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窓の外の世界 恋する勇気のない私たち  作者: chippirock
rain

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22/33

22 helios rain

午後から、空はずっと重かった。

灰色の雲が低く垂れこめて、通りの光を少しずつ鈍くしていく。

書店の古い窓ガラスに、最初の雨粒が当たったのは仕事が終わる4時過ぎだった。

ぽつ。

それから、ぽつ、ぽつ。

しばらくは静かな雨だった。

紙の匂いと混ざって、外の空気が少しだけ湿る。


私はレジの横で、新刊の帯を整えていた。

この店は小さい。棚は木製で、何度も塗り直された跡がある。ところどころ色が剥げて、年輪みたいな模様が浮かんでいる。

私はこの店が好きだった。


人は多くない。

午後になると、常連のおじいさんが新聞を買いに来て、近くの大学の学生が参考書を探して、たまに子どもがコミックを立ち読みする。

それくらい。

ページをめくる音。

レジの電子音。

遠くで車が通る音。

静かな世界だ。


5時を過ぎた頃、雨が強くなった。

窓に当たる音が、ぱらぱらから、ぱたぱたへ変わる。

やがて、それが一枚の幕みたいに広がった。

ざあ、と。

通りの景色が、少しぼやける。

私はレジの中で窓の外を見た。

向かいのカフェのテラス席は、もう誰もいない。椅子が雨に濡れて、テーブルの上に水が溜まっている。


帰る時間になっても、雨は止まなかった。

むしろ強くなっていた。

店主のおばさんがレジを締めながら

「エミリー、タクシー呼ぶ?」

私は首を振った。

「大丈夫です。歩けます」

「結構降ってるわよ」

「家、そんなに遠くないので」

本当は遠くないわけじゃない。

歩いて二十分くらい。

でも、タクシーは高い。

私はバッグに財布をしまいながら笑った。

「運動になります」

おばさんは苦笑する。

「風邪ひかないでね」

「はい」


店を出た瞬間、雨の音が大きくなる。

ざああ、と。

私はパーカーのフードをかぶった。

それでも、雨はすぐに肩や袖を濡らしてくる。

九月になったばかり。

夏の熱はまだ残っているけれど、雨の夜は少しだけ冷たい。

歩きながら、私は空を見上げた。

雲は厚くて、街灯の光がぼんやり滲んでいる。

通りを歩く人は少ない。

車のライトが、濡れたアスファルトに長く伸びている。


最近、忙しい。

でも嫌な忙しさじゃない。

州立大学の出願準備。

志望は臨床心理学。

臨床心理士になる。

そう決めたのは、ずっと前だけど、

こうして書類を書いて、エッセイをまとめていると、ようやく現実になってきた気がする。

レイラも同じ大学を目指している。

図書館で一緒に勉強して、帰りにコーヒーを飲んで、

「もし受かったらさ」

「寮どうする?」

そんな未来の話をして。

忙しいのに、少しだけワクワクしている。


レイラは言う。

「ノアが最近クラブでよく話しかけてくるのよね」

私は笑った。

「そうなんだ」

ノアは変わらない。

レイラが特別に相手をしているわけじゃないのに、あの子は気にせず話しかける。少しずつ距離を近づける。

たぶん、ノアは人とそういう風に関係を作る人だ。

羨ましいと思う。

私は、そういうことがあまり出来ない。

好きな人がいても近づくことも、触れることも、たぶん出来ない。

ただ見ているだけ。

それでもいいと思っていた。

大学に進んで。社会に出て。忙しくなって。

きっと、その気持ちはどこかに蓋をされて、

少しずつ薄くなっていく。

それでいい。それが普通だ。


雨はさらに強くなる。

靴の先がもう濡れている。

フードの端から水が落ちて、頬を伝う。

私は少しだけ足を速めた。

そのときだった。

後ろから、車の音が近づく。

静かなエンジン音。

ゆっくり。

そして、私の隣で止まる。

黒い車。大きい。

心臓が少し跳ねる。

こんな夜に、こんな場所で、車が止まると少し怖い。

私は視線を逸らして急ぎ去ろうとした。


窓が、ゆっくり下がる。

雨の音の中で、声がした。

「乗れよ」

低い声。

聞き覚えがある。

私は反射的に顔を向けた。

運転席。

街灯の光の中でその横顔が見える。

ルーカスだ。

私は思わず立ち止まった。

「……え?」

雨の中で、声が少し震える。

ルーカスはハンドルに片手を置いたまま、こちらを見ていた。

いつもの、少し退屈そうな目。

私を見ている。はっきりと。

「ずぶ濡れじゃん」

「隣の家だろ。乗せてやる。」

彼はそう言った。

まるで、それが当然の事実みたいに。

私はまだ動けない。

心臓だけが、やけに早く鳴っていた。

雨は、相変わらず激しく降っている。

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