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Model  作者: 南 晶
第2章
21/30

第21話

 リュウ兄ちゃんを先にバスルームから追い出した後、あたしは脱衣所に出てホテルに常備されていたバスローブを巻きつけた。

 高級感のある厚手のタオル生地が肌に気持ちいい。

 鏡を見ると、バスローブでモコモコになったあたしはまるで関取だ。

 のぼせてピンク色の顔になった顔が白いバスローブの上に乗って、紅白羽二重餅みたい。

 もう、いいけどね。

 今更、痩せたってしょうがないし。


 バスルームから出た時、時刻はまさに夕暮れ時だった。

 窓の外に広がる海は、ちょうど太陽が沈むところで、大海原をオレンジ色に染めている。


 リュウ兄は広いベッドに裸のまま寝そべって、頬杖ついて海を眺めていた。

 もう服を着る気はないらしい。

 部屋の中に差し込む夕日は、彼の美しい体を照らし、彫刻みたいな陰影を作っている。

 突如、あたしの頭にイメージが浮かんだ。


 あ、今だ!

 今、描きたい!

 この人の体。


 あたしは唐突に思いつき、カバンの中からスケッチブックと筆箱を引っ張り出した。


「あれ、桃子いつ出たの?」


 のんびり話しかけるリュウ兄には目もくれず、ふかふかしたソファにドスンと座ると、あたしはスケッチブックを広げ、鉛筆を走らせた。


 今しか描けない。

 夕日に照らされたアポロン。

 この綺麗な体はきっと今この瞬間にしか描けない。

 あたし達には、もう明日はないんだから。


 鬼気迫る形相で突如スケッチを始めたあたしを、リュウ兄は黙って見つめていた。

 早く描かなきゃ・・・!

 今しかない、という強烈な焦燥感にあたしは突然駆られた。

 幸せな一時を人はカメラやビデオに収めようとする。

 あたしにとって、その媒体が絵だった。

 この幸せな今を、描く事であたしは閉じ込めようとしたかった。


 描きとめたって、時間を閉じ込めることなんてできないのに・・・。

 分かってたけど、あたしは無我夢中で彼を描き続けた。

 時々、目の前がぼやけて霞む。

 自分の涙だと気付いたのは、頬に伝って、スケッチブックにポタポタと落ちた時だった。


 やだ、やだ、やだ・・・!

 リュウ兄ちゃんが刑務所いくなんて・・・。

 ずっと近くにいて!

 あたしを一人にしないで!


 声にならない嗚咽を繰り返しながら、あたしはひたすら鉛筆を走らせた。

 一枚の、夕日に照らされたアポロンの絵が完成した時、あたしはスケッチブックを手から落として号泣した。


「桃子、泣くなよ」


 床に落としたスケッチブックを拾い上げながら、リュウ兄は笑ってあたしの頭をなでた。

 パラパラとそれをめくりながら、へえ、と溜息をつく。


「上手くなったな。初めて見たときも上手かったけど、なんかレベル上がってる。躍動感つうの?上手く言えないけど、生きてるみたいだ」


 その言葉にあたしは、びっくりして彼を見上げた。


「分かるの?リュウ兄」


 うーん、と眉間にしわ寄せて、彼は考える。


「芸術は分かんないけど、なんかこの絵が生きてるみたいなのは感じる。俺がかっこいいからかな?」


 ハハハと胸を張ってリュウ兄は笑った。

 あたしは、その時、電気が走ったようなすごい衝撃を受けていた。

 少し、分かったんだ。

 あたしの作品に足りなかったもの。

 それは生きてる力。

 リアルで生なましいものが、あたしの作品にはなかった。

 あたしは、自分の中で作られた偶像ばかり追っかけ、空想の世界に逃げて、現実を描く事ができなかったんだ。


 それは、あたしが逃げてたから?

 あの時の恐怖で目を開く事ができなかったから?


 ソファにへたり込んだあたしを、リュウ兄は面白そうに眺めていた。


「泣いたり、怒ったり、呆けたり、ヘンなヤツ」


 ハタと我に返り、あたしはリュウ兄の手を掴んだ。


「リュウ兄、分かったよ。あたしに足りなかったもの」


 突然、手を掴んで真剣な顔をして語るあたしを、リュウ兄は気味悪そうに見た。


「ああ、そう。何?」

「リアリティよ。エネルギー。体温。まさに躍動感だよ。生きてる感じだよ。あたしが今まで死んでたから、見ようとしなかったから、描けなかったんだと思うの」


 興奮して話すあたしをリュウ兄は少し怖そうに見て、苦笑いする。


「・・・ごめん。意味分かんねえ」

「いいの。あたしには分かったの。次の作品はきっとイケるよ!」

「ああ、そう。頑張って」


 勢いよく立ち上がったあたしを見上げて、リュウ兄は適当に受け流した。



◇◇◇



 太陽が沈んで、窓の外は夕闇が広がった。

 あたし達はソファに並んで座って、ただ、ぼんやりを海の色が変わっていく様を眺めていた。

 時が一刻一刻と過ぎていくのが、視覚によって分かるのは残酷なことだ。

 執行猶予の時間が目に見えて失われていくのだから。


「なあ、桃子」


 先に口を開いたのは、リュウ兄だった。


「俺がいなくなったらさ・・・」


 それを聞いて、あたしはドキっとした。


「・・・何?」

「・・・いなくなっても、ちゃんと大学行けよ。その・・・お前は当たりが悪かったよ。男って、あんなヤツばっかりじゃないから・・・怖くないから。だから、元気出せ。お前にはまだ未来がある」


 まだ湿った髪をグシャグシャ掻いて、リュウ兄はボソボソと言った。

 慰めてくれてるらしい。

 口下手なリュウ兄の精一杯の言葉を、あたしは心に受け止めた。


「ありがとう・・・ありがとう、リュウ兄」


 あたしは本当に嬉しかったんだ。

 どうしたらこの気持ち伝えられる?

 あたしはリュウ兄に何をしてあげられる?

 この人の無償の愛にあたしは何を支払う事ができるのかな?


 それは本当に無意識の行動だった。

 あたしは隣に座っていた彼の首に両腕を回して、広い胸に飛び込んだ。

 抱きとめてくれると思ったリュウ兄の体は、あたしの体の重みでそのままソファに押し倒される。

 あたしの下敷きになった彼の体はフカフカのソファに半分埋まって動けなくなった。


「・・・お前な」

「・・・ごめん」

「そう思ったら痩せろよ。重いんだよ!」

「あ、ひどい!それ言うの反則じゃん!」


 リュウ兄は心底可笑しそうに笑い出した。


「もー!何が面白いの?あたし、真剣だったのに・・・」


 そう言いかけた時、彼の両腕が背中に回され、あたしは彼の胸に押し付けられた。

 あ、それは・・・ダメ・・・。

 怖い・・・!


「怖くないから。目、閉じてろよ」


 彼はそう言って、あたしの顔を両手で手繰り寄せると唇を重ねた。

 それは、あたしのファーストキスだった。




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