表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
窓の外の世界 恋する勇気のない私たち  作者: chippirock
pool

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/33

32 Helios

朝、目が覚めた瞬間から、顔をしかめた。

眠れていない。

浅い眠りを何度も行き来して、そのたびに——あの顔が浮かんだ。


近すぎた距離。

触れた唇。

低い声。


「……どうだ」


思い出した瞬間、胸の奥がじわっと熱くなる。

同時に、苛立ちが込み上げた。


「……最悪」


小さく呟いて、枕に顔を押し付ける。

でも、その言葉と裏腹に。

一瞬でも、あの瞬間を思い出してしまう自分がいる。

嬉しかった、なんて。

そんな感情が混ざっていることに気づいてしまって。

余計に、腹が立つ。


「……ほんと、嫌」


枕に、もう一度八つ当たりする。ばふっと音がして、髪が乱れた。

やっと体を起こす。


無意識に、窓の方を見る。

向かいの家。

あの窓。

カーテンは閉じたまま。

ただの、窓。


それだけなのに。


胸の奥が、少しだけ重くなる。

ため息をひとつ落として、ベッドから降りた。


——今日は、洗濯当番。


その事実を思い出して、少しだけ気持ちが引き締まる。

あれを、洗わないといけない。

パーカーと、タオル。

母に見られるわけにはいかない。

絶対に。


部屋を出る。


階段を降りると、キッチンからいい匂いがした。

母が朝食を作っていた。


気づかれないように、足音を殺す。

そっと、ランドリールームへ滑り込む。

ドアを閉めて、小さく息を吐く。

持ってきたそれを、洗濯機に入れる。


黒いパーカー。


昨夜、何度も思い出したそれ。

手に触れた瞬間、またあの距離がよみがえる。

「……もう」

思わず強く押し込む。

乱暴に。

タオルも一緒に放り込む。まるで、記憶ごと押し込むみたいに。


蓋を閉めて、ボタンを押す。

機械音が静かに鳴り始める。

それを確認してから、何もなかった顔でキッチンへ戻る。


「おはよう」


椅子に座りながら、声をかける。母が顔を上げた。


「おはよう。……あらやだ、なにその顔」


母は眉を寄せ、


「疲れ切ってるわね。大丈夫?」


一瞬、心臓が跳ねる。見抜かれたかと思った。でも違う。


「大丈夫」


なんとか口角を上げる。


「本に夢中で、夜更かししちゃっただけ」


少しだけ視線を逸らす。

母は少しだけ疑うような顔をしたが、それ以上は言わなかった。


「そう。あんまり無理しないでね。午後バイトでしょ?」


「うん」


「洗濯物、私がやろうか?」


その言葉に、反射的に顔を上げる。


「え、やだ、大丈夫!」


思ったより強い声が出て、自分でも驚く。すぐに取り繕う。


「私がやるから」


母は肩をすくめた。


「そう?」


それ以上は聞かない。

助かった。

朝食を口に運びながら、内心ほっと息をつく。


——知られたくない。


あのことは、誰にも。

絶対に。


洗濯が終わる頃には、もう音楽が必要だった。

イヤホンを耳に押し込んで、音量を上げる。

頭の中を埋め尽くすくらいに。


そうしないと、また思い出してしまうから。


パーカーを取り出す。

乾いたそれは、もうただの布のはずなのに。

触れた瞬間、胸がざわつく。


「……ほんとに、もう」


乱暴に畳む。タオルも同じように。全部まとめて、部屋へ持っていく。


クローゼットを開けて、一番奥へ押し込む。


見えない場所。

見なければ、思い出さない。

そう思いたい。


 

バイトへ向かう道、今日は歩きだった。

いつも通りの道。見慣れた景色。

なのに、頭の中だけが落ち着かない。


不意に、フラッシュバックする。


車の中。あの距離。あの声。


思わず足が止まりそうになる。


「……やめて」


小さく呟いて、首を振る。

追い出すみたいに。

何度も。


書店は、いつも通り静かだった。紙の匂い。ページをめくる音。落ち着くはずの場所なのに、今日は違う。

ため息が、何度も漏れる。


「昨日、大丈夫だった?」


店長の声に、はっとし、顔を上げる。


「あ……はい」


なんとか笑う。


「大丈夫でした」


嘘じゃない。でも、本当でもない。それ以上は聞かれなかった。ありがたかった。


レジに立ちながら、ふと思う。

レイラに話す?

すぐに首を振る。からかわれるだけだ。


「そのまま最後まで行っちゃって、初恋とさよならしなさい」とか言われるのが目に見えている。

私には無理。

じゃあ——ノア。

あいつなら、笑うだろうけど。

ちゃんと聞いてくれる。

それでいい。


夜、部屋に戻る。

ベッドに寄りかかって座る。

いつもの場所。窓が見える位置。カーテンは閉じたまま。スマホを手に取る。


少しだけ迷ってから、通話ボタンを押した。

数コールで繋がる。


「エミリー?どうしたの?」


いつもの声。少しだけ、安心する。


「あのね……ちょっと、昨日いろいろあって」


言葉を選びながら話す。

ルーカスが声をかけてくれたこと。

車に乗せてくれたこと。

パーカーを貸してくれたこと。


話しているうちに、気づく。


——嬉しかった。


確かに。あの時間は。


「……でね」


そこから先で、言葉が詰まる。


キス。あの瞬間。

胸の奥に、別の感情が広がる。

悔しさ。苛立ち。


「……でも、やっぱり違った」

小さく言う。

「所詮、私なんて……たくさんいるうちの一人で」


視線が窓に向く。


「見てるだけで、よかったのに」


声が少しだけ掠れる。沈黙。でもノアは何も言わない。それが逆に、楽だった。


「……ありがとう」


小さく笑う。


「ちょっとスッキリした」


そのとき。

ノアの声が少しだけ変わる。


「あー、ねえ、エミリー」


嫌な予感がした。


「明日さ、家でプールパーティーあるんだ」


「は?」


間の抜けた声が出る。


「来てよ」


「……は?」


もう一度言う。理解が追いつかない。


「俺さ、今まで誰も呼んだことなくて」


少しだけ真面目な声。


「いつも、ルーカスのグループに混ざれなくてさ」


少しだけ、静かになる。


「だから、一緒にいてよ」


その言葉に、少しだけ心が揺れる。でも——


「パーカーさ」


ノアが軽く言う。


「持ってきて、あいつに投げつければいいじゃん」


一瞬、想像する。


ルーカスに、あのパーカーを投げる自分。


「クソ野郎ってさ」


ノアが笑う。


「スッキリするよ」


沈黙。


「……ね?お願いだから!」


返事をする前に。通話が切れた。


「ちょっと——」


画面を見る。切れている。ため息が出る。でも。

頭の中に、さっきの光景が残る。

投げつける。あいつに。


「……まあ、いいか」


小さく呟く。どうせ。もう、どうにでもなれ。


 


翌朝。


シャワーを浴びる。水が頭を打つ。昨日の残りを流すみたいに。


鏡の前に立つ。クローゼットを開ける。選んだのは、シンプルなワンピース。

派手すぎない。でも地味でもない。


パーティーを楽しみにしてました。なんて思われない。でも、周りから浮かない程度の。


鏡を見る。口紅を取る。少しだけ迷ってから、塗る。色が乗る。ほんの少しだけ、大人びて見える。


「……よし」


小さく言う。

これは、ルーカスに会いに行くためじゃない。ノアに会いに行く。そう言い聞かせる。


出来たら——あの服を、投げつける。

それだけ。



家を出る。


歩く。心臓が、少し早い。でも止まらない。

そして。

ルーカスの家の裏門の前に立つ。

高いフェンス。

その向こうに、光と音が溢れている。

笑い声。音楽。水の音。

別の世界みたいに。


私は、少しだけ息を吸った。


——ここが、あの世界。


ずっと、窓の向こうから見ていた場所。

手を伸ばす。門に触れる。冷たい鉄の感触。

一瞬だけ、迷う。

でも。もう来てしまった。


「……行こう」


小さく呟いて。

私は、その門を押した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ