第20話
温泉レポートをする女子アナさながらにバスタオルを巻き付けて、湯気で真っ白に曇ったバスルームにあたしは入った。
本物の大理石なのかな?
ローマ時代のお風呂みたいに真っ白な石でできたバスタブ。
壁にはトレビの泉よろしく彫刻が施されており、滝のようなお湯が贅沢に流れ落ちている。
リュウ兄はその彫刻に引けを取らない肉体美をさらして、子供みたいに窓に張り付いて海を眺めている。
美しいアポロン像が野次馬みたいなカッコでガラスに張り付いてるのは変な光景だ。
あたしは彼が振り向く前に急いで湯船に浸かった。
これで、安心。
リュウ兄の裸は見ちゃっても、あたしのこのお肉は絶対に見せないんだから。
鼻から上だけ出したカッパみたいに湯船に潜んでいるあたしを見て、リュウ兄はザブザブと飛沫を飛ばして近づいてきた。
「興味ねえから見ないって。でも、別にいいじゃん。昔は一緒に入ってたんだから」
「・・・リュウ兄には分かんないよ。あたし、太ってるし」
ぶくぶく泡を吐き出しながら、あたしはお湯の中で話す。
絶対に見せるもんか、あたしのお肉。
「気にしてたのか?だったら痩せれば?」
「無理!子供の頃からこんなだもん。しかもあたし、お母さんとそっくりじゃん。遺伝だよお・・・」
リュウ兄は苦笑しながら、あたしが湯かっている反対側の縁に体をもたれ掛けた。
あたしは、さっきから気になって仕方なかったことをおずおずと口にする。
「ねえ、スイートって高いんじゃないの?」
「分かんねえ。金額見ないで適当に予約したから」
気持ち良さそうに目を瞑ったまま、リュウ兄は面倒くさそうに答える。
「それがビックリだよ。いつから予約してたの?」
「少し前。してなきゃ、こんなお堅いトコ突然入れてくれねえよ。ラブホじゃないんだから」
それはそうだ。
やっぱり、喧嘩も、ここに来る事も、明日出頭して、刑務所に入ることも全部計算の上でのことなんだ。
あたしは、せつなくなった。
黙ってしまったあたしを気遣うようにリュウ兄は明るく言った。
「お前は関係ねえよ。最近、女と別れて金使ってなかったから、ムショ入る前に贅沢しとこうって思ってたんだ」
その言葉にあたしは再びビックリした。
「リュウ兄、彼女いたの?」
「・・・どういう意味だよ?いたら悪いか?」
「悪くないけど・・・意外」
心底驚いて、あたしは呆気に取られる。
どんな物好きな人が、リュウ兄と付き合ってたんだろう。
格闘技のファンだったのかな。
リュウ兄は自嘲的な笑みを浮かべた。
「俺が高校3年の時、ツレの紹介で付き合いだしたコだったんだ。今、名古屋の女子大の4年生かな。この前、お前んちでチョコケーキ食った時、あの日に別れた」
「え!知らなかった。リュウ兄がフラれたの?」
思わず口から出たあたしの言葉に、リュウ兄は両手で水鉄砲を作るとあたしに放射した。
「そうだよ。オレがフラれたの。よく分かったな」
「何で?」
考え込むようにリュウ兄は濡れた頭を掻きながら、ゆっくり話す。
「・・・彼女が大学に入ってから、なんか変っちゃって・・・。俺も仕事で忙しかったし・・・。俺のことは好きだけど、もっと広い世界に行きたいとか、飛びたいとか言い出して・・・・。理由は色々あったんだろうけど・・・結局、何が悪かったのか、いまだに分かんねえ・・・」
問題に答えられない子供みたいにリュウ兄は一生懸命考えながら、言葉を探している。
単純で純粋なリュウ兄ちゃんには多分、分からないだろう。
でも・・・。
「あたし、なんかその人の気持ち分かるよ」
あたしの言葉に今度はリュウ兄が反応する。
「何が?」
「リュウ兄、女の子は進化するんだよ。色んな場所に行って、生活が変わって、どんどん夢が増えて、変っていくの。その人は大学に入って変ったかもしれない。でも、新しい環境で、新しい夢を見つけたんだと思う。それはリュウ兄のこと好きだったこととは関係ないんだよ。リュウ兄のことは好きだったけど、それよりもっと大きな何かを見つけて、追っかけたいんだと思う」
リュウ兄は神妙な顔であたしの話を聞いていた。
「・・・俺は、工場で安月給で働いてる俺なんかより、誰か他に見つけたんだと思ってた・・・」
弱気な顔で途切れ途切れに話すリュウ兄は、まるで言い訳をする子供みたいだ。
あたしはその純粋な顔が愛しかった。
「絶対、リュウ兄のことは好きだったと思う。だって、高校の時から付き合ってたんでしょ?暴力団みたいだった頃のリュウ兄と付き合ってたんだから、タダ者じゃないよ、その人。見かけはチンピラでも本当は優しいリュウ兄の本質を見抜いてた人だよ。きっと、今でも・・・」
バチャッ!
励まそうと思って力説したあたしの顔にお湯が飛んでくる。
手に洗面器を掴んだアポロン像さながらに、リュウ兄は飛沫を上げて立ち上がった。
「お前なあ、暴力団とかチンピラとか言いたい事言いやがって!褒めてんのか、貶してんのか、どっちかにしろ!」
リュウ兄は洗面器に入れたお湯をあたしに向ってドバっと撒き散らした。
「やだあ!暴力反対!」
キャーキャー叫びながら、あたしはタオルがズリ落ちないように胸を押さえて逃げ回る。
あたし達は子供みたいに湯船の中で暴れまわった。
こんな時がずっと続けばいいのに。
本当に明日で終わりなんだろうか。
このまま時が止まってくれるなら、あたしは何だってするだろう・・・。
泣き笑いの顔を見せないように、あたしはお湯を顔にかけ続けてた。