34 Helios
ノアに手を引かれて、プールの縁に腰を下ろした。
水面が光を弾いて、きらきらと揺れている。その光が、目に痛いくらいに眩しかった。
靴を脱いで、そっと足を入れる。ひやり、とした感触。現実に引き戻されるようで、少しだけほっとする。
「すごいでしょ」
隣でノアが笑う。エミリーは小さく頷いた。
でも視線は、どうしても——あちらへ行く。
ルーカス。
彼はプールサイドの中央、自然と人が集まる場所にいた。
見たことのある女が、彼の腕に絡みついている。胸元を預けるようにして、体を寄せて。ルーカスはそれを当たり前みたいに受け入れて、グラスを傾けていた。周りの男たちと、笑いながら何かを話している。そこには、迷いも遠慮もない。
——それが、この世界。
エミリーは視線を逸らした。
周囲を見渡す。
見たことのない女たち。きらびやかな髪。露出の多い服。笑い声も、距離感も、全部が近い。
自分の服を、無意識に見下ろす。
シンプルなワンピース。
パーティーなんてと思ってわざと選んだはずなのに。
今はただ——場違い過ぎて後悔している。
逃げ出したい。
そう思った瞬間。
「俺さ」
ノアが隣で言う。
「いつもこの中に混ざりきれないんだよね」
エミリーは少しだけ顔を上げる。
「ボール遊びくらいはやるけどさ。なんかこう……はしゃぎきれないっていうか」
ノアは足で水を軽く蹴る。
「偽りきれないっていうか」
少し笑う。
「しかもルーカスの監視付き。俺だけ酒ダメなんだよ?」
「わぁ……それはきついね」
思わず本音が出る。
「みんながどんどん変になってく中で、一人だけ正気とか……」
「でしょ?」
ノアがぱっと顔を明るくする。
「分かってくれるのエムだけだよ〜」
そのまま、軽く抱きついてくる。
エミリーは苦笑しながら、それを受け入れた。
そのとき。
ぽん、と軽い衝撃。
ボールが飛んできて、足元に当たった。
「おい、ノア!」
向こうから声が飛ぶ。
「ついに彼女連れてきたか?」
一斉に視線が向く。
エミリーは一瞬で固まった。
「からかうな!」
ノアがボールを投げ返す。
でも——否定も、肯定も、どこか曖昧だった。
その空気に、また胸がざわつく。
「行こ」
ノアが立ち上がる。
「飲み物あるから」
手を引かれる。
人の多い方へ。
音が大きくなる。
笑い声が近づく。
距離が、どんどん近くなる。
テーブルの上には、カラフルなカップとボトルが並んでいた。
氷が鳴る音。甘い匂い。アルコールの刺激。
「お、ノアじゃん」
グループの男が声をかける。
視線が、またエミリーに集まった。
「その子、例の?」
「隣の子だろ?」
「可愛いじゃん」
距離が近い。言葉も、視線も。逃げ場がない。
「ゲームやる?」
誰かが言う。
円になって座る流れになる。
エミリーは戸惑いながら、その中に入った。
テーブルの中央に、ボトルが置かれる。
「回して、止まった人が引くやつね」
カードが配られる。
軽い罰ゲーム。
「キスしろ」とか「秘密言え」とか。
笑いながら言う。
冗談みたいに。
でも、どこまでが冗談か分からない。
「はい、スタート」
ボトルが回る。
ガラスが光を反射して、ぐるぐると回る。
止まる。
指される。
笑い声。
次。
また回る。
テンポが速い。
空気が軽い。
考える暇がない。
エミリーの番が来た。
「飲め」
カードを引いた瞬間、そう言われる。
小さなショットグラスが差し出される。
透明な液体。
強い匂い。
喉が、無意識に拒否する。
でも。
——ここで断ったら。
また、あの視線。
あの空気。
「……いける?」
誰かが笑う。
軽く。
試すように。
エミリーは一瞬だけ目を閉じた。
それから。
グラスを取る。
「……いける」
そう言って、口に運んだ。
喉が焼ける。
一瞬、呼吸が止まる。
「おー!」
歓声が上がる。
その音に押されるみたいに、エミリーは笑った。
自分でも分からない笑い方だった。
二杯目。
三杯目。
味はもうよく分からない。
ただ、身体が少し軽くなる。
頭が、少しぼやける。
距離感が、曖昧になる。
「大丈夫?」
隣の男が顔を覗き込む。
近い。
でも。
「平気」
自然に言葉が出る。
手が触れる。
そのまま、軽く握られる。
拒否しなかった。
できなかった、のかもしれない。
もたれかかる。
肩に触れる。
体温が近い。
笑う。
誰かと。
自分じゃないみたいに。
ふと、ノアの方を見る。
ノアもこちらを見ていた。
少しだけ、困ったような顔で。
でも、何も言わない。
エミリーはそのまま、ノアにも軽く寄りかかる。
「エム、大丈夫?」
「うん……」
笑う。
軽く。
全部が、少しだけどうでもよくなる。
そのとき。
ふと、視線を感じて反射的に顔を上げる。
——ルーカス。
少し離れた場所から、こちらを見ていた。
さっきまで女に囲まれていたはずなのに。
その視線は、まっすぐにこちらを見ていた。
冷たくて。何かを測るみたいに。胸の奥が、ざわつく。
でも。
目を逸らす。
笑う。
またグラスを取る。
「……トイレ」
小さく呟く。
ノアにだけ聞こえるように。
「奥の廊下、右」
ノアが短く言う。
案内はしない。
エミリーは一人で立ち上がる。
足元が少しだけ不安定だった。
廊下は、急に静かだった。
さっきまでの音が嘘みたいに遠い。
広くて、白くて。
冷たい。
手を洗う。
水が冷たい。
鏡を見る。
そこには、少し頬の赤い自分がいた。
「……何やってるの」
小さく呟く。
さっきの自分を思い出す。
触れて。
笑って。
もたれて。
「……なんで」
ため息が落ちる。
ドアを開け、廊下に出る。
この静かでどこか冷たい家が少しだけ、怖い。
そのとき。
「——どこ行ってた」
低い声。
びくっと肩が跳ねる。
振り向くと
そこに、ルーカスが立っていた。
プールパーティーってなに。どんななの。私の世界にはないものなので難しかった。




