第24話
バスルームから出ると、部屋の前には既に朝食が載ったワゴンが置いてあった。
バスローブを巻いてまだぼんやりベッドに座り込んでいるあたしをよそに、リュウ兄は昨日脱ぎ捨てた自分の服をかき集め始める。
さっさと体を拭いてジーパンとシャツに着替えると、ソファに座ってワゴンに載ってたロールパンを掴んで食べ始めた。
完全にいつものリュウ兄ちゃんに戻ってる・・・。
さっきまでのセクシーなアポロンはなりを潜めて、いつもの無愛想な元ヤンのリュウ兄だ。
あたしはホッとしたような、寂しいような複雑な気持ちになって、その食べっぷりを見ていた。
「お前、腹減らないの?」
口をモグモグ動かしながらリュウ兄はあたしにパンを差し出す。
「・・・胸が一杯でそれどころじゃないもん」
言った矢先にあたしのお腹が変な音を立てた。
慌ててお腹を押さえたけど、その音にリュウ兄は思わず吹き出す。
「無理しなくていいって。食えよ」
あたしは渋々パンを受け取ってかじった。
「これで終わりだね」
「そうだな」
「また来れるかな?」
「どうかな」
「また・・・愛してくれる?」
「・・・バーカ」
一番切実だった最後の質問を、彼は笑ってはぐらかした。
返事の代わりにあたしの頭を抱き寄せ、素早くキスする。
彼が、昨日のことをどう思ってるのか分からないけど、あたしは幸せだった。
あたしの忌まわしい思い出は、彼の優しい愛で見事に払拭され、昨夜のセックスはあたしにとって大切な思い出になった。
海の見えるスイートルームで、一緒にお風呂に入って、お姫様だっこでベッドインして、彼の腕枕で目覚める初体験。
女の子冥利に尽きる体験だ。
あれ・・・?
あまりに理想的だった彼の行動にあたしは気付いた。
「もしかして、リュウ兄ちゃん、これも計画の一部だった?」
「さあな」
彼は恥ずかしそうに横を向く。
あたしはやっと気が付いた。
トラウマになっちゃったあたしの忌まわしい記憶を、リュウ兄は最高の思い出に塗り替えてくれようとしてたんだ。
女の子なら誰でも憧れる初体験のシナリオ。
どこで覚えたのか知らないけど、彼は忠実に企画、実行した。
計画的犯行だったんだ。
あたしはまんまと引っ掛けられ、彼の最高の愛によって、もうセックスが怖くなくなった。
「ありがとう。リュウ兄ちゃん」
「何が?」
白々しく言った彼の横顔が赤くなっている。
あたしはその顔を眺めていた。
あたしだけの美しいアポロン。
あたしだけのモデル。
この人に愛された事を、あたしは生涯誇りに思うに違いない。
やがて時計はタイムリミットの10時を回った。
あたし達はチェックアウトを済ませ、ホテルの外に出た。
心配だった宿泊費用は、リュウ兄ちゃんがカードで精算したので、結局、分からず仕舞だった。
まだ人気のない朝の浜辺を、あたし達は手を繋いで波止場に方角に歩いた。
あたしもリュウ兄も無言だった。
車に乗って、元来た道を名古屋方面に北上していく。
リュウ兄の言うところのゴタゴタした工場ばっかりの街並みが現れて、あたしは溜息をついた。
彼は無表情のままで運転しながら、開け放した窓に腕を乗せてタバコを吸っている。
あたしの下宿まであと30分。
車のナビが到着予定時間を告げている。
「おい、桃子」
唐突にリュウ兄は前を向いたまま口を開いた。
「俺の経験からいくと、警察からまず親に電話がいくと思う。かあさんはパニクってお前に電話するだろうから、そしたら頼むな。お前が一緒にいてやれよ」
「・・・うん」
「大学、ちゃんと行けよ」
「・・・うん」
あたしは唇を噛み締め、涙を落とさないようにするので精一杯だった。
やがて見慣れた農道が現れ、古いレトロな学生寮の屋根がゴタゴタした宅地の向こうに現れた。
-目的地周辺です。ルートガイドを終了します・・・
ナビの音声が一方的にあたし達の旅の終焉を伝える。
あたしは顔を覆った。
「じゃ、俺行くよ。元気でな」
なかなか車から降りようとしないあたしの背中に腕を回して、リュウ兄は最後にもう一度キスをした。
軽い、優しいキスだった。
「待ってるよ。リュウ兄・・・」
車を降りたあたしの前で、助手席のドアが閉められる。
アクセルを乱暴に踏み込む音がして、車は走り出した。
あたしは去っていく黒い車を見つめながら、農道に座り込んで泣き崩れた。
ここまで読んで頂きましてありがとうございます。
次回から、最終章突入です。
もう少し、お付き合い下さいね。