24 helios rain
車はゆっくりと住宅街の通りを走っていた。
ワイパーが規則正しく動く。
しゃっ、しゃっ、とフロントガラスを雨から切り離すように。
それでもすぐにまた水の膜が広がる。
さっきまで歩いていた通りが、もう遠くに感じる。
家までは歩けば二十分くらい。
車なら、ほんの二分。
なのに、今日はやけに長く感じた。
雨のせいだろうか。
それとも——
私は膝の上で手を重ねたまま、窓の外を見ていた。
ルーカスは何も話さない。
私も話せない。
沈黙はずっと続いている。
でも、不思議とさっきより苦しくはなかった。
パーカーが暖かいからかもしれない。
ほんのり残る匂いがする。
それに気づくたび、胸が少しだけ騒ぐ。
心臓の音を、ルーカスに聞かれてしまいそうで怖い。
車は曲がり角をひとつ曲がる。
見慣れた街灯。
見慣れた塀。
もうすぐ家だ。
そう思った瞬間、胸の奥に少しだけ違う感情が浮かぶ。
——ああ。
もう着いてしまう。
その思いに気づいて、私は少し驚いた。
同時に、ほっとする気持ちもある。
ずっと緊張していた。
息を詰めたまま、ここまで来たみたいに。
車がゆっくり減速する。
そして、家の前で止まった。
エンジンの振動だけが、静かに残る。
雨はまだ強い。
窓の外に、見慣れた家の輪郭がある。
私はやっと息を吐いた。
胸の奥に詰まっていた空気が、ようやく外に出ていく。
話せなかった。結局、ほとんど何も。
でも、ルーカスはタオルを敷いてくれて、パーカーを貸してくれて、こうして送ってくれた。
それだけで、胸がいっぱいだった。
私はドアノブに手をかける前に、ルーカスの方を少しだけ見る。
視線はすぐ逸れてしまうけれど。
「……あの」 声が少し小さい。
「本当に、ありがとう」
私はパーカーの袖を軽くつまんだ。
「これと、タオル……洗って返すわね」
言いながら、少し考える。
直接返す勇気はない。というか、会う機会がない。
だから、私は付け加えた。
「あ、えっと……ノアに渡すわ」
その言葉を言った瞬間だった。
ドアノブにかけた手が、まだ動く前に。
ぐっと腕を掴まれる。
思わず息を呑む。
「……っ」
私は驚いて振り向いた。
ルーカスの手だった。
強くはない。
でも、逃げられない力。
「最近」
ルーカスの声は低かった。
「ノアと仲いいな」
私は一瞬、言葉を失う。
「え……?」
ルーカスは私を見ている。
さっきまでの静かな空気が、どこか変わっていた。
「この前」
彼は続ける。
「俺の試合、見に来てただろ」
胸がどくん、と鳴る。
私は思わず目を逸らす。
見ていた。確かに。でも。どうして——
「俺を見てたのに」
ルーカスの指が、私の腕を少し引く。
「ノアに手を出すとはな」
「……ち、違」
言い終わる前だった。
体が後ろへ押される。
背中がシートに触れる。視界が揺れる。
次の瞬間、ルーカスの顔がすぐ近くにあった。
距離が、あまりにも近い。
何が起きているのか理解するより先に——
唇が触れた。
思考が止まる。
頭の中が真っ白になる。
私は目を見開いた。
息を呑む。
何もできない。
時間が、数秒だけ止まったみたいだった。
やがて、ルーカスが少しだけ離れる。
でも距離は近いまま。逃げられない距離。
彼の手はまだ私の腕を掴んでいる。
ルーカスは私の顔を見た。
まっすぐに。
少しだけ息を吐くように言う。
「……どうだ」
低い声。
「見てた俺にキスされた感想は?」
彼はまだ近いまま、そう聞いた。




