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窓の外の世界 恋する勇気のない私たち  作者: chippirock
rain

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28 Iris

エミリーは雨の中で立ち尽くし、すぐには動かなかった。

フードの先から水が落ちている。頬を伝って、顎からぽたぽたと。

なのに、まだ立っている。

俺はハンドルに指をかけたまま、少し眉を寄せた。

……何やってんだ。雨はどんどん強くなっている。普通ならすぐ乗るだろ。

なのにエミリーは、まだこっちを見ているだけだ。警戒してるみたいに。

それが少し腹立つ。

胸の奥がざらっとする。

もし——もしこれがノアだったら。

エミリーはきっと笑って言う。「ありがとう」そう言って、何も考えずに助手席に座る。

そんな光景が、勝手に頭に浮かぶ。

その瞬間、胸の奥に変な苛立ちが走る。

なんでだよ。

俺は小さく舌打ちした。もう我慢できなかった。シートベルトを外し、体を乗り出す。

内側から助手席のドアを押した。

がちゃ、と音がしてドアが開いた。

「……早くしろよ」

声は思ったより低く出た。俺は顎で助手席を示す。

それでもエミリーは一瞬迷ってから、ようやく近づいてくる。

「あ、ありがとう」

雨が車の中に少し吹き込む。エミリーが乗り込んだ。

ドアが閉まり、外の雨音が一気に遠くなる。

その瞬間、俺はほんの少しだけ息を吐いた。

……よかった。

自分でも気づかないほど小さく。


エミリーが助手席に座っている。

背筋を伸ばし、背もたれにも触れていない。濡れたまま、固まっている。

俺はシートベルトを戻して、車を出した。

ワイパーが動く。しゃっ、しゃっ。ガラスを雨が流れていく。

「あの…乗せてくれて…ありがとう」


車の中は静かだった。静かすぎた。

俺は一度、横目でエミリーを見る。

膝の上で手を握っている。視線は下。何も言わない。

……なんか話せよ。

そう思う。

でも俺も言葉が出ない。

なんだこの空気。

さっきまで外にいたのに、急に距離が近すぎる。

赤信号で車が止まる。俺は息を吐いた。

そのとき、ふと気づく。

エミリーの肩が、少し震えている。

……寒いのか。

当たり前だ。あれだけ濡れていれば。

俺は後ろを振り返った。

スポーツバッグに何か入ってたはずだ。

手を伸ばす。

その瞬間だった。

びくっ。

エミリーの体が跳ねた。

俺は思わず動きを止める。

……は?

そんなに驚くか?

俺は少し驚いてエミリーを見る。

その距離で、初めて気づく。

近い。思ったより、ずっと。

エミリーの肩。濡れた髪。細い首。

街灯の光が横から入って、髪が一本一本見える。

頬の水滴まで見える。

そして、唇。

少し開いている。

あと、少し。本当に少し体を寄せれば——触れられる距離。

胸の奥で、心臓が一度強く鳴る。

……何考えてんだ俺。

俺は慌てて目を逸らした。

その動揺を隠すみたいに、口が先に動く。

「……何びびってんの」

少し笑う。からかうみたいに。

エミリーは慌てて首を振った。

「ち、違っ……」

声が小さい。

俺は後部座席からパーカーを掴んだ。黒いやつ。

それをエミリーに差し出す。

「ほら」

少し強く渡してしまった気がした。

エミリーが顔を上げる。

一瞬、目が合う。

その瞬間。胸がまた変な音を立てる。

俺はすぐ言った。

「これ着とけ」

短く。それから付け足す。

「震えてる」

エミリーが自分の手を見る。その手はまだ少し震えている。

エミリーはおずおずと手を伸ばす。

「……ありがとう」

小さい声。

パーカーを受け取る。そして、袖を通す。

その動きを、俺は見てしまった。

濡れたパーカーの上から、俺のパーカーを着る。

肩に乗る。布が動く。その瞬間。

胸の奥に、妙な感覚が広がる。

……俺の服。エミリーが着ている。

なんだそれ。

変な感じだ。

嬉しい、みたいな。満足、みたいな。でも同時に、妙に気恥ずかしい。

俺はすぐ前を向いた。ハンドルを握る。

そのとき気づく。

心臓が速い。やけに速い。

ワイパーの音が響く。しゃっ、しゃっ。

車内は静かだ。

雨の音と、エンジンの振動だけ。

こんな静かな空間で。この距離で。もしエミリーが気づいたらどうする。

この心臓の音に。

そんな馬鹿なことを考えてしまう。

俺は横目で一度だけ見る。

エミリーは窓の外を見ている。俺のパーカーを着て。

その姿を見た瞬間。

胸の奥がまた変な感じになる。

……なんだこれ。意味が分からない。

俺は視線を戻し、ハンドルを握り直す。

そして思う。早く家に着け。この変な空気から、早く出たい。

なのに。

どこかで、少しだけ。

この時間が終わらなければいいと思っている自分がいた。

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