第12話
4月4日、始業式の朝がきた。
学校に行く準備も整ったあたしは、ベッドに横になって今まで描き溜めたリュウ兄ちゃんのスケッチをパラパラめくっていた。
自分で言うのもナンだけど、この一月でかなりデッサン力上がっていると思う。
動きのある実物を至近距離で観察できるんだから、こんな恵まれた環境はないけどね。
このままの勢いで次の作品に取り掛かれれば・・・。
何だかいい結果が出そうな気がする。
でも、あたしの作品に足りないモノは画力だけ?
もっと基本的なもの忘れてない?
リュウ兄は、俺、分かんねえ・・・ってぶっきらぼうに言うに決まってるけど。
リュウ兄の体は本当に綺麗だ。
これほど似てない兄妹って珍しいと、自分でも思う。
背は高いし、手足も長い。
痩せ型に見えて、脱ぐと筋肉のついた分厚い肉体が現れる。
顔だって、もっと小綺麗にすればカッコいいのに。
浅黒い肌に切れ長の鋭い細い目、シャープな顔のライン。
精悍な顔立ちだ。
無造作に後ろに掻き上げたボサボサの黒い髪は、ロンゲというより長髪と言った方がしっくりくる。
腕や、足には昔の複雑骨折の手術の傷痕が生々しく残っていた。
今では落ち着いて会社員やっているリュウ兄は、高校までは暴行事件の常習で、何度も家に警察から電話がかかってきたのをあたしも覚えている。
工業高校の空手部で有段者だったリュウ兄は喧嘩で負けたことがない。
学校内で喧嘩して相手を病院送りにしたり、深夜の繁華街で酔っ払いと喧嘩して補導されたり、その度に迎えに行くお母さんが可哀相だった。
でも、あたしはリュウ兄が好きだ。
子供の頃はあたしが苛められてたら、すぐやって来て助けてくれた。
助けるどころか、あたしがその子を助けなきゃなんないほど、半殺しの目に合わせてた。
下宿を始めてから、リュウ兄はお母さんに届け物を頼まれるとやって来るようになって、あたし達は話をするようになった。
無口なリュウ兄はいつも、タバコを吸いながら黙ってあたしの話を聞きいてくれる。
あたしはリュウ兄と一緒にいる時間が好きだった。
スケッチブックの中の彼の完璧な肉体を見て、あたしは溜息をついた。
二人の体には同じ血が入っている筈なのに、この違い・・・。
あたしなんか、男の子に相手にされる訳ないもんね。
いいもん。
あたしには夢があるんだから。
今思えば、先輩だって最初から相手にする気なんかなかったんだ。
あたしがバカみたいに勝手に喜んじゃったんだ。
あたしはリュウ兄に、佐藤先輩に襲われた事を話したのを少し後悔していた。
去年の夏。
大学に入ってから初めて好きになった人に、あたしは告白した。
その人は佐藤裕也先輩。
ジャニーズみたいなかわいい顔で、小柄な細い体は少年みたい。
いつか皆の前で彼が嵐のモノマネをしながらバック転した時があって、それから彼の異名はアイドルになった。
彼が笑うと、周りもぱっと明るくなる。
白い肌に整った顔立ち、ヒゲも生えてない綺麗な肌。
ウェーブがかった茶色の猫っ毛の髪は、風に吹かれるとクシャクシャになって、それを掻きあげる仕草がまたかわいい。
絵に描いたような永遠の少年みたいな人だ。
厭味のないオシャレをよく知っていて、普通のシャツの上にストールをさりげなくかけたりして、センスの良さを感じる服装をしている。
彼は関東出身で大学の為に、ここに下宿していた。
彼が話す東京っぽい標準語が、まるでドラマから出てきた主人公みたいだった。
あたしみたいな地元出身の田舎の女の子には憧れだった。
あたしは、彼にされたことを強姦だとは思ってなかった。
実際、誘われてノコノコついて行ったのはあたしだし、終わった後も彼は天使の顔でニコニコ笑ってた。
「良かったでしょ?」
悪びれもせず、彼は言った。
どんな悪行もこの微笑の前では陰を潜めてしまう。
あたしを押し倒し、口を塞いで腰を振っていた悪魔みたいな彼と、悪戯を見つかった子供みたいに肩をすくめて無邪気に笑う天使みたいな彼はどうしてもリンクしないのだ。
後日、学校で会っても彼はアイドルみたいな顔で、オハヨって挨拶してくれた。
あたしが話しかけようとすると、彼はニッコリ笑ってこう言った。
「ついて来たのはキミだからね。合意のことだから、人に言わないほうがいいよ」
いつも通り、何にも変っていなかった。
もちろんその後、彼があたしを誘うことはなかった。
何にも変らない日常の中で、あたしだけが大切なものを失ったのだ。
あたしはそれから男の人が怖くなった。
男の人って分かんない。
いつ悪魔に変貌するか、あたしには予測できない。
男なんて性欲も自分で制御できない人種なんだ。
それからあたしはBLにハマり始めた。
それまでは学園のアイドルが主人公の女の子と付き合い出すような少女マンガばっかり読んでたのに、それが読めなくなったからだ。
あの時の、天使のように微笑む悪魔の顔を思い出すから。
リュウ兄に押し倒された時、その時のことがパっと目の前に浮かんで、あたしは吐き気がした。
先輩より、もっと大きくて重いリュウ兄の体に押さえ込まれて、あたしは言いようのない恐怖を感じたんだ。
これがフラッシュバックっていうのかもしれない。
初めての経験で、あたし自身もビックリした。
でも、既に自覚はあった。
男の人とセックスに対して、あたしはトラウマを抱えてしまったんだ。
あたしは溜息をついて、スケッチブックを閉じた。
その時、窓の外から車のエンジン音が聞こえた。
あたしを呼び出すように、パッパーとクラクションが鳴らされる。
窓から顔を出して外を見ると、いつものリュウ兄ちゃんの黒い車がエンジンをかけたまま止まっている。
うわあ、本当に来た。
やる気なんだ、リベンジ作戦。
あたしは慌ててスケッチブックをカバンに押し込んだ。
そのカバンを肩から襷掛けして、部屋を飛び出した。