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窓の外の世界 恋する勇気のない私たち  作者: chippirock
prologue

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12/33

12 Iris prologue

その夜のことを、俺は今でもはっきり覚えている。思い出そうとしなくても、勝手に思い出してしまう。

まるで、映画のワンシーンみたいに。細部まで。匂いも、音も、空気の温度まで。


あの日、家には客が来ていた。父の仕事関係の人だった。

ダイニングには大人が並び、グラスが鳴り、笑い声が響いていた。豪華な食事。高そうなワイン。大人たちはみんな笑っていた。

母も笑っていた。白いドレスを着て、父の隣に座って、完璧な笑顔で。

俺はそれを少し離れたところから見ていた。まだ12歳だった。

弟のノアは早くに寝かされている。

俺は子供用のテーブルで食事を終え、二階の自分の部屋へ上がった。


窓の外を見る。向かいの家。二階の窓。そこには灯りがあった。小さな光。

エミリーの部屋だ。

彼女はまだ起きている。

ルーカスは少しだけ安心した。今日も、いる。

それだけで、胸のどこかが軽くなる。

ライトを取ろうとした。

でもそのとき、階下から声がした。母の声だった。

小さく、抑えた声。

ルーカスは階段の上で足を止めた。

こんな声を、今まで聞いたことがなかった。

笑い声じゃない。怒りでもない。もっと低い。

秘密の声だった。

階段を一段だけ降りる。リビングの灯りは落ちていた。ダイニングの客はもう帰ったらしい。

父の姿もない。また仕事をするため書斎にいたのだろう。

廊下の奥、両親のクローゼットが少しだけ開いていた。

そこから声が漏れている。母の声。

それから、男の声。知らない声だった。

俺は動けなくなった。理由は分からない。

でも、近づいてはいけない気がした。

それでも、体は動いた。

一歩。また一歩。

クローゼットの前まで来る。

ドアの隙間から、中が見えた。

母がいた。壁にもたれている。

その前に、男が立っている。

父じゃない。

俺の知らない男だった。スーツ姿。

母の頬に手を当てている。母が、笑った。昼間の笑顔とは違う笑顔だった。

柔らかくて、甘い笑顔。

その笑顔を、父に向けているのを俺は見たことがなかった。

次の瞬間、男が母にキスをした。長いキスだった。母は、拒まなかった。

その瞬間、世界が止まった。音が消えた。時計の針も、空気の流れも、すべてが止まったみたいだった。

俺は呼吸を忘れていた。

何を見ているのか、理解するまで少し時間がかかった。

でも、理解した瞬間、胸の奥で何かが崩れ落ちた。

ガラスみたいに。音もなく、粉々に。

母が言った。

「家でなんてダメよ。主人に気づかれちゃう。」

男が笑った。

「大丈夫だよ。」

母がまた笑う。

「あなた、悪い人ね。」

その言葉を聞いた瞬間、俺は後ろへ下がった。

廊下の暗闇に戻る。息ができない。胸が痛い頭が真っ白だった。

嘘だ。

そう思った。

これは何かの間違いだ。母はそんなことをしない。父を愛している。

この家は、幸せな家族だ。

ずっと、そうだった。そう思っていた。

でも、ドアの隙間から見えた光景はそれを全部、簡単に壊した。

俺は階段を必死に上がった。壊れそうなほど脈打つ心臓を抱えながら。

足が震えていた。部屋に戻る。ドアを閉める。ドアに背を預け崩れ落ちながらもなんとか鍵をかけた。


窓の外を見る。向かいの家。エミリーの窓。小さな光。彼女がいる。

きっと今も、変な顔をしている。笑っている。

いつもの夜。

その光が、まぶしかった。胸が苦しくなる。

俺は窓から離れた。見てはいけない。そう思った。

あの光を、今の自分が見てはいけない。

机の前に座る。手が震えている。どうすればいいのか、分からなかった。

父に言うべきなのか。言わないべきなのか。

でも、もし父が知らなかったら?

もし父が、母を信じていたら?

俺は目を閉じた。


そして、次の日の朝、父に言った。

その一言で、すべてが終わった。

その日から、この家は、家じゃなくなった。

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