31 Iris
玄関のドアを、強く閉めた。ばたん、と鈍い音が家の中に響く。自分でも、少し強すぎたと思ったが、手は止まらなかった。濡れた靴のまま立ち尽くす。服も、髪も、少し湿っている。でもそんなことはどうでもよかった。
頭の中は、まだぐちゃぐちゃのままだ。
エミリーの顔。「最悪」と言った声。頬に残る、あの衝撃。
——それと。笑わなかった顔。
胸の奥が、ひっかかる。あいつ、笑ってなかった。一度も。
車の中でも。パーカーを渡したときも。最後に見たときも。
ずっと、緊張した顔のまま。怒った顔で、終わった。
……なんでだよ。
そこに、妙な違和感が残る。自分でも説明できない感覚。
「……何してんだよ」
小さく吐き捨てる。全部が、何度も繰り返される。そのたびに、胸の奥がざらつく。
「……何してんだよ」
小さく吐き捨てる。
自分に向けた言葉なのか、エミリーに向けたものなのかも分からない。
そのとき、リビングのほうから足音がした。
「ルーク?」
ノアが顔を出し、玄関まで歩いてきた。
その表情は、いつも通り。無邪気で、軽くて、何も考えていないみたいな顔。
ノアを見た瞬間、胸の奥の苛立ちが、また膨らむ。
「どうしたの?」
ノアは首をかしげる。俺は視線を逸らした。
「……別に」
短く答える。
「お前には関係ないだろ」
言い方がきつくなる。自分でも分かる。でも止められない。
ノアは少し目を細めて、こっちを見た。そして、にこっと笑った。
「え、なに?」
軽い声。
「エミリーとなにかあった?」
その言葉に、反射的に顔を上げる。
「は?」
なんで。なんでそこでその名前が出る。一瞬、思考が止まる。
ノアは肩をすくめる。
「あれ?」
くすっと笑う。
「当たっちゃった?」
その言い方が、妙に癇に障る。
「適当に言ったんだけど。でもさ、」
ノアは楽しそうに続ける。
「ルーク最近、エミリーのこと意識してるみたいだし」
その言葉に、胸の奥がひくっと動く。
「……は?」
俺は眉を寄せる。
「意識してるとか、別に今まで通りだろ」
即座に否定する。
そんなわけがない。そんなもの、あるはずがない。
ノアは首を傾げたまま、にやにやしている。
「えー?」
わざとらしく声を伸ばす。
「だってこの前さ」
一歩近づいてくる。
「俺がエミリーの部屋にいるの、気にしてたじゃん」
心臓が一瞬、強く鳴る。
「距離近いのも。めっちゃ俺とエミリーのことみてるじゃん」
言葉が刺さる。思い出す。あのときの光景。フェンス越しの視線。
そして、今日の車の中。
エミリーの横顔。ずっと、固いままだった。笑わない。少しも。
「キスしたか、聞いてきたし」
そこまで言われた瞬間。体の奥が、熱くなる。自分でも分かるくらい、顔に血が上がる。
「……っ」
何も言えない。
ノアはそれを見て、ぱっと笑った。
「ね?」
楽しそうに、無邪気に。
「エミリーのこと好きなんでしょ?」
その言葉が落ちた瞬間。頭の中で、何かが弾けた。
「好きなんでしょ?」
もう一度。軽い調子で。繰り返される。
——好き。
その言葉が、やけに大きく響く。
あり得ない。そんなはずがない。
俺が?あいつを?
あり得るわけがない。
胸の奥がざわつく。
否定しなきゃいけない。今すぐ。
「……は?」
低い声が出る。
「ふざけんな」
ノアを睨む。
「好きになるわけないだろ」
はっきり言い切る。強く。
言い切らないと、何かが崩れそうだった。
ノアは少し驚いた顔をして、それからまた笑う。
「えー、そんな否定する?」
軽い。
何も知らないくせに。
「……うるせえ」
それだけ吐き捨てて、俺はその場を離れた。階段を上る。足音が少し強くなる。
自分の部屋のドアを開けて、閉める。
今度は、さっきより少しだけ静かだった。
部屋の中は暗い。
電気もつけずに、そのまま奥へ進む。机の上に置いてあるボトルを手に取りグラスも使わず、そのまま口をつける。
アルコールが喉を焼く。でも、何も変わらない。
胸の奥のざらつきも。頭の中のぐちゃぐちゃも。消えない。
ベッドに腰を下ろし、背もたれに寄りかかる。
一息つく。
ふと、視線が窓の方へ向く。
カーテンの向こう。あの家。エミリーの部屋。
さっきまで、近くにいた。
雨の中で。車の中で。あの距離で。
唇の感触が、一瞬だけよみがえる。
俺はすぐに目を逸らした。
「……は」
小さく笑う。
乾いた音。あり得ない。誰かを好きになるなんて。そんな面倒なこと。するわけがない。したくもない。
そんな感情、持つ必要もない。
俺はもう一度ボトルに口をつけた。
強く飲む。喉を焼く感覚で、全部押し流そうとするみたいに。
でも。頭の奥で、さっきの言葉が消えない。
——好きなんでしょ?
「……違う」
唇の感触が、一瞬だけよみがえる。
でもそれと同時に。
拒まれた感触も、はっきりと残っている。
じわじわと胸に広がる鈍い痛みから俺はすぐに目を逸らした。
小さく呟く。
自分に言い聞かせるみたいに。何度も。
「違う」
そう思わないと。何かが崩れる気がした。
rain終了です。感想を良ければお願いします。はじめまして書いているので反応が知れると嬉しいです。




