表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
窓の外の世界 恋する勇気のない私たち  作者: chippirock
prologue

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/32

15 Iris prologue

祖父の家から戻ったのは夜だった。行きと違い運転手が迎えに来た。屋敷は不自然なほど静かだった。

昔から大きな家だった。廊下は長く、天井は高く、足音は遠くまで響く。

だが今は、その広さがただ空虚だった。

俺はは玄関を入った瞬間に気づいた。

僕のお家は素敵でしょ、なんて思えない。誇りに思えない。落ち着かず、安心感が無い。


ノアは久しぶりの自分の部屋にはしゃいでいた。

「ルーク見て!ぼくの恐竜そのままだ!」

床に散らばったおもちゃを拾いながら笑う。

祖父の家では我慢していた分、声が弾んでいる。

俺は少しだけ微笑んだ。

「片付けろよ。」

「あとで!」

無邪気な返事。

俺はそれ以上言わない。


ノアの部屋の前を離れ、静かな廊下を歩いた。

父の書斎の前で、足が止まる。

ドアは少しだけ開いていた。

中から光が漏れている。

「ルーカス。」

低い声がした。父だった。

「入れ。」

俺はドアを押した。

書斎は相変わらずだった。壁一面の本棚。重たい机。古いランプ。

だが父の姿だけが、少し変わって見えた。

背中が、以前より小さく見える。

父は椅子に座っていた。

机の上には書類が積まれているが、手は動いていない。

ただ、指でグラスを回していた。氷が、かすかに鳴る。

俺は机の前に立つ。

「ただいま。」

父は頷いた。

「祖父さんのところはどうだった。」

「…普通。」

父は少しだけ笑った。

「そうか。」

その笑いは、乾いていた。しばらく沈黙が続く。

壁の時計の音だけが聞こえる。カチ、カチ、と。

父はグラスを一口飲んだ。

それから、俺を見た。

「ルーカス。」

「なに。」

父は少し考えるように視線を落とし、そして言った。

「一人に心を寄せるな。」

俺は瞬きをした。

意味を測るように、父の顔を見る。父は椅子に深くもたれた。

「恋とか、愛とか。」

ゆっくり言う。

「そういうものは、人を愚かにする。」

氷がまた鳴る。

「弱くもする。」

俺は黙っていた。

父は続ける。

「お前が何人と遊ぼうと、俺は咎めない。」

少し間が空く。父は自嘲するように笑った。

「むしろ、その方がいい。」

その笑い方は、ひどく疲れていた。

「…一人だけを見るな。」

父は言う。

「そんなことをすると、」

短く息を吐く。

「ろくなことにならない。」

俺は何も言えなかった。

父は視線を外す。窓の方を見る。書斎の窓は大きい。庭が見える。

だがカーテンは半分閉じられていた。

父は静かに言った。

「行っていい。」

俺は頷く。

「じゃあ、お休み。」

ドアを開ける。

廊下の空気は、少し冷たかった。


俺は自分の部屋に戻った。

祖父の家に行く前と、何も変わっていないはずの部屋。黒い机。ベッド。棚。

でも、すべてが遠く感じた。

ルーカスは窓に近づく。カーテンを開ける。夜の空気が少し入る。

そして、向かいの家が見える。

あの窓。エミリーの部屋。小さな窓。灯りがついていた。


胸の奥が、少しだけ動く。

カーテンの隙間から、部屋の中が見える。

ベッドの上。毛布にくるまった影。

そして、小さな光。懐中電灯。

光が揺れる。

壁に変な影ができる。

エミリーだ。

前と同じ。

ライトで遊んでいる。

おれはほんの少しだけ口元が緩んだ。

あの光を見ると、なぜか安心した。


でも、その時、父の言葉が頭に浮かぶ。

──一人に心を寄せるな。

──恋とか愛は、人を愚かにする。

──弱くもする。

俺は窓の外を見つめた。

エミリーは気づかない。向こうからは見えない。

ただ、笑っている。ライトを振って、変な顔をしている。

きっと、俺が見ていると思っている。

その光は、まっすぐだった。

疑いもなく。迷いもなく。

俺の胸の奥で、何かが静かに痛んだ。

この光に、触れてはいけない。

そう思った。

この光は、自分の世界とは違う。

壊れていない家。壊れていない心。

自分が触れたら、きっと壊れてしまう。壊してしまう。


俺はゆっくり息を吸った。

それから、手を伸ばした。

窓の横のカーテンを掴む。

指先が布を握る。

エミリーはまだ笑っている。

光が揺れる。小さな太陽みたいに。

俺はその光を最後に見た。

そして、カーテンを引いた。布が静かに滑る。

窓が、夜に閉じる。


エミリーの光が、消えた。

完全に見えなくなる瞬間、俺の胸の奥で何かが沈んだ。

まるで、自分で小さな太陽を消したみたいに。

部屋は暗くなる。

俺は窓から離れた。

父の言葉が、静かに残っていた。

──一人を見るな。

俺はもう窓を振り返らなかった。

その夜から、向かいの窓は俺の世界から消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ