐けっつってんだろ!コノヤロー!」ってやってる部屋だ。
落ち着かなくて、俺の手は無意識にポケットの中のタバコに伸びる。
ダメだ。
勝手にタバコなんか吸って寛いでたら、印象悪すぎる。
仕方ないから、俺は手を伸ばさないように両腕、両足を組んで椅子に座っていることにした。
突然、ドアが開き、見覚えのある四角い顔のオヤジ警官が入ってきた。
俺より小さいこのオヤジがハンパなく強いのはよく知っている。
高校の時、繁華街で俺を叩きのめしてくれたあの警官だった。
俺は嬉しくて思わず立ち上がった。
「・・・・・・!」
しまった。
こいつの名前何だっけ・・・?
立ち上がった俺が口を開けたまま沈黙したので、変な間ができた。
「俺を忘れたか?藤井。山田だよ。お前、いい年して何やってんだ?」
そうだ、山田だ。
厳しい顔に刻まれた皺を少し緩ませて、山田さんは太い声で言った。
「すいません。昨日の午前、俺は大学に不法侵入して、大学生に喧嘩売って、ケガさせて、テーブルとか椅子とか大学のモノも壊して・・・。その後、逃げました。大学から被害届けは出てる筈です。多分顔面骨折くらいはしてる筈・・・」
畳み掛けて話す俺に、まあ座れと山田さんは椅子を勧めた。
「お前がしたことはよく分かった。だけど、出てないんだよ、被害届けが」
「えええ・・・?」
俺は眉間に皺を寄せて、変な声を出した。
そんな筈ない。
あの後、誰かが救急車でも呼んだら、すぐ警察沙汰になる筈だ。
「そんな筈ありませんよ。かなり暴れたし・・・」
「でも、出てないんだ。被害者あっての加害者だからな。届けが出てなかったらお前を捕まえられんよ」
「そんな・・・じゃ、確認してきますよ」
「いいよ、ほっとけ。相手は示談で済ませたいんじゃねえのか?立件するのが被害者の希望じゃないこともあるからな。取り合えず、お前の携帯番号、ここに書いとけ。届けが出たら俺が捕まえに行くから」
山田さんは自分のメモ帳とペンを俺に差し出す。
狐に化かされたみたいな気持ちで俺は住所と番号を殴り書きした。
山田さんはそれを見て、遠い目をする。
「お前も大きくなったな。もう結婚してんのか?」
「いや、まだです」
「働いてるのか?」
「はい。何とか」
山田さんはいきなり俺の頭に手を伸ばして髪をグシャっと掴んだ。
「頑張れよ。もうこんなとこ来るんじゃねえぞ」
「・・・はい」
不覚にも涙が出てきた。
山田さんは笑って立ち上がると、部屋のドアを開けた。
「もう帰れ、藤井。届けが出たら、俺が呼びに行くから。その時は大人しく捕まれよ」