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Model  作者: 南 晶
第1章
10/30

第10話

 桃子はすすり泣きながら、両手で顔を覆った。

 丸っこい肩が嗚咽する度、上下に震える。


 俺はどうしたらいいのか分からなくって、しばらくバカみたいにその場で立ち尽くしていた。

 今、何をすべきか。

 ハタと気付いた俺は、まずトランクスを履いて、職場の作業着を肩に羽織った。

 泣いている桃子にこれ以上刺激を与えないように、俺は静かにベッドに近づく。

 俺のせいで乱れた長い黒髪をそっとなでる。

 彼女は俺の手の感触に、ビクっと体を震わせた。


「桃子、ごめん。俺、そんなことしないって。冗談だよ。タチ悪かったけど」


 彼女の横に体が触れない程度に近づいて座って、俺はもう一度謝った。

 桃子は顔を手で覆ったまま、首を横にブンブン振った。


「リュウ兄ちゃんのせいじゃないんだ。あたしが・・・あたしが、男の人が怖いだけなの。い、今、リュウ兄も男の人なんだって思い出しちゃって、そしたら急に怖くなっちゃって・・・」


 そこまで言うと桃子は再び、すすり泣きを始めた。


 まいったな・・。

 女の子にする冗談じゃなかった。

 俺は舌打ちして、髪をガシガシ掻いた。

 でも、男とこういうことができなくなったって?

 その過去形の言葉に俺はふと気付いた。

 

 え?それって、まさか・・・?


「桃子、お前ってさ・・・もう経験済みなの?」


 俺は恐る恐る聞いた。

 桃子は一瞬、ビクっと体を震わせた。

 顔を覆っていた両手を少し離して、泣きはらした赤い目で俺を見る。

 すがり付いて来る様な、怯えた目だった。

 彼女は震える声で、小さく言った。


「だったらリュウ兄、軽蔑する?」

「しないよ。する訳ない。ただ・・・」


 ただ、それは意外だった。

 絶対、経験ないと思ってたのに。

 その物好きな相手は誰だ?

 その言葉を、俺は何とか飲み込む。

 桃子は小さな声で、ポツリポツリ話し出した。


「前さ、リュウ兄、どうしてあたしがBL好きなのかって、聞いたよね」

「あ? ああ、そうだったっけ」

「男の子同士のセックスなんて遊びみたいなもんでしょ?誰も傷ついたりしないでしょ?だから、あたし安心して読めるの」


 でしょ?と同意を求められても・・・。

 俺は眉間に皺寄せて、考えてみる。


「分かんねえよ。俺は男としたことないから・・・」


 返答に困った俺は的を得てない事を言ってしまう。

 俺は桃子が何が言いたいのか把握しきれずにいた。

 桃子は構わず喋り続ける。


「女の子にとってセックスはリスクだらけだよ。痛かったり、妊娠したり、蔑まされたり、辛いことばっかりじゃない。だから、あたし男女のセックスは大嫌いなんだ。女の子は傷つくだけだもん」

「桃子・・・まさか、お前・・・?」


 それってどういう意味だよ?

 俺は最悪の想像をして、口篭った。

 口に出すのもおぞましい。

 俺の言いたい事に気が付いた彼女は、ああ、と言って少し笑った。


「妊娠はしてないよ。でもするんじゃないかと思ってすごく怖かった。生理がくるまで全然眠れなかったもん・・・。あたし、突然襲われたの・・・学校の先輩に」


 何だと?

 俺はハンマーで殴られたような衝撃を覚えた。

 襲われたって言った?

 全然、知らなかった。

 その時、俺、何してたんだ?

 この能天気なハムスターのような桃子がそんな辛い事を、誰にも言えずにいたなんて・・・。


「それからあたし男の子とセックスできなくなっちゃったの。男の子が怖いの。リュウ兄ちゃんのことは大丈夫なんだけど、今みたいに触られたら、その時の事がパっと頭に浮かぶんだ・・・。あたし、もう汚れちゃってるんだって、思い出しちゃうの・・・あたしは・・・」


 そこまで言いかけて、桃子は突然口元を手で押さえた。

 ベッドから飛び降りて、台所まで走ってシンクに顔を突っ込むと、胃の中のものを吐き始めた。

 慌てて俺も駆け寄り、ゲロゲロ吐いている桃子の背中をさすってやる。

 吐きながら、桃子は泣いていた。

 涙と一緒に汚れた体の中の不純物を全て流して出してしまうような、そんな泣き方だった。

 ひとしきり泣いて吐き終わると、桃子は台所で座り込んだ。

 俺も黙ってその隣に座る。

 でも、何を言っていいのか分からない。

 口下手で不器用な自分の性格を、俺は恨んだ。


「ごめんね。リュウ兄ちゃん。あたし、リュウ兄が思ってたような女の子じゃないかも」

「バカ、関係ねえだろ、そんなこと。お前はお前だ。それに男は怖くないから」

「・・・怖いよ。あたしはもう・・・言ったでしょ?三次元の男の子には興味なくなったの」


 顔をタオルで拭きながら、桃子は自嘲的に笑った。

 俺はそれが、悔しくて悲しかった。

 お前にはまだ未来があるのに。

 これから本当にいい男だって現れるのに。

 なんで、お前はこんなに絶望してるんだ?


 気が付いたら、俺の頬にも涙が伝っていた。

 桃子は驚いて、俺を見つめる。


「やだ、リュウ兄、泣いてるの?」

「・・・そんなこと言うなよ。おまえはまだ・・・未来があるんだから」


 俺は桃子を抱き寄せた。

 少し抵抗した彼女を今度は優しく抱きしめる。

 一瞬、強張った彼女の体の緊張が次第に解けていくのが分かる。

 俺の胸の中で、桃子は再び泣き始めた。

 悲しいすすり泣きだった。

 俺はそのまま萎んで小さくなってしまった桃子を抱きしめていた。






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